第1章

 黄色い規制線の傍らに立ち尽くし、制服警官たちの肩に雪が降り積もる様を眺めていた。

 彼らは足踏みをして暖を取り、吐き出す熱気は白い霧へと変わる。だが私にはもう、そんな温かな息を吐くことなど叶わない。

 数フィート先、薄暗い路地裏に、錆びついた業務用のゴミ箱が口を開けている。

 収集車の後輪のそばで、一人の清掃員が嘔吐していた。

 私を見つけたのは彼だ。

「道を空けろ! 高沢警部補が到着したぞ!」

 一人の警官が怒鳴る。

 私の心臓――あるいは、かつて心臓があった場所が、一瞬だけ鋭く痛んだ。

 お母さんが来た。

 車のドアが開き、高沢美紀が姿を現す。

 仕立ての良いグレーのトレンチコートを纏い、ブロンドの髪は後頭部できっちりと厳しいシニヨンにまとめられている。

 彼女はいつものように、完璧で隙がない。

「残業する価値のあるヤマだと言ってくれよ、鈴木」

 彼女はそう言った。

 相棒の鈴木は、冬眠から目覚めたばかりの熊のような大男だ。

 彼は顔を曇らせる。

「酷い状況だ、高沢。清掃員が黒いゴミ袋の中に胴体を発見した。脚は別の袋だ。頭部なし。両腕もなし」

 高沢は眉をひそめ、苛立ちを隠そうともしない。

 彼女は青いラテックスの手袋をはめながら、「また半グレの内輪揉めか? それともヤクザの見せしめか?」と吐き捨てる。

「組の仕業じゃなさそうだ」鈴木は彼女のために規制線を持ち上げた。

「切断面が……雑だ。それに、ホトケは随分と若い」

 私は、お母さんが私を真っ直ぐに通り抜けていくのを見ていた。彼女は私の魂を踏み越えていった。

 けれど、彼女の足が止まることはない。

 大股でゴミ箱の前まで歩み寄り、中を覗き込む。

 私は吸い寄せられるように、ふわりと近づいた。

 袋は開かれている。

 黒いビニールに縁取られたその蒼白な皮膚は、ほとんど青ざめて見えた。

 それはまるで、あざで描かれたキャンバスだった――紫、黄、黒。

 私の人生における、最後の七十二時間の地図。

「女性だな」高沢の視線は機械のように冷徹に、散乱した四肢をスキャンしていく。

「気温が低いせいで腐敗は遅れている。死後七十二時間は経過していると見る」

 鈴木は手帳を取り出し、そばにいた制服警官に尋ねた。

「三日か。このあたりで失踪届は?」

 高沢は鼻を鳴らし、ペンの先で袋の端を小突いた。

「この場所を見ろよ、鈴木。ここは南区だぞ。家出少女がたむろして、一日中遊び歩いてるような掃き溜めだ。親だって通報なんかしやしない。一年の半分は、自分のガキがどこにいるかも把握してないような連中さ」

「言い過ぎだぞ、高沢」鈴木がたしなめるように言う。

「統計の話をしているんだ」彼女は冷ややかに反論した。

「班を一つ出してシェルターを当たらせろ。いつもの客層を探すんだ――家出人、ドロップアウトした連中、父親に大人になったことを証明しようと必死な反抗期のガキ共をな。こういう手合いは好き勝手に遊び回って、今回はそのツケを払わされたってわけだ」

 彼女は言葉を切り、襟元の雪を払いのける。

「まるで、ウチの娘みたいにな」

 その場の空気が凍りついたようだった。

 数人の警官が気まずそうに視線を交わす。

 彼女の口から暗に示された私の名は、魂さえも震え上がらせた。

 彼女は私の話をしている。

 だが被害者としてではない。

 彼女の顔に泥を塗る、汚点としてだ。

「美弥ちゃんのことか?」鈴木は顔を上げ、咎めるような口調になる。

「高沢、母親としてそんな言い方はよせ。あの子はいい子じゃないか」

「出任せを言ってるんじゃない」高沢の声のボルテージが上がった。

「事実に基づいているだけだ。あの子には、あのクソったれな父親の血が流れてるんだよ。嘘つきで、見栄っ張りで、狡猾。全部遺伝だ、鈴木。あの男は浮気相手のために妻と娘を捨てた無責任な野郎だったが、美弥はまさに奴の生き写しさ」

