第142章 西村詩織

彼がふいに距離を詰めてきて、市川希美は反射的に一歩引いた。

問いかけを耳にした瞬間、眉間がきゅっと寄る。

――この人、ずいぶん踏み込んでくる。

なのに、不思議と侮辱された感じはしなかった。

そのちぐはぐな感覚が逆に警戒心を煽り、口元の笑みもすっと薄くなる。

「……私たち、そこまで親しい間柄じゃないと思います。だから、あなたに話す必要もないです」

男は彼女の警戒を察したのか、同じように一歩退いた。けれど笑みは、どこか掴みどころがないままだ。

「おっしゃるとおり。こちらが不躾でした、お嬢様。……またお会いしましょう。次も、あんな美しい曲が聴けると嬉しい」

そう言い切ると、市川希美...

ログインして続きを読む