第3章

 高沢は学校での用事を済ませ、車で帰宅した。

 ここには腐臭を放つゴミ箱も、風に靡く黄色い規制線もない。あるのは手入れの行き届いた植え込みと、ジョージア様式の邸宅を覆う一点の曇りもない新雪だけ。

 ここは、彼女が自らの手で築き上げた聖域なのだ。

 私は彼女の背後から、あの重厚な無垢材のドアをすり抜けた。

 屋内の暖気が、ふわりと押し寄せてくる。

 空気には高級なシダーウッドのアロマと、ローストビーフの香ばしさが満ちていた。暖かく、陶酔を誘う香り。

 けれど私にはわかっている。私がここに属していたことなど、一度たりともなかったのだと。

 義父の正郎がソファに座っていた。

「お帰り」

 寒気と疲労を纏って入ってきた高沢を見上げ、正郎が言った。

「美紀」正郎の声が、その場の安らぎを遮った。彼はリモコンをテレビに向けた。

「ニュースを見たか? この辺りの地方局はどこもこの話題で持ちきりだ」

 高沢は顔も上げなかった。

「私は現場で生計を立てているのよ、正郎。ニュースなんて見る必要ないわ」

「いや、これを見てくれ。連続殺人鬼の話だ。メディアは『レインコート・キラー』と呼んでる。また死体が見つかったらしい」

 テレビ画面では、深紅の速報テロップが点滅していた。『南区バラバラ殺人事件、容疑者潜伏中! 全域で捜索開始!』画面の半分を占めているのは、フード付きのレインコートを着た男の似顔絵。その横には地図が表示されている――まさに今、高沢が後にしたばかりの路地裏だった。

「ええ、そこから戻ったところよ」

 高沢は気のない様子で答えると、立ち上がってバーカウンターへ向かい、ウォッカをグラスに注いだ。氷は入れない。

「ゴミ箱から身元不明の女性の死体が見つかったわ。どうせまた娼婦でしょうね。金曜の夜の、いつものゴミ掃除よ」

「犯人は若い学生ばかり狙っているそうだ」

 正郎の口調から軽さが消え、焦燥が滲んだ。彼は前屈みになり、肘を膝についた。

「美紀……美弥が、まだ帰ってこないんだ」

 私の名前を聞いた瞬間、グラスを運ぶ高沢の手が空中でぴたりと止まった。

「それが?」

「それがって、もう三日だぞ」正郎が言った。

 彼は争いごとを好むタイプではなく、普段は高沢の言いなりだ。だが今ばかりは、彼も不安を隠せないようだった。

「火曜の晩飯にも戻らなかった。水曜もだ。彼女の部屋は空っぽなんだぞ」

「あの子はもう十八よ、正郎。法律上は成人だわ」高沢は強い酒を一口含んだ。

「ただの反抗期よ。週末に絵理の歴史の勉強を見てやるよう言ったら、発狂したの。私への当てつけね。どうせ今頃、どこかの悪友の家に転がり込んで、私が電話して泣きつくのを待ってるのよ。ふん、そんな心理ゲームに付き合う気はないわ」

「だが、外には殺人鬼がうろついている……」正郎は窓の外に目をやった。吹雪がガラスを叩きつけている。

「電話してみるべきじゃないか? 確認だけでも」

「あの子のそういう小賢しいところが一番鼻につくのよ」

 高沢はニュースから背を向けた。テレビでは最新の被害者がいかに無残に解体されたかが語られている。

「冷淡で、自分勝手。今頃きっと安っぽいファミレスにでも座って、私たちが心配してるところを想像して笑ってるに決まってるわ」

「しかし万が一……」正郎は食い下がろうとしたが、沸騰した湯さえ凍りつかせそうな高沢の視線を浴びて、口をつぐんだ。

 高沢は冷ややかに笑った。

「正郎、あの子の人間性をよく見てみなさい。美弥はあのネズミみたいな父親にそっくりよ。どうすれば上手く生き延びられるか、誰よりもよく知ってる。もし本当に殺人鬼に出くわしたとしても、逆に犯人の財布を巻き上げてるんじゃないかしら。それに、悪人に会ったら逃げるに決まってるでしょう?」

 私は天井近くを静かに漂っていた。

 そうね、彼女はずっとそう思っている。

 でも、お母さん。

 今回ばかりは。

 私は逃げられなかったの。

 ……

 さらに三日が過ぎた。

 私は寒風に吹き散らされることのない塵のように、警察署のオフィスを漂っていた。

 高沢はデスクに座り、あの南区で見つかった身元不明遺体の書類を扱っていたが、その心は被害者の身元確認にはあらず、もっぱら近づく市長主催のチャリティー晩餐会のために、どのドレスを選ぶかという点に向けられていた。

 それは正郎の会社の上場を祝い、さらには絵理を社交界にデビューさせるためのものだった。

 ネットサーフィンの楽しみを、電話のベルが破った。

 私が掛け持ちしていた三つのバイト先の一つ、カフェ『ザ・グラインド』からだ。

 高沢は眉をひそめて受話器を取った。

「刑事さん、美弥さんが働いている店の店長の佐藤です」電話の向こうの声は焦っていた。

「お忙しいのは重々承知ですが、美弥さんがシフトに来ないのはこれで三回目なんです。彼女は遅刻なんてしないし、ましてや無断欠勤なんて……。もしかして、重い病気にでもなったんじゃないかと」

 高沢は呆れたように目を回し、苛立ち紛れに指でデスクを叩いた。

「病気なんかじゃないわよ、佐藤さん。ただの癇癪よ。今時の女の子なんてそんなものでしょう? 家事から逃げるためなら失踪だってするわ。店に迷惑をかけて申し訳ないわね」

