第4章
キャンパスから三マイルほど離れた個人診療所は、まるで別世界に足を踏み入れたかのようだった。待合室にはソフトなジャズが流れ、私と佐藤松也は隣り合って座っていたが、二人とも緊張で張り詰めた空気を放っていた。
私はジーンズの上で指をとんとんと鳴らした。「ここのこと、本当に確かなんでしょうか?」
「いとこが勧めてくれたんです」と佐藤松也は静かに言った。「完全な守秘義務。大学とは一切関係ありません」
鈴木先生という、優しい目をした中年の女性がオフィスから現れ、私たちを診察室へと案内した。壁には卒業証書や家族の写真が並んでいる。
「親子鑑定の結果は、明日の朝には出ます。結果が出次第、ご連絡しますね」
私の声は、意図したよりもか細く出た。「この検査って、どのくらい正確なんですか?」
「99.9%の精度です。疑いの余地はありませんよ」
鈴木先生が検体採取の準備をする間、私は隣にいる佐藤松也の落ち着いた存在を感じていた。目が合うと、彼は静かに私を安心させてくれた。
「どんな結果でも、二人で向き合いましょう」
不安がこみ上げてきた。「怖いですよ、佐藤さん。もしこれで、全て変わってしまいましたらどうなさいますか……」
彼の手が、私の手にそっと重なった。「その時は、その時です。一つずつ、解決していけばいいです」
午後の陽光が清水湖の湖面に金色の波紋を描く中、私たちはいつもの道を歩いていた。コーヒーでも飲もうと提案したのは私だったが、なぜか私たちはここにたどり着いていた。
「空気が吸いたくて」水面を滑るように進む鴨を見ながら私は言った。「あの診療所、いかにも『診療所』って感じで……」
私の下手な冗談に、佐藤松也は微笑んだ。
しかし、私は歩みを止めていた。岸が緩やかに内側へカーブする、ある一点に視線が釘付けになっていた。光が水面に当たるその様子が、記憶の断片を洪水のように呼び起こしたのだ。
私は呟いた。「私、去年ここで溺れかけたんです。誰かに助けてもらったんですが、その人の顔ははっきり見えなくて」
佐藤松也は隣でぴたりと動きを止めた。「覚えていることを教えてくれませんか」
私は目を閉じ、記憶が深い水の底から泡のように浮かび上がってくるのに任せた。「力強い腕、優しい声。何度も何度も『もう大丈夫です』って……」
彼は尋ねた。「他には?」
佐藤松也の声に促され、私はさらに記憶の底を探った。「左手に傷跡がありました。水から引き上げられた時、それに触れたのを覚えてます」
私が目を開けると、佐藤松也はゆっくりと左手をこちらに差し出していた。掌を上に向けて。そこには、手首から指の付け根にかけて、一本の傷跡が走っていた。
「その傷……佐藤さんだったのね。私を助けてくれたのは、あなただったんだ」
佐藤松也の声は、ほとんど申し訳なさそうに、柔らかかった。「あの日、言いたかったんだ。でも、坂井瑛太が手柄を横取りしているのを見てしまって……」
「坂井瑛太が嘘を?ずっと、彼が私のヒーローだと思ってたのに?」裏切りは予想以上に深く突き刺さり、また一つ、嘘の層が剥がれ落ちた。
佐藤松也は続けた。「私が君を助け出した後、彼が君の方へ走ってくるのが見えたんだ。君たちは付き合ってるのかと思って、私はその場を離れた」
私の怒りは白く燃え上がった。「私が彼に命を救われたって信じ込ませてたのよ!どうしてそんなことができるの!?」
佐藤松也は言った。「あの日からずっと、名乗り出なかったことを後悔している」
私が坂井瑛太との関係について知っていると思っていたことはすべて、欺瞞の上に築かれていたのだ。
「だから、私を守ってくれていたのね」パズルのピースがはまるように、私は言った。「坂井瑛太の計画を阻止するためだけじゃなかったんだ」
