第2章
小林杏奈視点
私の生みの母は、私が小さい頃に亡くなった。物心ついた時から、私にはお父さん――小林悠斗――しかいなかった。お父さんが芽衣おばさんと結婚するまでは。
小林瑛太は、義理の母である小林芽衣さんの息子で、私より二つ年上だった。七歳で初めて会った時、この九歳の男の子は母親の後ろに隠れていた。黒色の髪はくしゃくしゃで、青い瞳は好奇心に満ちていた。
「こんにちは、小林瑛太です」
彼は静かにそう言うと、おもちゃのトラックを私に手渡した。
「これで遊んでいいよ」
その日から、私たちは家族になった。本当の、家族に。
お父さんと芽衣さんが結婚した後、私たちは工場地帯にある小さな家に引っ越した。瑛太兄さんは決して私をよそ者扱いしなかった。自転車の乗り方を教えてくれたし、宿題も手伝ってくれた。学校でいじめられた時は、私をかばってくれた。
私たちは、とても幸せだった。
でも三ヶ月前、ある一夜がすべてを破壊した。
午前二時、電話のベルが警報のように眠りを突き刺した。
私が部屋からよろめき出ると、瑛太兄さんはすでに階段のところに立っていて、顔面蒼白で電話を聞いていた。芽衣さんはソファに座り、手で口を覆い、頬には涙が伝っていた。
「何?心臓発作?」
瑛太兄さんの声が震える。
「すぐ行きます」
お父さんに何かあったんだ。
病院の廊下は、けばけばしい蛍光灯の光の下、消毒液の匂いが鼻をついた。私と瑛太兄さんは椅子に並んで座っていた。彼の手は私の手を握りしめ、その手のひらは汗ばんでいた。
「お医者さんは、なんて?」
私は途切れそうな声で囁いた。
瑛太兄さんは私の方を向いた。その青い瞳には、今まで見たことのない恐怖と決意が宿っていた。
「お父さんは大丈夫だ。俺が杏奈を守る」
彼の腕が私の肩を抱き寄せた。声は震えていたけれど、しっかりしていた。
「怖がるな。俺がいる。俺たちは絶対に離れない」
その瞬間、瑛太兄さんがいれば、私の世界は崩壊しないと思った。
しかし二時間後、医者は首を横に振りながら出てきた。
それが、彼が私を守ってくれた最後だった。
寺院に厳かな読経が響き渡る。秋の空は私たちの心のように重く、分厚い雲に覆われていた。
私と瑛太兄さんは、芽衣さんを間に挟んで最前列に座っていた。彼女はひどく衰弱し、顔は幽霊のように青白く、唇には色がなかった。私は彼女の手首に、濃い紫色の黒ずんだ痣があることに気づいた。
あれは何?転んだのかしら?
「本日は皆様、ご多忙の中、故小林悠斗様のご葬儀にご参列いただき、誠にありがとうございます……」
住職の声が遠くから聞こえてくるようだった。私は棺を見つめながら、お父さんが本当にいなくなってしまったなんて、まだ信じられなかった。
突然、芽衣さんがぐったりと椅子に崩れ落ちた。
「母さん!」
瑛太兄さんがパニックになった顔で、すぐに彼女を支えた。
「母さん、どうしたんだ?」
私の心臓が激しく脈打つ。
「芽衣さん!」
私は身を乗り出して彼女の額に触れた。
「体が熱い……熱があるんじゃ?」
彼女の唇はさらに白くなり、今にも完全に気を失ってしまいそうだった。人々が水や扇子を持って周りに集まってきた。
「救急車を呼びますか?」
私は瑛太兄さんに必死に尋ねた。声が震える。お父さんを失ったばかりなのに、今度は芽衣さんまでこんなことになるなんて……これ以上何に耐えればいいのか分からなかった。
後ろから、お父さんの同僚たちがひそひそと話しているのが聞こえた。
「あの工場の環境じゃあな、古株の連中は結構病気になってる」
「化学物質の汚染がひどいんだ。小林悠斗が最初じゃない……」
「十数人が奇妙な病気にかかったって話だ。会社は隠蔽しようとしてる」
お父さんの死は、工場と関係があるんだ。恐ろしい感覚が胸の中に広がっていった。
私は瑛太兄さんの方を向いた。しかし彼は芽衣さんの看病に完全に集中していて、もう二度と私の方を見ようとはしなかった。
一週間後、私はお父さんが買ってくれた小説を探しに、彼の書斎へ行った。
夕日が窓から差し込み、机の上に長い影を落としていた。書類があちこちに散らばっている。一番上の書類を手に取ると、「小林杏奈 大学進学資金」と書かれているのが見えた。
お父さんが私が十歳になった時に開設した口座で、私の教育のために毎月お金を振り込んでくれていた。
