第2章
ヴィンセントが私の体の強張りに気づく。
「どうした?」
怪訝そうな声と共に、彼の腕に力が込められた。
それと同時に、あの香水の匂いが鼻をつく。
彼を突き飛ばしたかった。洗面所に駆け込んで、胃の中身をすべて吐き出してしまいたかった。あの女の匂いを全身に纏わせてから私を抱くなんて、どういうつもりなのかと問い詰めたかった。けれど私はただそこに立ち尽くし、彼に抱かれるがまま、這い上がってくる吐き気を必死に耐えることしかできなかった。
窓の外はすでに夜の闇に包まれている。かつては私の居場所だったはずのこの家が、今はひどく他人のもののように感じられた。
「そういえば」
ヴィンセントが体を離す。その顔には微かな笑みが浮かんでいた。
「メッセージで言ってたサプライズって、何だ?」
バッグの中にある診断書の存在が、脳裏をよぎる。
数時間前までは、この報告を見た時の彼の表情を想像して胸を躍らせていた。どう切り出そうか、どんな声色で、どのタイミングで渡そうかと、帰りの車中で何度もシミュレーションを重ねていたのに。
だが今、祝いの痕跡が散らばるこの家で、別の女の香水の匂いを嗅ぎながら、私は急に悟ってしまった。この知らせは、彼にとってもはや朗報などではないのだと。
彼にはもう、望んでいた子供がいる。血筋正しく、一族の期待に応える跡取りが。私のこの遅すぎる希望は、むしろ厄介事でしかない。
「なんでもないわ」私は言った。「ただ……あなたが気に入ってたレストランのテイクアウトを買ってきたの。車の中に置いてあるけど」
ヴィンセントが虚を突かれたような顔をした直後、ドアの外から騒がしい物音が響いてきた。
彼の後を追って廊下に出る。
階下は混乱の最中にあった。
数人の使用人が階段の登り口に集まり、その中心でヴィンセントの母が焦燥の色を浮かべている。セリーナはソファに座り込み、片手で額を、もう片方の手で腹部を庇うように押さえ、顔面蒼白になっていた。
「何があった!」
ヴィンセントが早足で階段を駆け下りる。
使用人の一人が駆け寄った。
「旦那様! セリーナ様が先ほど階段を降りる際に足を踏み外され、転落しそうになられたのです」
ヴィンセントの顔色が瞬時に変わった。
階段の途中で立ち止まっていた私には、痛いほどよく見えた。それは焦燥であり、驚愕であり――私が長いこと向けられることのなかった、純粋な心配の色だった。
「どこか痛むのか?」
彼はすでにセリーナのそばに駆け寄り、跪いて足首を確認していた。
「大丈夫よ、ヴィンセント」セリーナの声は弱々しく、今にも泣き出しそうだ。「ただ、少し驚いただけ……」
私は冷ややかに彼女を見つめた。
服に乱れはなく、髪も整っている。足首には赤み一つない。明らかに演技だ。
「ヴィンセント!」母親の声が響く。「ぐずぐずしないで! すぐに病院へ連れて行って検査させるのよ! もしお腹の子に何かあったら……」
「すぐに行く」
ヴィンセントは立ち上がり、私の方を向いた。
「セリーナを病院へ送ってくる」
まるでそれが当然の義務であるかのような口調だった。
「……行かないでくれない?」
その言葉は、自分でも驚くほど自然に口をついて出た。
ヴィンセントが硬直する。その顔に葛藤の色が走った。
ほんの一瞬だけ、私のためにすべてを捨てようとしてくれた男の姿が見えた気がした。病室で三日三晩、私の手を握り続けてくれた男。「君より大切なものなんてない」と言ってくれた男の姿が。
「馬鹿なことを言うな」
だが、彼の声はすぐに冷淡なものへと戻った。
「彼女は俺の子を身籠もっているんだぞ」
私は彼を引き止めようと手を伸ばした。指先が袖に触れた瞬間、彼は煩わしそうにそれを振り払った。
