第7章 田中英治の約束
「それで、彩実。どうするつもり?」
ジェニーが訊いた。
「母を陥れた人間を見つけます。だから、しばらくはジャグオク王国へ伺えません」
「それは残念ね。でも、あなたの選択がいちばん正しいと思う。何があっても、私はジャグオク王国で待ってる。困ったら必ず先生に言いなさい」
「はい、先生」
通話を切り、星野彩実は大きく息を吸った。
電話の向こう。ジェニーは点滴の針を刺す看護師に微笑みかける。弟子は母の不調が呪術だと見抜いたというのに、自分――師匠が今まさに命の瀬戸際にいることは、まだ知らない。
一方その頃。
林田遥香と浅倉友菜が二階へ上がると、廊下の扉前にいたのは浅倉啓太と浅倉拓実だけだった。林田遥香はきょろきょろと見回し、わざとらしく首を傾げる。
「兄さん、星野さんは? まさか心配もせずに……。外で拾われた子だもの、血の繋がりがないと、おばさんのこと本気じゃないんだね」
その言葉が耳に入った瞬間、ちょうど客間の扉を開けた星野彩実の腹の底が、どろりと煮えた。
彩実はタロットカードを鞄へしまい、まっすぐ林田遥香の前へ出る。上から下まで一瞥して、口角だけを持ち上げた。
「実の娘の私が母を心配してないって? じゃあ、あなたみたいな“よその娘”が、うちの母を本気で心配してるの?」
「何よ、その言い方!」
林田遥香がむっとして言い返す。
「私は小さい頃からおばさんのそばにいたの。あなたよりずっと、おばさんの身体を大事にしてる」
「へえ」
彩実は眉を上げる。
「じゃあ教えて。ママがさっき、どうして倒れたの?」
「あなたに会えて嬉しすぎたからに決まってるでしょ」
林田遥香は即答した。
「そうだね。嬉しくて倒れた、って言ったよね。つまり母の中で一番大事なのは私。あなたじゃない」
「言い方ってものがあるでしょ」
横から浅倉友菜が噛みつく。
「小さい家で甘やかされて育ったから口が回るのよ。兄弟姉妹に優しくできないなら、おじいちゃんがいたら口を叩かれるわ」
彩実は、林田遥香の腕に絡みついている浅倉友菜へ視線を滑らせ、声を落とした。
「勘違いしてない? 私と林田遥香は従姉妹。血縁なら近いのは私たちでしょ。あなたは遥香と血の繋がりもないのに、外の人間の肩を持って“本家の親戚”の私を叩くんだ」
一拍置いて、淡々と続ける。
「おじいさまが叩くのは私の口? それとも、あなたの顔?」
浅倉友菜は言葉を失った。浅倉啓太と浅倉拓実がすぐそばに立っている。これ以上、荒い言葉を吐く度胸はない。
「もういい、やめろ」
浅倉拓実が低く制した。
「田中爺さんが中で母さんを診てる。見舞いなら黙って扉のそばに立て。妹を挑発しに来たなら帰れ」
「兄さん、私も妹だもん……」
林田遥香が小さく呟く。
「私も……妹……」
浅倉友菜も便乗した。
浅倉拓実は冷ややかに笑う。
「そうだな。でもさっき自分で言っただろ。親疎があるって。『星野さん』は俺の実妹だ。一母同胞。お前らは従妹だ。親疎を守るなら、俺は実妹を守る」
林田遥香の目が一気に赤くなる。浅倉拓実は見もしない。
彩実にだけ手招きした。
「さっき休めって言っただろ。うるさくて眠れなかったか?」
「うん……母が心配で、眠れない」
そのとき――がらん、と。
病室の扉が開く音がした。
田中英治が額の汗を拭いながら出てきて、金の針を一本ずつ収めている。ベッドの浅倉友紀子は顔色が明らかに戻っていたが、まだ意識はない。
浅倉啓太が手を振った。
「皆、出てくれ。俺が一人で友紀子に付き添う」
星野彩実も廊下へ出る。
それを見て、林田遥香は小さく笑い、挑発するような視線を投げた――結局、おじさんにとってもお前は厄介者。
彩実は相手にせず、浅倉拓実の腕に絡み、その二人の間をすり抜けて歩き出す。
人が多い廊下では聞けないことがある。庭で田中英治を捕まえるつもりだった。
――浅倉荘園・庭。
「田中爺さん! ちょっと待って!」
田中英治が振り返ると、盆栽の陰から星野彩実がこそこそ手を振っていた。
「どうした、彩実」
田中英治は目尻に皺を寄せた。産声を上げたあの日のことが、なぜか妙に鮮明に思い出される。小さくて、しわくちゃで、それでも屋根を持ち上げそうなほど元気に泣く子だった。失われたと聞いたときは胸が冷えたが――こうして戻ってきた。
だからだろう。初対面のはずなのに、最初から距離が近い。
彩実もその善意を感じ取り、遠慮を捨てた。
「田中爺さん。母の病気……本当は、確信が持ててないんでしょう?」
「ほう? どうしてそう思う」
田中英治が眉を上げる。
「見えたのか?」
「さっき、部屋で言えない言葉を飲み込んだ。だからここで聞きたくて」
「言えないことなんぞないさ」
田中英治はわざと軽く笑ってみせる。
「情緒が激しいと倒れる。初対面で興奮したのは普通だ。次からは――」
「嘘」
彩実の目がまっすぐになる。
「母の病気、昔はなかったのに、今になって出たんでしょう?」
田中英治の喉が、わずかに詰まった。
「……医者か?」
「違う」
彩実は首を振り、タロットカードを取り出す。
「でも、占えます」
「西洋の占いは分からんが……」
田中英治は一度息を吐き、観念したように言った。
「正直に言う。心筋虚血に紫斑。先天性心疾患の一種の出方だ」
彩実が頷く。
「でも兄さんを産んだとき、田中爺さんが検査した。その頃は所見がなかった」
「そうだ」
田中英治はゆっくりと頷いた。
「先天性が突然生えるはずがない。だから、飲み込んだ」
彩実は静かに言う。
「病気じゃありません。呪術です。誰かが母を呪ってる」
田中英治はしばらく黙り込み、やがて問い返した。
「……わしに何をしてほしい」
「今は何も」
彩実は真剣に続ける。
「でも、いつか私が真相を突きつける時。田中爺さんが、私の側に立ってくれるなら」
田中英治は重々しく頷いた。
「いいとも、彩実。わしは医者だ。事実に立つ。約束する」