 私の魂はデスクをすり抜け、受話器に向かって叫びたかった。

『佐藤さん! 言ってやって! 私は彼女が言うような人間じゃないって!』

 向かいに座っていた警官が、声を聞きつけて顔を上げた。

 彼はすかさず身を乗り出し、スピーカーフォンに向かって言った。

「佐藤さん、最後に美弥さんを見たのは具体的にいつだ?」

「えっと……タイムカードを確認します」キーボードを叩く音が響く。「先週の金曜の夜です。給料日でした。彼女、すごく嬉しそうで、大切なプレゼントを買いに行くんだって言って着替えて出て行きましたよ。六日前のことです」

「六日前か」鈴木の表情が沈んだ。

「高沢、これはおかしいぞ」

 だが高沢は、まるで自説が証明されたかのように鼻で笑った。

「おかしいどころか、辻褄が合うわね、鈴木。給料日よ。現金を手にした、それが活動資金、あるいはパーティーへの入場券ってわけ。金を持って逃げて、散財してるのよ。金が尽きたら、尻尾を巻いて戻ってくるわ」

 彼女は電話に向かって言い放った。

「佐藤さん、あの子をクビにしてちょうだい。自分の行動には結果が伴うってことを、今回は思い知らせてやらなきゃ。私が必ず見つけ出すわ。信じて。連れ戻したら、一生忘れられないお灸を据えてやるつもりよ。二度と家の敷居を跨がせないくらいにね」

 その瞬間、怒りで歪んだ母の美しい顔を見て、私はついに絶望した。

『お母さん。あなたが疎ましがっているその死体が私だと気づいた時、あなたは一体どうするの?』

 高沢は電話を切ると、コートと車のキーを掴んだ。

「頭を冷やしてくるわ。ついでにその忌々しいカフェの周りでも回って、あのバカ娘を引っ張り出せるか見てくる」

 彼女は大股で署を出た。

 冬は骨まで凍みるほど寒く、空は薄汚れた雑巾のように灰色だった。

 道行く人々は足早だ。高沢が街角を曲がったところで、ふと足を止めた。

 路地の入り口に、ダークカラーのトレンチコートを着た男が立っていた。彼は他の通行人のように俯いて歩くこともなく、壁に寄りかかり、じっと高沢を見つめていた。

 その視線は湿っぽく、不快で、吐き気を催すような嘲笑を含んでいた。まるで、罠にかかる寸前の獲物を見るかのように。

 高沢の警戒レーダーが瞬時に反応した。多くの犯罪者を刑務所に送り込んできた重犯罪課の刑事として、彼女はこの手の不敬な視線を最も嫌う。

「何見てんのよ?」

 高沢は立ち止まり、腰の拳銃に手を添え、鋭い声で言った。

「署で茶でも飲みたいわけ?」

 男は何も答えず、ただ口の端を歪めて意味深な笑みを浮かべると、くるりと背を向けて闇に溶け込んだ。

「変態が」

 高沢は悪態をつき、追いかけて職務質問しようとしたその時、コートのポケットに入っていたプライベート用の携帯電話が狂ったように震え出した。

 高沢が携帯を取り出す。画面に躍る名前を見て、彼女の怒りは頂点に達した。

【美弥】

「ハッ!」

 高沢は短く冷笑すると、指で激しく通話ボタンをスワイプした。相手の声も待たず、六日間溜め込んだ怒りが火山のように噴火する。

「高沢美弥! やっと電源を入れる気になったのね!? 自分が面白いことしてるとでも思ってるわけ? 佐藤さんから何回電話があったと思ってるの? あんなはした金稼いだくらいで、外で好き勝手できると勘違いしないでちょうだい。いいから今すぐ戻って――」

「高沢……」

 電話の向こうから聞こえたのは、私の声ではなかった。

 いつも彼女の顔色を窺い、機嫌を取ろうとするあの声ではない。

 それは、男の声だった。

 高沢の罵声がぴたりと止む。

 彼女はその場で立ち尽くし、寒風がブロンドの髪を乱した。

「……誰? なんで娘の携帯を持ってるの?」

「高沢、切らないでくれ。私だ、鑑識の村木だ」

 高沢は眉をひそめた。その瞬間、彼女はまだ事態を理解できておらず、むしろ苛立ちを募らせていた。

「村木? 何の真似よ? どうして美弥と一緒にいるの? もしあんたがあの性悪娘の味方をして、私に取りなそうとしてるなら――」

「高沢、聞くんだ!」

 村木の声を低く沈んでいた。この冷静な技術者からは聞いたこともないようなトーンだ。

「我々は……我々は川から、赤いスーツケースを引き揚げた。中には衣類の断片と、水没した携帯電話が入っていたんだ」

 その瞬間、時間が凍りついたようだった。通りの喧騒が急に遠のき、曖昧になる。

 高沢の手が微かに震え始めたが、彼女はまだ理不尽な防衛本能にしがみついていた。

「それが? 今の子供は携帯なんてすぐ失くすわ。きっと盗まれて川に捨てられたのよ……」

「SIMカードを取り出して緊急復旧させたんだ」村木は彼女の言葉を遮った。その声は次第に小さくなり、続く言葉を口にするのを躊躇っているようだった。

「通話履歴を調べた。この携帯が一週間前に発信した最後の電話……つまり犯行時刻にかけられた電話だが……」

 私は高沢の目の前に立ち、彼女の瞳孔が激しく収縮するのを見つめていた。

 村木の声はまるで地獄からの判決文のように、受話器からはっきりと響いた。

「その電話は、繋がらなかった。だが登録名はこうなっていた――お母さん、と」

前のチャプター
次のチャプター