第3章

「剛臣、教えて。烏丸美雪って、誰?」

剛臣(たかおみ)の動きが、瞬時に凍りついた。あの完璧な微笑みが、仮面のように顔に張り付く。数秒の間を置いて、彼はいつもの表情を取り繕ったが、その瞳の奥に走った鋭い警戒の色を、私は見逃さなかった。

「何のことだい?」

声は相変わらず優しかったが、そこにあったはずの自然な温もりは完全に消え失せていた。

「妊娠五週目。今朝、クリニックでエコー検査を受けてる」

私は一語一語、意識して告げた。彼の顔から仮面が剥がれ落ちていくのを、じっと見つめながら。

剛臣の眼差しが一変した。あの甘やかな優しさは跡形もなく消え去り、今まで見たこともないような冷徹さが取って代わる。彼はゆっくりと私の向かいの椅子に腰を下ろすと、ポケットからタバコの箱を取り出した。

「俺をつけたのか?」

彼は冷ややかな笑いとともに、タバコに火をつけた。

「質問に答えて!」

吐き出された紫煙が彼の顔の前で揺らめき、その輪郭を曖昧にする。煙が晴れた時、そこにいたのは私の知る剛臣ではなかった。まるで赤の他人がそこに座っているようだった。

「いいだろう」彼は深く煙を吸い込んだ。「お前が真実を知りたいと言うのなら」

これが、彼の本性か。背筋を凍りつくような悪寒が駆け上がった。私がいかに徹底的に欺かれていたかを思い知らされたからだ。

「大悟がこう言ったんだ。美雪に跡取りを産ませるか、それともお前が消えるか、とな」

剛臣の口調は、まるで明日の天気を語るかのように軽かった。

「事故なんていくらでも起きるだろう? 特に、この街ではな」

「それで……彼女を孕ませることを選んだの?」

「俺は、お前を生かす道を選んだんだ」彼は指先で灰を弾いた。「それで十分じゃないか?」

私を生かす、だと。その皮肉に、乾いた笑いが込み上げてきそうだった。彼は大悟から私を守っているつもりなのだろうが、私の体はとっくに病魔――癌に蝕まれているというのに。

「私たちの子供は?」声が震えた。

「大悟はそのことを知る必要はない」

剛臣は立ち上がり、私を見下ろした。

「感謝してほしいくらいだぜ、真琴。手っ取り早く大悟にお前を処理させることだってできた。だが俺は、そうしなかった」

私もふらつく足に鞭打って立ち上がった。

彼は呆れたように首を振った。

「強者は強者を求める。それが自然の摂理だ。組織が必要としているのは『強い』の血統であって、野良犬を拾って回るような女の血じゃないんだよ」

一語一句が、ナイフのように心臓に突き刺さる。

「命を救うことが、弱さだと言うの?」

「こっちの世界では、そうだ」

剛臣が一歩、私に近づく。その冷たい眼差しに、思わず身がすくんだ。

「お前のその優しさが、いつかお前自身を殺すことになる」

私の優しさ。脳裏に、今まで救ってきた動物たちの姿が浮かんだ。私を信じ切った瞳、感謝を伝えるように鳴らす喉、振られる尻尾。慈愛の心を持つことは、それほどまでに致命的な欠陥なのだろうか?

「美雪は俺の生きる世界を理解している。お前には一生無理だ」彼は続けた。「彼女は強さとは何か、生き残るとはどういうことかを知っている。だがお前は……」

彼は私を頭の先からつま先までねめ回した。

「弱い動物を拾っては、ただ感情的になっているだけだ」

「弱くたって、小さな命よ!」私はついに感情を爆発させた。「あの子たちにだって、生きる権利はあるわ!」

「ハッ!」

剛臣は残酷な笑みを浮かべた。

「見ろ、それが俺の言っていることだ。お前の目には、弱者にすら価値があるように映る。だがな、現実の世界じゃあ強者が弱者を喰らう。それが真実なんだよ」

「数ヶ月だ」唐突に、彼が言った。

「え?」

「美雪と俺の関係は、もう数ヶ月になる」彼はタバコを灰皿に押し付けて消した。「彼女の妊娠は事故じゃない。計画的なものだ」

私は倒れそうになる体を支えようと、ソファの肘掛けを強く握りしめた。

数ヶ月。私が二人の未来を思い描き、いつか授かるかもしれない家族を夢見ていたその裏で、彼はとっくに、他の誰かとその未来を築き上げていたのだ。

「お前はずっと、完璧な“隠れ蓑”だったよ、真琴」

剛臣はドアの方へと歩き出した。

「優しくて、無邪気で、決して余計な詮索はしない。おかげで俺は、外の世界からはまともな人間に見えていたわけだ」

「大悟もこの手はずには大いに満足しているよ」彼はドアの前で立ち止まり、振り返った。「ふさわしい跡取りに、完璧な隠れ蓑……誰もが『剛臣は身を固めた』と信じ込んでいるからな」

