第9章 星野家の人が訪ねてくる
星野卓志は知らなかった。浅倉家と花村家の一族の情報など、公開検索エンジンで調べたところで、影も形も出てこないということを。
――当たり前だ。
ああいう最上位の名門が、個人情報をほいほい表に晒すわけがない。
「それならよかった、お父さん。安心した」
星野奈菜は胸をなで下ろす。
「でも……花村秋人って名乗ってた人、雰囲気がただ者じゃなかったよね? さすがに偽物じゃないんじゃ……?」
星野蘭は脇で果物を切りながら、あの男の姿を思い返す。
「一番ありそうなのは、彩実を迎えに来た男が花村家のボディーガードだったって線ね。花村の名を借りて、ひと芝居打ったのよ」
「それか、花村秋人本人が京清市の御曹司で、たまたまテレビ局に用があって行った。そこで彩実の兄さんと鉢合わせして、顔見知り程度に話がついただけとか」
「深い付き合いなんてないわよ。だって彩実のあの狐みたいな顔……実の親が大した身分のわけないじゃない」
「お母さん、それどういう意味?」
「はあ……あんた、ほんとバカね。名門は名門同士で縁組む。でも、名門の子がみんな国宝級に美人かって言ったら違うでしょ」
「だから外でモデル崩れや小さな芸能人に手を出して、隠し子を作るの。顔のいいところだけ“合成”するわけ」
「彩実の実親は情報が出てこないけど、安心しなさい。金持ちなわけがないのよ。ほんとに金があるなら、何年も子どもを探さないなんておかしいでしょ!」
「子どもにそんな話をするな」
星野卓志が不機嫌そうに遮った。
星野蘭は慌てて話題を切り替え、テーブルの招待状に視線を落とす。
「奈菜。あの男が本当に花村秋人か確かめたいなら簡単よ。花村家に行けばいいの」
「毎年、名門令嬢の晩餐会で優勝と準優勝になった子は、名流と顔合わせする宴を開くのが慣例でしょ」
「今年の主催は花村家。ちょうど招待状も来てる。行くわよ、奈菜。花村家へ」
「やった! お母さん、早く行こ!」
星野奈菜は弾んだ声を上げる。
「待って。いちばん綺麗なドレスに着替える。花村秋人に会った瞬間、私に夢中にさせてみせる」
くるりとリビングで一回転し、そのまま足取り軽く階段を駆け上がっていった。
星野卓志は娘の背を見送りながら、腹の底で舌打ちする。
――惜しい駒を逃した。
星野彩実ほどの美人を、あっさり連れて行かせてしまうなんて。
星野蘭と奈菜が目先しか見えず、もう少し彩実を手元に置いていれば、もっと大きな価値に換えられたはずだ。
名門の傍流にでも嫁がせれば、それだけで星野家には莫大な見返りが転がり込んだ。
機会があるなら関係修復も考える。
彩実の“後ろ”が貧しかろうが富しかろうが、本人の価値は知っている。
少なくとも、奈菜よりはずっと使える。
――京清市・花村荘園。
門の向こうに広がる壮麗な花村荘園を見上げ、星野奈菜の瞳がきらきらと輝いた。
ここに嫁いで若奥様にでもなれたら――自分は万人の上。
名家の令嬢たちが、皆、頭を垂れて道を開けるのだ。
自然と背筋が伸び、顎が上がる。
奈菜は堂々と荘園へ踏み込もうとして――
「待て。あなた方、どちらさまですか」
門の警備員が素早く立ち塞がった。
「失礼ね。誰に向かって口を利いてるの? 私が花村家の未来の女主人よ!」
「女主人?」
警備員は吹き出しそうになるのを必死に堪え、抑えた声で言う。
「お嬢様、ここは花村荘園であって、精神科ではありません。お間違いでは?」
奈菜は殴りたくなる衝動をこらえ、にこりと笑ったまま招待状をひらつかせた。
「私、花村家に招かれたお客様なんだけど? ここで止めたら、後でクビになっても知らないわよ。私、助けてあげないから」
警備員は素早く招待状を確認し、インカムに手を当てる。
令嬢パーティーの招待状――本物だ。
「……失礼いたしました。カートを回します」
ほどなくゴルフカートが到着し、二人は中へ通された。
ところが応接の手前まで来たところで、執事然とした男が小走りで現れた。
「申し訳ございません、星野夫人。若様は先ほど外出なさいました」
「花村さんはどちらへ?」
「浅倉家かと。遠くありません。裏山の向こうでございます」
「浅倉家? 京清市で二位の、あの浅倉家?」
星野蘭が目を細める。
執事は頷いた。
「はい」
「ありがとう。じゃあ、浅倉家へ伺うわ」
「お母さん、花村家で待たないの?」
「バカね。花村家から浅倉家へ繋がれたら得でしょ」
「名門同士は顔が利く。浅倉家だって晩餐会には来るはずよ。今のうちに挨拶しておけば、当日、あんたの“味方”が増える」
「さすがお母さん」
奈菜は肩に寄りかかり、嬉しそうに頬を緩めた。
二人はそのまま浅倉家へ向かい、門で「花村さんに用がある」と告げると、警備員は特に揉めることなく中へ通した。
そして――
庭の東屋で、星野彩実が浅倉拓実と話している光景が、奈菜の目に飛び込んだ。
なかでも彩実の手にある、大ぶりの剪定ばさみ。陽射しを弾いて、やけに眩しい。
「お母さん、見て! やっぱりじゃない」
「星野彩実ごときが名門の親戚? あり得ないって。ガーデナーの妹ってだけでしょ!」
「自分のこと彩実様とか思ってんの? 花村家に取り入ろうなんて、笑わせないで!」
甲高い声が庭に炸裂し、周囲の視線が一斉に集まった。
奈菜はそれを「自分が目立つほど可愛いから」だと勘違いし、得意げに顎を上げる。
「星野彩実。私とお母さんが来たのに挨拶もなし? うちの躾って、その程度だった?」
不意の来訪に、彩実はただただ鬱陶しくなる。
相手にする価値もないとばかりに顔を背け、浅倉拓実の手を取って屋敷の方へ向かった。
「待ちなさい! 星野彩実、止まりなさい!」
奈菜が叫ぶ。
「逃げるってことは心当たりがあるんでしょ? 兄さんの正体、私にバラされたから?」
彩実は振り返り、淡々と言い放つ。
「心当たり? あんたがブサイクすぎて、話したくないだけ」
「……私が、ブサイク?」
奈菜の中で何かがぶちっと切れた。
抑え込んでいた怒りが噴き上がり、手にしていたバッグを振りかぶって彩実の顔へ叩きつけようとする。
その瞬間――
浅倉拓実が一歩前に出て、片手でバッグを止めた。
そのまま軽く押し返すと、奈菜はよろけ、星野蘭が慌てて支える。
奈菜が顔を上げる。
背が高い。
やわらかなニットのカーディガン姿、それでも隠しきれない端正さ。
陽に透ける横顔に、鼓動がどくん、と跳ねた。
膝がふっと力を失いそうになるほど、格好いい。
