第1章
「白峰町へようこそ」の看板は、五年前と寸分違わぬ姿でそこにあった。色褪せたペンキも、どこかの悪ガキが標的にしたらしい弾痕も、誰も直そうとしない傾き具合も、すべてが昔のままだった。
私はハンドルを握る手に力を込め、深く息を吸い込んだ。山の空気は、父さんがよく言っていたように、今も松の香りと希望の匂いがした。ああ、父さんに会いたい。
五年。私がこの町を飛び出したのは十七の時だった。十代の心には重すぎる悲しみから逃げるようにして。父の葬儀、人々が向ける憐れみの視線、空っぽになった家に満ちる、押し潰されそうなほどの静寂。あの頃の私にとって大阪は救いだった――まばゆい光と雑踏に紛れれば、誰も高瀬遥のことなど知らないし、その悲しい身の上話にだって興味を持たない。
そして今、私は戻ってきた。その覚悟が本当にできているのか、自分でも分からなかった。
目の前にはメインストリートが伸び、見慣れた店構えが記憶の洪水を引き起こす。三浦金物店の歪んだ日除けは相変わらずだ。図書館は記憶の中より小さく見える。そして、佐藤薬局と、かつて恵子さんのブティックがあった場所に挟まれるようにして、ひだまりは建っていた。
私への遺産。私の責任。そして、私がようやく故郷に帰るための、きっかけ。
喫茶店の前に車を停め、窓枠の周りの剥げかけたペンキをじっと見つめた。高瀬のおばあちゃんがこの店を私に遺してくれたのは六ヶ月前。添えられたメモには、ただ一言、「もう逃げるのはおよし、遥」とだけ書かれていた。いつもああやって、単刀直入に核心を突く人だった。
店に入ると、ドアの上のベルが聞き慣れた音を立てた。内装は記憶と違っていた――誰かがテーブルを動かしたのだろう、レジの近くには新しいディスプレイケースが置かれている。けれど、匂いは同じだった。コーヒー豆とシナモンの香りに、時が止まったような懐かしさを感じさせる、あの古い木の香りが混じっている。
「遥? まさか、高瀬遥ちゃん!」
振り返ると、カウンターの向こうで長谷川のおばさんが興奮を隠しきれない様子で立っていた。私が中学生の頃からここで働いている人で、どうやら変わらないものもちゃんとあるらしい。
「こんにちは、長谷川さん」私はなんとか笑顔を作った。「ただいま、戻りました」
「まあ、本当に遥ちゃんね! 高瀬おばあさんさんはいつか帰ってくるって言ってたわ。この土地の血が体に染みつきすぎてて、ずっと離れてはいられないはずだって」
店内に点在していた数人の客が、一斉にこちらに視線を向けていた。見覚えのある顔もいくつかある――高校の同級生だった富田誠、スーパーの三浦のおばさん、名前は思い出せないけれど、あの値踏みするような表情には間違いなく見覚えがある女性が二人。
「コーヒー淹れる?」長谷川さんが、すでにマグカップに手を伸ばしながら訊いた。
「お願いします」カフェインと、慣れ親しんだ何かがもたらす安らぎが必要だった。
彼女がコーヒーを注ぐ間、ひそひそ話が始まった。あからさまに聞こえよがしではないが、聞き逃すほど小さくもない声で。
「高瀬おばあさんんのお孫さんよ……」
「あの子が出て行ったのは、あのことがあってから……」
「大阪に住んでたって聞いたけど……」
「昔、確か……」
胸が締め付けられる。この、誰もが他人の事情を知りたがる小さな町では、噂がどれほど速く広まるかを忘れていた。そして、その噂の的になるのがどれだけ疲れることかも。
長谷川さんが、同情的な表情でマグカップをカウンター越しに滑らせてくれた。「気にしちゃだめよ。みんな、ただ懐かしいだけだから」
懐かしい、ね。私はコーヒーを一口すすり、彼らの視線の重みを無視しようと努めた。