しかし今、目にしているのは何ページにもわたる引き出し記録だった。
八月十五日――10万円。
八月二十日――12万円。
九月三日――14万円。
九月十八日――15万円。
次から次へと、莫大な額が引き出され、口座はほとんど空になっていた。
お父さんがなぜ私の大学資金を使い果たしたのか、理解できなかった。
「何を見ている?」
突然、背後から瑛太兄さんの声がした。私は振り向き、戸口に立つ彼を見つけた。その目は複雑で、怒りに満ちていた――まるで泥棒でも見るかのように。
「別に……ただ……」
私はどもった。
「本を探していて、偶然この書類を見つけただけ」
「もう父さんのものに触るな」
彼は大股で歩み寄り、私の手から書類をひったくった。
「お前には関係ないことだ」
彼はひどく怒っていて、純粋な憎しみを込めて私を睨みつけていた。
瑛太兄さんの目に憎しみを見たのは、それが初めてだった。
二日後、私たちは弁護士の上田健一の事務所にいた。
事務所は重々しい雰囲気だった。ダークウッドの机に革張りの椅子、壁には証明書や法律書がずらりと並んでいた。その息苦しい空気は、呼吸さえ困難にさせた。
上田健一は四十代の男性で、眼鏡をかけ、慎重に言葉を選んで話した。
「まず、この度のことはお悔やみ申し上げます」
彼は咳払いをした。
「小林悠斗さんの件につきまして、いくつかご相談したい事項がございます」
瑛太兄さんは私の隣に座っていたが、鋼のようにこわばっているのが感じられた。
「小林芽衣さんのご容体はいかがですか?」と上田健一が尋ねた。
私の心臓はすぐに締め付けられた。葬儀で倒れて以来、芽衣さんは体調が悪いと言い続けていたが、弁護士が関わるほど深刻だとは知らなかった。
「父の死が彼女に大きな打撃を与え……入院が必要です」
瑛太兄さんの声は硬かった。
「医者によれば、容態は複雑だとのことです」
入院?
私は椅子から飛び上がりそうになった。
「何ですって?そんなに悪いんですか?」
私は必死に瑛太兄さんの方を向いた。
「どうして誰も教えてくれなかったんですか?どの病院にいるんですか?」
瑛太兄さんは私を一瞥し、その目に何かが揺らめいた後、視線を逸らした。
「まだ医者が検査を進めているところだ。確定的なことは何もない」
私の手が震え始めた。お父さんを失っただけでも耐えがたいのに、もし芽衣さんにも何かあったら……想像することさえできなかった。
上田健一は頷き、ファイルフォルダーを開いた。
「工場の件ですが、良い知らせがあります。工場のほうが責任を認め、化学物質汚染が従業員とその家族の健康に影響を及ぼしたことを認める意向です」
瑛太兄さんは即座に背筋を伸ばした。
「いくら提示しているんですか?」
「予測される和解金は4000万円です」
4000万円!
私は椅子から転げ落ちそうになった。4000万円!私たちの家族の五年分の収入よりも多い!
しかし、瑛太兄さんの方を向いた時、私の血の気は引いた。
彼は、隠そうともしない怒りと憎しみで私を睨みつけていた。その視線は、彼が家族を見ているのではなく――敵を見ているように感じさせた。
「その金はいつ手に入るんですか?」
瑛太兄さんの声は氷のように冷たかった。
「法的手続きに約三ヶ月かかります」と上田健一は答えた。
瑛太兄さんは頷いたが、その視線は私から離れなかった。
なぜ?なぜ瑛太兄さんは、あんなに奇妙な目で私を見るんだろう?
私はあの引き出し記録、芽衣さんの手首の痣、葬儀での失神を思い出した。
もしかして……お父さんは私の大学資金を、何か別のことに使ったの?
でも、それが何だというのだろう?どのみち全部お父さんのお金だ。彼が好きなように使っていいはずだ。私はそのことで彼を責めたことなんて一度もない。
では、なぜ瑛太兄さんはあんなに怒っているのだろう?なぜあんな憎しみに満ちた目で私を見るのだろう?
法律事務所を出ると、瑛太兄さんは一度も振り返らずに、先を大股で歩いていった。
あの日から、私はもう彼の妹ではなくなった。
あの日から、私は彼の敵になった。
あの曇った午後、私は父を失っただけではなかった。
私は最後の守護者を失った。
私は小林瑛太を失った。
私は、私の家を失った。