その動作は、あまりにも強かった。
よろめいた私は階段脇の柱に体を打ち付け、肩甲骨のあたりで鋭い痛みが炸裂した。
ヴィンセントはすでに背を向け、セリーナの方へ歩き出している。
「ヴィンセント……」
私の呼びかけに、彼は一瞬だけ足を止めたが、振り返りはしなかった。
「いい加減にしてくれ」彼は言った。「すぐに戻る」
そしてセリーナを抱き上げると、大股で玄関へと向かった。
私は柱に寄りかかったまま、彼らの後を追って忙しなく動き回る使用人たちを眺めていた。まるで私など、最初から存在しなかったかのように。
洗面所で肩の傷を手早く処置した。上着を脱ぐと、皮膚の下で青紫色の痣が広がり始めているのが見えた。
大したことはない。三年前の銃弾に比べれば、こんな痛みなど無に等しい。
なのに、どうして今回はこんなにも苦しいのだろう。
私は車を走らせ、病院へ向かった。
なぜかは分からない。ただ、確かめたかったのかもしれない。彼がかつて私にしてくれたように、彼女を看病するのかどうかを。あるいは、ただ答えが欲しかっただけなのかもしれない。
五階のVIP病室。私はドアのガラス窓越しに中を覗き込んだ。
ベッドに半身を起こしたセリーナからは、先ほどの「虚弱さ」は微塵も感じられない。ベッドサイドに座るヴィンセントは彼女の手を握り、私が長いこと見ていなかった優しい表情を浮かべている。
唇の動きまでは読めないが、濃厚な親密さが伝わってくる。かつては、私たちだけのものであったはずの空気が。
やがて彼が身を屈め、彼女の額にキスをした。
立ち去るべきだった。
けれど私の足は、床に縫い付けられたように動かなかった。
ドアが完全に閉まりきっていなかったのか、断片的な会話が漏れ聞こえてくる。
「ねえ、ヴィンセント」セリーナの甘えるような声。「あんなふうに彼女を置いてきて、本当によかったの? 彼女はあなたのために、母親になる資格を失ったのよ」
「彼女が俺のために傷を負ったことは分かっている」ヴィンセントの声は低く沈んでいた。「だが……俺は駄目なんだ。彼女の腹にあるあの傷跡を見るたびに、あの時期を思い出してしまう。あの暗く、血生臭かった日々を」
「自分でも最低だとは思う。だが、制御できないんだ」
「それに比べて君は」彼の声が慈しむような響きを帯びる。「君とこの子は、新しい始まりだ。汚れない、希望に満ちた未来なんだ」
私は冷たい壁に手をついた。
その瞬間、すべてを理解した。
私が命懸けで救ったあの男は、とっくに変わってしまっていたのだ。跡取りがどうこうという以前の問題だった。
彼は、変わることを選んだのだ。
彼は私の傷跡を疎むことを選んだ。それが自身の脆さを思い出させるから。
彼は私の苦痛から目を背けることを選んだ。それが罪悪感を刺激するから。
彼は新しい未来を抱きしめることを選んだ。そこには、直視すべき過去が存在しないから。
そして私は、切り捨てられた「過去」になった。
病院を出て、車の中で長い時間を過ごした。
やがてスマホを取り出し、彼の母親の番号をタップする。
「今度は何?」電話の向こうの声は、苛立ちに満ちていた。「いつまで駄々をこねるつもり?」
「離婚に同意します」
相手が息を呑む気配がした。
続いて、隠しきれない歓喜の声。「本当なの?」
「本当です」私は答えた。「ですが、条件があります」
「条件?」
「ここを去ります。誰にも、私の足取りを掴めないようにしてください」
電話の向こうで数秒の沈黙が流れた。
「三日よ」最終的に彼女はそう言った。「三日待ちなさい。そうすれば、あなたの望むものはすべて用意してあげるわ」