佐藤松也は頷いた。「あいつにまた君を傷つけさせるなんて、見ていられなかった。一度、あいつの嘘から君を守れなかったんだから」
どうしてこんなに盲目だったんだろう。坂井瑛太は本当の勇気なんて一度も見せなかった。誰かのために危険を冒すことなんてなかった。でも佐藤松也は……佐藤松也は、凍える水の中に飛び込んで私を助けてくれた。
土曜の朝の診療所は、いつもと違う空気が流れていた。患者は少なく、廊下は静まり返り、佐藤松也と私の間には、まるで通電した電線のように張り詰めた期待感が漂っていた。
鈴木先生は時候の挨拶もそこそこに切り出した。「結果は決定的です。佐藤さんは子供の父親です」
その言葉が、物理的な力となって私を打ちのめすのを感じた。「本当だったんだ。赤ちゃんは、あなたの……」
佐藤松也は私の方に真っ直ぐ向き直ると、真剣で、決意に満ちた表情で言った。「麻央、聞いてほしい。私は全責任を負うつもりだ。君と、赤ちゃんのために」
私は尋ねた。「どうして?あなたにそんな義務はないのに」
佐藤松也は答えた。「義務じゃない。君のことが、大切なんだ。ずっと前から」
私は彼を見つめた。おそらく初めて、彼のことをはっきりと見た。この人は、坂井瑛太の社交クラブの仲間でも、遊び人の大学生でもない。一貫して、自分の利益よりも私の安全を優先してくれた人だ。
ずっと私を守ってくれていた。もしかしたら私、好きになる相手を間違えていたのかもしれない。
診療所の外にある小さな公園は、週末の賑わいに満ちていた。若い家族がピクニックシートを広げ、幼い子供たちが樫の木々の間を蝶を追いかけて走り回っている。
佐藤松也は言った。「あの水の中から君を助け出した瞬間に、恋に落ちたんだ。あんなに無防備で、なのに、とても勇敢な君を見て……」
私は息を呑んだ。「ずっと、私のことを見守ってくれていたの?」
佐藤松也は応えた。「どうしようもなかったんだ。本当のことを言いたかったけど、君は瑛太と幸せそうに見えたから」
私は言った。「嘘の上に成り立った幸せね。彼について知っていたことは、全部偽りだった」
佐藤松也は一歩近づき、優しくも断固とした声で言った。「君は嘘なんかより、もっとずっと良いものに値する人だ、麻央」
私は尋ねた。「どういう意味?」
佐藤松也は言った。「愛してるってことだよ。君と……お腹の子、二人とも」
その言葉は、温かい空気の中に漂った。何の裏もない、あまりに率直なその響きに、胸が痛んだ。誰かが私に、下心なく話しかけてくれたのは、いつ以来だろう。
「松也さん、私……」自分の複雑な感情を言い表す言葉を探して、もがいた。「この気持ちをどう整理すればいいのか、分からない……」
佐藤松也は言った。「今すぐ何かを決める必要はない。ただ、私の立ち位置を知っておいてほしかっただけだ」
私は言った。「坂井瑛太には、自分のしたことすべての責任を取らせたい。でも、証拠が必要だわ」
佐藤松也は身を乗り出し、戦略的な表情を浮かべた。「来週、年次晩餐会がある。重要な人物は全員そこに来るはずだ」
私は尋ねた。「公の場でやろうってこと?」
佐藤松也は言った。「彼は君をプライベートで辱めた。なら、皆の前でそのお返しをしてやろう」
一瞬、不安がよぎった。「もし失敗したら?みんなが私たちを信じてくれなかったら?」
「私にはコネがある、麻央。必要な証拠は手に入れられる」
握手を交わした時、私はただ坂井瑛太の罪を暴くことに同意しただけではないと気づいた。私は佐藤松也を完全に信頼することを選んだのだ――私の計画も、未来も、そして、もしかしたら私の心さえも。