完璧な隠れ蓑。彼にとっての私は、それだけの存在だったのだ。彼の入念な欺瞞工作における、ただの便利な小道具に過ぎない。

「私を愛してなんて、いなかったのね」

それは問いかけではなく、確認だった。

「愛?」剛臣はその言葉が滑稽でたまらないといった様子を見せた。「愛なんてものは、余裕のある奴の道楽だ。俺に必要なのは同盟、利益、そして遺伝子を残すための最良の選択だけだ」

胸に鋭い痛みが走った。心臓を引き裂かれるような痛みだ。遺伝子を残す、か。私の体の中で育っているこの子は、父親に愛されることもない。そして私も、この子が初めて歩く姿を見ることはできない。その一方で、剛臣はすでに別の女の赤ん坊と未来を築こうとしているのだ。

「この状況をぶち壊そうなんて考えるなよ」

剛臣の声が、唐突に危険な響きを帯びた。

「さもないと、大悟が『報い』ってやつを教えてやることになる。お前だけじゃない。お前の保護施設も、従業員も、お前に関わる全ての人間が対象だ」

彼は私を脅している。かつて愛した男が、私を殺すと脅しているのだ。だが、今の私にとって『死』の重みは以前とは違っていた。

死ぬこと自体はもう怖くない――私はすでに死に向かっているのだから。私が恐ろしいのは、誰の守りもないこの世界に子供を残していくことだ。剛臣が認知してくれるかもわからず、あまつさえ大悟に脅威とみなされるかもしれない、この状況で。

「あの人の影響力はこの街全体に及んでいる」彼は続けた。「火事か、事故か、それとも単なる失踪か――どれがお好みだ?」

癌がすでに私の代わりにその選択をしてしまったと、喉まで出かかった。細胞の中で確実に進行している事実に比べれば、大悟の脅しなど陳腐で、滑稽にすら思えた。

「あなたは私を弱いと言うけれど……」私はゆっくりと言葉を紡いだ。「少なくとも私は、何が正しいかはわかっているわ」

剛臣は鼻で笑った。

「正しい、だと? この世界じゃな、生き残ることこそが正義なんだよ。ルールを作るのは強者だ。弱者はそれに従うしかない」

「出て行って」

静かな声だったが、言葉の一つ一つは氷のように澄んでいた。

「俺の言ったことを忘れるなよ、真琴」剛臣はドアを開けた。「黙って、いい恋人を演じ続けるんだ。さもないと……」

彼は言葉を濁したが、その脅威は十分に伝わった。

静寂に包まれた夜に、ドアの閉まる音がやけに大きく響いた。

私はソファに崩れ落ちた。中身をすべてえぐり取られたような虚無感に襲われる。完璧な隠れ蓑。私はただの、彼の真実を覆い隠すための便利な道具だったのだ。

強い遺伝子、弱い遺伝子。剛臣の言葉が耳の奥で反響する。彼の歪んだ世界観では、苦しむ生き物に寄せる私の慈悲は、遺伝子の欠陥ということになるのだろう。だが、二十八歳で癌を患ったこの運命の不条理については、彼は何と言うだろうか? それもまた、弱さなのだろうか。

私はあの黒髪の女、美雪のことを思った。確かに彼女は強く、力があるように見えた。それに比べて私は? 小さな動物病院で働き、捨て猫や野良犬の世話をするだけの平凡な女だ。だが私だって、剛臣の子を宿している。美雪の妊娠とは違い、私のは時間との戦いだけれど。

私はまだ平らな腹部に手を当てた。

どうすればいい? 屈服して『完璧な隠れ蓑』を演じ続け、剛臣と美雪が共に生きる姿を指をくわえて見ているべきなのか?

私は瞳を閉じた。ついに、堪えていた涙が止めどなく溢れ出した。

前のチャプター
次のチャプター