 彼女は深く息を吸い、ここ数日溜め込んでいた怒りをぶちまけた。

「あの子はもう三日も家に帰ってない。理由はなんだと思う? 私が絵理の勉強を見てやれと言ったからだ。それが嫌で外に隠れて、私を慌てさせようとしてるのさ。だが、そうはさせない」

 私は黙って彼女の瞳を見つめた。私の身を案じる色がほんの少しでもないかと探し求め、彼女の肩を掴んで揺さぶりたい衝動に駆られる。

『ここにいるよ、お母さん! 家出なんかしてない!』

 けれど、声は出ない。

 とうの昔に、言葉を失ってしまったから。

 私はもう、死んでいるのだ。

「この遺体だが」鈴木は居心地が悪そうに、話題を死体へと戻そうとする。

「生前、酷い暴行を受けている。高沢、切断されたパーツの傷を見てくれ。彼女は縛られていたようだ」

 高沢は瞬き一つしなかった。

「馬鹿な遊びには、馬鹿な結末がつきものだ。指令センターにもう一度確認させろ。この辺りで本当に通報はないのか?」

 しばらくして、鈴木の無線機からオペレーターのノイズ混じりの声が響く。

『ありません、警部補。今週、南区第四管区において該当する特徴の失踪者報告はゼロです』

 高沢の顔が瞬時に曇る。だがその怒りの矛先は犯人ではなく、被害者の親へと向けられていた。

「信じられない。これだから今の親は。この街の民度はどうなってるんだ。たとえこの娘が不良だとしても、ここまで放置するか? 親を名乗る資格もない」

 私はそこに立ち、彼女の正義感に満ちた横顔を見つめていた。

 でもね、お母さん。三日帰ってない私も、誰にも捜索願を出されていないよ。

 その時、高沢が腕時計に目をやり、怒りの表情を焦りへと変えた。

「よし、ここは任せた。私はもうすぐ抜ける」

「抜ける?」鈴木が呆気にとられる。

「遺体発見から十分も経ってないぞ」

「絵理の学校で用事があるんだ。遅れるわけにはいかない」

 彼女が車のドアに手をかけた瞬間、ポケットの私用携帯が鳴った。

 高沢はディスプレイを見て、さらに眉間の皺を深くする。

「美弥のカウンセラーだ」彼女は苛ただしげに通話ボタンを押し、刺々しい声を出した。

「もしもし? 美弥の不登校の件なら、私の時間を無駄にさせないでちょうだい」

 電話の相手が何かを言ったようだが、高沢は鼻で笑った。

「あの子がどこにいるかなんて知らないわよ。好きにさせればいい。どこほっつき歩いて野垂れ死んでるか知ったことじゃないわ。どうせ金が尽きたら、のこのこ帰ってくるに決まってる」

『お母さん、私はここで死んでるの! 目の前のゴミ箱の中にいるのよ! 遊び歩いてなんかない、本当に帰れないの!』

 当然、高沢には聞こえない。

 それどころか、彼女は通話を切ろうとしていた。

 直後、再び画面が明るくなり、新たな着信が割り込む。

 画面には『絵理』の名前が踊っていた。

 高沢の顔を覆っていた氷の仮面が、一瞬にして溶け落ちる。その変わり身の早さは、見ていて背筋が凍るほどだった。

 彼女は電話に出る。滴り落ちるほどに甘く、優しい声で。

「なぁに、絵理? どうしたの?」

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