「それで」と、私は必要以上に大きな声で言った。「このレイアウト、少し変えようかと思ってて。テーブルを動かしてスペースを広くしたり、ライブミュージックの夜を設けたりとか……」
ざわめきが大きくなった。
「ミュージックナイト? ここで?」
「本気なの?」
「ここは都会じゃないんだから……」
本気で逃げ出そうかと考え始めたその時、ドアのベルが再び鳴った。作業靴が立てるような重い足音が、すり減った木の床を横切ってくる。
「遥じゃねえか、おい」
振り向くと、息が止まった。戸口に立っていたのは野崎剛。身長188センチの大柄な体に消防署の制服をまとい、見たこともないような満面の笑みを浮かべている。
「剛!」声が震えたが、そんなことはどうでもよかった。私は考えるより先に彼に飛びつき、彼は私を軽々と抱き上げて、熊のようなハグで受け止めた。
「ったく、見ろよ」彼は私を床に降ろしたが、手は肩に置いたままだった。「すっかり大人になっちまって。まあ、相変わらずチビだけどな」
「うるさい」私は彼の腕を叩いたが、ここ数週間で初めて笑っていた。「あなたもいい感じよ。老けたけど」
「そりゃどうも?」彼は子供の頃のように私の髪をくしゃくしゃにかき混ぜた。その瞬間、私は子供の頃に戻った気分だった。まるで過保護な妹のように、彼や他の男の子たちの後を町中ついて回っていたあの頃に。
ひそひそ話は完全に止んでいた。喫茶店にいる誰もが、驚きから、明らかに非難の色を浮かべた表情まで、様々な顔で私たちを見ていた。彼らの考えていることが手に取るように分かった。『また始まったわ。男の人と親しくするのが好きなのね』
剛はそんな観衆に気づいていないようだった。「マジで戻ってきたのか? 今度はちゃんと?」
「そのつもり」私は店内を指し示した。「高瀬のおばあちゃんがこの店を遺してくれて。そろそろ逃げるのも終わりかなって」
「やっとだな。寂しかったぜ、遥。みんな」
彼の優しい声に、胸が熱くなった。この人たち――剛、一成、直樹――彼らは、私の家族がバラバラになった時、家族のようにいてくれた。この町を離れるのが一番辛かったのは、彼らのせいだった。
「私も会いたかった」私は静かに言った。
剛の表情が真剣なものに変わる。「調子はどうだ? 本当のところ」
私が答える前に、ひそひそ話が再び始まった。今度はさらに執拗に。
「あの子の触り方を見て……」
「沙羅ちゃんが可哀想。もし見てたら……」
「性根は変わらないのね……」
顔が熱くなった。そうだ。そのことも忘れていた。白峰町では、女の子が幼馴染と親しくしただけで、みんなから色々と勘繰られるのだ。
「それでね」私はさりげなく一歩下がり、周りに配慮して言った。「家具の配置を変えようと思ってるの。イベント用に、もっとオープンなレイアウトにするとか。ライブミュージックの夜なんてどう思う? アコースティックのセットで、地元のアーティストとかを呼んで……」
私が計画の概要を説明すると、剛は目を輝かせながら頷いた。彼はいつも私の無茶なアイデアを応援してくれた。子供の頃、私の計画が大抵みんなを面倒に巻き込むことになると分かっていても。
「いいじゃねえか」と彼は言った。「この店には活気が必要だったんだ。それに、お前は昔から、人が何を求めてるか見抜く勘が良かった」
少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。私が戻ってきたのは、このためだった。理解されているというこの感覚、故郷にいるというこの感覚のために。
「この辺のテーブルをこっちに動かして」私は窓の方を指しながら続けた。「それで、あの角に小さなステージエリアを作るの。大げさなものじゃなくて、ギターとマイクが置けるくらいの小さなスペースがあれば……」
ドアのベルが、また鳴った。
見知らぬ男だった。
