第2章

絵里視点

九年前、私には幸せで、完璧な家族がいた。

父の裕也と母の沙織は、B市総合病院の医師。彼らが医学生だった頃からの親友、それが和也だった。彼は医学界の神童と謳われ、両親よりもずっと若いながらも、三人は同じ志を抱き、研修医として苦楽を分かち合い、研究室の灯りの下で夜を明かし、共に医学の深淵を追い求めた。

私が生を受けた時、両親は、その最も大切な役目を和也さんに託した。私の名は、彼がくれたものなのだ。

私たちの幸せに唯一影を落としていたのは、私の先天性心疾患だった。手術には大きなリスクが伴い、両親はずっとためらい続けていた。すべてを変えてしまった、あの夜が来るまでは。

ピーッ、ピーッ、ピーッ――

鋭いアラーム音が、夜の静寂を切り裂いた。胸をスレッジハンマーで殴りつけられたような衝撃。息もできないほどの圧迫痛が襲う。

「絵里!しっかりしなさい!」母の声はパニックそのもので、震える手が私の額に触れた。「早く!絵里の唇が青くなってるわ!」

「くそっ!車は下だ!」父は私を抱きかかえ、ドアへと駆けだした。「しっかりしろ、絵里!父さんが絶対に死なせたりしないからな!」

『私、死んじゃうの?どうしてこんなに痛いの?』

救急室の蛍光灯は、目が眩むほどに明るかった。私は冷たい手術台の上へと運ばれ、白衣を着た見知らぬ大人たちに囲まれた。彼らの声は遠く、くぐもって聞こえた。

「先天性心疾患、大動脈縮窄症に心室中隔欠損症を併発。心不全、極めて危険な状態です!」

「この複雑な先天性心疾患では……成功率は三割にも満たない……」

「子供が若すぎる、心臓の構造が複雑で、リスクは天文学的だ……」

『成功率?リスク?私、死ぬってこと?』

氷水を浴びせられたような恐怖が、全身を駆け巡った。泣きたくても、その力さえ残っていなかった。

「僕が見よう」

不意に、穏やかな声が響いた。

視線を必死に彷徨わせたその時、空間を切り裂くように、一人の若い医師が歩み寄ってきた。まだ青さを残す二十代半ばの顔立ちに、夜の帳が降りたばかりの空を映したような、底知れぬ灰色の瞳が光る。

「和也!」母と父が、ほとんど同時に叫んだ。「よかった、来てくれたのね!」

「今、手術が終わったところで、絵里の容態が悪化したと聞いてね」和也は私の傍らに駆け寄ると、その温かい手が、そっと私の額に触れた。その温かさが、恐怖を少しだけ追い払ってくれた。「やあ、絵里ちゃん。僕のこと、覚えてるかい?」

「和也さん……」私は弱々しく彼の名前を囁いた。物心ついた頃から、彼は家族同然だった。背が高くて、優しくて、いつも笑顔で私にプレゼントをくれる人。

「怖がらなくていいよ、絵里ちゃん」和也は身を屈め、そっと私の涙を拭ってくれた。「僕を見て。僕の目を、ちゃんと見るんだ」

私は無理やり目を見開き、その深い灰色の瞳の奥を見つめた。

「君は絶対に助かる、絵里ちゃん。僕が、約束するから」

点滴から麻酔がゆっくりと体内に入り、意識が薄れていく中でも、ただ一つの声だけが頭の中に響いていた。

私は、助かる。この人がそう言ったから。和也が、約束してくれたから。


六時間。

和也は、実に六時間もの間、手術台の前に立ち続け、私の壊れた心臓を、一針一針縫い合わせてくれた。

後になって看護師さんたちが教えてくれた。あの日、和也が起こしたのは医学的な奇跡だったと。誰もが私の命を諦めかけていたのに、彼は最後の最後まで決して諦めなかった。

再び目を開けたのは、三日後の朝だった。淡い青色のカーテンから朝日が差し込む病室は、消毒液の匂いが充満していた。胸はまだ少し痛んだけれど、普通に呼吸ができる。

『私、生きてる』

「お母さん?お父さん?」私は弱々しく呼びかけ、身を起こそうとした。

「絵里ちゃん、動いちゃだめだ」和也の疲れ切った声が、ベッドの傍から聞こえた。

そちらを見ると、彼は椅子に座っていた。目は充血し、顎には無精髭が伸びていて、明らかに眠っていない様子だった。彼の手には真新しいピンクのテディベアが握られていたが、それは私の大好きな茶色の子ではなかった。

「和也さん!」私は彼を興奮して見つめた。「私、助かったんだね!和也さんの言う通りだった!」

彼の瞳に、安堵と、苦痛と、そして私には理解できない何かが入り混じった、複雑な感情が浮かんだ。それから彼は、無理に笑みを作った。「ああ、絵里ちゃん。君は僕が見た中で一番勇敢な、小さな英雄だよ」

「お母さんとお父さんはどこ?」私は期待してあたりを見回した。「大好きなクマのトムを取りに、おうちに帰るって言ってたのに……」

和也の手は、指の関節が白くなるほど強く握り締められた。彼の瞳に、背筋が凍るような深い苦悩がよぎるのが見えた。

「絵里ちゃん……」彼の声はかすれて、ほとんど聞き取れないほどだった。「君に、話さなければいけないことがある……」

いや。いや、いや、いや。彼の表情から、それが良くない知らせだということは、もうわかっていた。

「私の病気、そんなに悪かったの?」私は無邪気に尋ねた。声が震え始める。「お母さんとお父さん、すごく心配してる?どこに行ったの?」

和也は深く息を吸い、震える手で私の小さな手を握った。「絵里ちゃん、心臓はもうすっかり治ったよ。君はとても勇敢だった。手術は、大成功だ」

「じゃあ、お母さんとお父さんはどこ?」私の声は、だんだん必死になっていく。「いつ会いに来てくれるの?」

和也は長い間黙っていた。その瞳に浮かぶ苦痛が、私を怖がらせた。

「ご両親は……昨日の夜、君のクマを取りに家に帰る途中、交通事故に遭ったんだ」彼の声は震えていた。「二人は……天国へ行ってしまった」

『え?』

『天国?』

『うそ?』

その言葉が頭の中で反響する。けれど、幼い私には、その本当の意味がよくわからなかった。

「交通事故?」私の声は震えだした。「私のクマを取りに行ったから?いつ帰ってくるの?」

「もう、帰ってこないんだ、絵里ちゃん」和也の声が、途切れた。「でも、二人は君のことを僕に託した。君を守ってくれって、それが最後の言葉だった」

現実が、スレッジハンマーのように私を打ちのめした。

『お母さんとお父さんが死んだ』

『私のせいで』

『私が、あんなクマを欲しがったから』

『死んだ』

「いやぁぁぁっ!」私は突然、ヒステリックに泣き叫んだ。「全部私のせいだ!私がお母さんとお父さんを殺したんだ!私が病気になんてならなければ、私がクマを欲しがらなければ、二人は……!」

「そんなことは……」和也が私を慰めようとする。

「全部私のせいなの!」私は、伸ばされた彼の手を必死に振り払った。「私は人殺しだ!お母さんとお父さんを殺したんだ!」

「絵里ちゃん……」和也が私を抱きしめようとしたが、私は必死に抵抗した。「触らないで!全部私のせい!私のせいで!」涙で視界が滲み、津波のような絶望が私を飲み込んでいった。

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