第1章

とある国際空港。

江口美咲は手荷物を持って保安検査を通り過ぎながら、二十数年間過ごしてきた場所を振り返った。この街への未練が胸の中でほんの少し湧き上がる。

この街には良くない思い出も、素敵な思い出も残っている。新しい街で、新しい生活を始めよう。高橋隆司、これからはもう、君とは何の関係もない!彼女は心の中でそう言い聞かせた。

飛行機が滑走路をゆっくりと進む中、彼女の目から一筋の涙が零れ落ち、昨夜の出来事が蘇ってきた。

「江口美咲、よくも俺に薬を飲ませたな!」高橋隆司は異変に気付いた時、冷たい眼差しで、怒りを滲ませていた。

江口美咲は、薬の効果で顔を赤らめる男の姿を見つめながら、自分の服を脱ぎ、雪のような肌を露わにして、男のベッドに這い上がった。

「高橋様、今夜が過ぎれば、私たちはもう夫婦ではありません」江口美咲は細い指で高橋隆司の服を脱がせ、身を屈めて男の唇を奪った。

二つの裸体が触れ合い、江口美咲は全身がしびれるような、言葉では表現できない感覚に包まれた。

高橋隆司は彼女の手を押さえつけ、上に覆い被さると、歯を食いしばって言った。「いいだろう、望み通りにしてやる!」

下半身での衝突に江口美咲は激痛を感じ、唇を軽く噛みしめ、必死に堪えようとしたが、それでも涙は頬を伝って流れ落ちた。

身体の痛みより、心の痛みの方が遥かに大きかった。結婚式の時、高橋隆司が放った言葉が蘇る。「俺が娶りたかったのは藤原薫だ。お前なんかに俺の妻は務まらない!」

あの時、江口美咲は真摯に高橋隆司に尽くせば、必ず彼の心を開くことができると信じて、結婚という殿堂に足を踏み入れた。

しかし、高橋隆司との七年の結婚生活で、一度も彼女に触れることはなかった。

その夜が、彼女の初めての経験だった。

今夜が過ぎれば、もう高橋隆司に執着することもないだろう。

「声を出せ!なぜ声を出さない?これはお前が望んでいたことだろう?」高橋隆司の瞳には怒りが宿っていた。薬の効果がなければ、この女に指一本触れることもなかったはずだ。

今更、そんな可哀想な顔をされては吐き気がする!

江口美咲は目を潤ませながら、必死に声を抑えた。高橋隆司はさらに力を加えた。

痛みで江口美咲は唇を噛み破り、血の味が口の中に広がった。

高橋隆司、私は君にとって何なの?

この七年間の君への思い、石ころだって温もりを帯びるはずでしょう?

彼女の涙が枕を濡らす。自分の誕生日に、高橋隆司が仕事を口実に、実は別の女性と花火を見ていたことを思い出した。あの時、もう諦めるべきだと悟ったのだ。

そんなに彼女を愛しているなら、二人を成就させてあげる。

江口美咲は目を閉じ、嵐がより激しく襲いかかることを受け入れた。

翌朝、高橋隆司が目を覚ました時、最初に思い浮かんだのは江口美咲を殺してやりたいという衝動だった。

高橋グループの社長である自分が、まさかあの女に計略にかかるとは。絶対に許すわけにはいかない。

部屋中を探したが、女の姿は見当たらなかった。

起き上がった途端、ベッドの枕元に置かれた離婚協議書と江口美咲からのメモが目に入った。

「高橋様、これが離婚協議書です。君を解放します。探さないでください。私はもう去ります。——江口美咲」

「なるほど、あの女、随分と手際が良くなったものだ!」高橋隆司は冷たい眼差しを向け、ベッドの上の書類を怒りに任せて引き裂き、床に投げ捨てた。

まず薬を使って関係を持ち、今度は家出という手段か。自分が甘やかしすぎたから、こんなにも図に乗るようになったのだ。

高橋隆司は急いで服を着ると、怒りに任せて階下に降り、冷たく言い放った。「田中!江口美咲を見なかったか?」

「高橋様、奥様は朝早くに荷物をまとめて出かけられました」執事の田中は高橋隆司の険しい表情を見て、言い終わるとすぐに頭を下げ、次の瞬間に怒りが爆発するのを恐れた。

高橋隆司はその言葉に一瞬固まった......

六年後。

とある研究室内。

江口美咲は三日三晩に及ぶ実験を終え、白衣を脱ぎながら手を洗っていた。

頭の中には二人の子供たちの笑顔が浮かんでくる。数日会えていないが、自分のことを想ってくれているだろうか。

ここ数日家に帰れていないから、きっと長々と騒ぐことだろう。でも、疲れながらも幸せだと、江口美咲は幸せそうな笑みを浮かべた。

六年前に高橋家を出た後、留学に出たのだが、まさか妊娠していたとは!

最初は堕胎しようと考えたが、病院で検査を受け、検査結果に映る小さな胎嚢を見た時、躊躇った......

よく考えた末、子供を産むことを決意した。双子の男の子で、一人は陽、もう一人は健太と名付けた。

江口美咲が部屋を出ると、助手の松本千夏が近づいてきた。「江口先生、お出になられましたか。加藤先生がお呼びです」

その言葉に、江口美咲は眠気が吹き飛んだ。加藤先生は普段呼び出すことはないが、呼び出される時は決して良いことではない。

「加藤先生は何か仰っていましたか?」江口美咲は探るように尋ねた。「もしかして、あの二人の小悪魔がまた何かやらかしました?」

松本千夏は同情的に答えた。「おそらくは...」

上司はどこをとっても素晴らしい人だった。仕事能力は高く、真面目で細やかで、若くして医学界の重鎮である加藤景弘の愛弟子となり、一度も加藤先生を失望させたことがない。加藤先生も高く評価し、心配をかけることもなかった。

唯一の難点は、二人の小悪魔を産んでしまったことで、ちょっとしたことですぐに騒動を起こしてしまう。

江口美咲の表情が曇るのを見て、松本千夏は慌てて慰めた。「今回は先生が三日三晩も研究室にこもっておられたので、お子さんたちも三日間もお会いできなかったわけですから、少々機嫌が悪くなるのも当然です。お二人とも先生のことを心配して、お体を壊されないかと。普通の人なら三日間も研究室に籠もりっきりなんてことはありませんからね」

松本千夏はそう言いながら、江口美咲に深い敬意を抱いていた。

若くしてこれほどの成果を上げられたのも納得できる。彼女のような精神力を持った人は稀だった。

子供がいることで、人生は色とりどりになり、大変でもあり幸せでもある。彼女も二人の子供たちが大好きだった。

慰めの言葉を聞きながらも、江口美咲は二人の小悪魔の代わりに叱られることを思うと、どことなく身が縮む思いだった。

江口美咲はそんなことを考えながら、加藤先生のオフィスへと足を向けた。

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