第3章
絵里視点
七時ちょうど、私はレストランのドアを押して中に入った。
身にまとっているのは、血のように赤いシルクのドレス、これから起こることを連想させる色だ。ハンドバッグの中では、透明な液体の入った小瓶が待っている。
悟はもう来て、私を待っていた。
彼は立ち上がり、私の心臓を激しく高鳴らせるような笑みを浮かべた。
『ちくしょう、どうしてそんなふうに笑うのよ……』
「綺麗な、水原さん」彼は私の椅子を引きながら、優しく言った。
席に着くと、私は無意識にハンドバッグを強く握りしめた。「ありがとう」
「君が街の灯りを見られるように、わざわざ窓際の席を頼んでおいたんだ」彼は自分の席に座り直し、その瞳を温かく輝かせた。
私はC市の夜景に目を向けた。闇の中、ネオンサインがまたたいている。「とても気が利くのね……そういう細かいところに気づく男性はあまりいないわ」
「裕也に教わったんだ。細かいところに気を配るようにって」彼は微笑んだ。「子供ってのは、四六時中、目を離せないからね」
『やめてよ、なんでそんなに思いやりがあるの? 集中するのよ、絵里。これは全部、演技なんだから』
ウェイターがワインを運んできた。私の好きな銘柄だ。そんなことまで覚えていたの?
「カベルネ、だよね?」と悟が言った。「前に言ってたから」
私の手は、微かに震えた。今だ。彼が見ていない隙に、グラスに毒を滑り込ませる……
だが、その時、彼が話し始めた。
「両親は、あいつがまだ赤ん坊の時に交通事故で死んだんだ。俺はまだ二十二歳で、子供の育て方なんてまったく知らなかった」悟の視線が遠くを彷徨う。「あいつが一歳の頃、毎晩泣き声が聞こえるんだ。『ママ』って呼ぶんだけど、俺にできるのは抱きしめることだけ。本当に無力だった」
私の手はハンドバッグの上で凍りついた。「それは……想像を絶するほど大変だったでしょうね……」
「だが、あいつが俺を救ってくれた。俺に、生きる理由を与えてくれたんだ」彼の眼差しは、私がこれまで出会った誰よりも、純粋で、そして重かった。「家族こそが、人生のすべてだ……そう思うだろう?」
『いいや、嘘よ。人殺しに本当の感情なんてあるはずない……でも、あの目は……』
私は密かにバッグの中の小瓶に手を伸ばした。まさにそれを取り出そうとした、その時.......
「全員伏せろ! 財布とスマホを今すぐ出せ!」
マスク姿の男二人が、銃を振りかざしながらレストランに押し入ってきた。即座に悲鳴が上がり、誰もがテーブルの下に飛び込んだ。
私は凍りついた。
だが、悟は違った。
彼の反応は電光石火だった。銃を持った男たちが現れたのとほぼ同時に、私を庇い、自分の背後に引き寄せた。
「動くな。俺の指示に従え」彼は私の耳元で、落ち着き払った声で囁いた。
「どうするつもり?」彼の心臓の鼓動が伝わってくる。力強く、安定している。
「君を守る」
簡単な言葉。シンプルだが、力強い。
次に起こったことは、まるでアクション映画のようだった。悟は銃を持った男の一人の不意を突き、一瞬で取り押さえた。その動きはプロのもので、正確無比、一切の無駄がない。二人目の男が反応する間もなく、悟はそいつも武装解除していた。
すべては二分も経たずに終わった。
『銃を突きつけられて、彼の最初の本能は、私を守ること……』
警察はすぐに到着し、男たちを連行していった。レストランの支配人が何度も謝罪し、食事代は無料だと言ったが、私には何も頭に入ってこなかった。
ただ、悟を見つめていた。
「大丈夫かい?」彼は私の両手を取り、心配そうな目で覗き込んできた。
私は頷いたが、心の中は完全な混乱状態だった。殺そうとしていたこの男に、命を救われたのだ。
真夜中。私はアパートの鏡の前に一人で立っていた。
赤いドレスは脱ぎ捨て、化粧も落とした。鏡に映る自分を見つめる――青白く、混乱し、葛藤している顔。
『今夜、彼は私の命を救った。そして私は、彼を殺しかけた』
ドレッサーへ歩み寄り、小さな小瓶を手に取った。透明な液体が光を捉え、まるで私の躊躇いを嘲笑っているかのようだ。
『いいえ、これが彼の受けるべき報い。彼は両親の命を奪ったんだから』
だが、悟の言葉が頭の中でこだまする。「家族がすべてだ」
そう言った時の彼の眼差し……あれは演技ではなかった。あんな真実味を偽れる人間などいない。
『でも……もし彼が本当に無実だったら?』
私は激しく頭を振った。いや、ありえない。警察の報告書は明白だった。執行警官、黒木悟。彼が引き金を引いた。彼が私の両親を殺した。
でも今夜、彼は私を守ることを躊躇わなかった……
突然、携帯が鳴った。
三年間、友人として私を慰めてくれていた直樹刑事からのメッセージだった。
【どうだった? ご両親に奴らがしたことを忘れるな。明日は三回忌だぞ】
三回忌。
その言葉で、一瞬にしてすべての記憶が洪水のように蘇る。雨の夜、警察がモーテルの一室のドアを蹴破ってきたこと。母の悲鳴、私たちを守ろうとした父の必死の眼差し。そして銃声、飛び散る血飛沫、クローゼットの中で身を寄せ合い、どうしようもなく震えていた私とトミー。
引き金を引いた警官は、悟だった。
『そうだ。忘れかけていた。両親はあんなにも惨たらしく死んだんだ。少しの甘い言葉に騙されてはいけない』
スマホを強く握りしめると、血管に再び炎が燃え盛るのを感じた。
今夜の優しさも、庇ってくれたことも、何もかも、すべては偶然。彼が人殺しであるという事実は、何一つ変わらない。
私は毒の入った小瓶を手に取る。その瞳には、再び冷たい炎が宿っていた。
「次は躊躇わないわ、黒木悟」夜空に向かって、私は囁いた。「あなたは一度私を救ったけれど、自分自身は救えないのよ」







