第3章
この集団の中では、裏切りと強欲が驚くほど自然に噛み合っていた。
更新ボタンを押すたび、数百件もの悪意に満ちた新しいコメントが「#キャンセルミライメディア」のハッシュタグに雪崩れ込んでくる。
オフィスのドアが勢いよく開いた。
真一が飛び込んできた。額から冷たい汗が大粒になって転げ落ちている。「社長、もう手に負えません! 公式アカウントがコメント欄で袋叩きにされてて、取引先からの怒鳴り込みの電話も鳴り止みません!」
「向こうから実質の最後通牒です。知的財産の争いと世論の反発を収められないなら、最高ランクの配信契約は白紙。発生する違約金だけで、うちは即、黒字倒産ですよ!」
真一は唾を飲み込み、縋るように身を乗り出した。「声明を出して、一歩引きませんか? インキュベーター企画の知的財産優先条項は全部削除すればいいんです」
妥協?
影で扇動し、ネット私刑を煽っている連中に、妥協しろと?
私の目から最後の温度がすっと消えた。
「真一くん、脅し屋に一度でも払ったら、一生みかじめ料を払わされる」
真一がその場で固まる。「でも、世論が……」
自嘲気味な笑みが口元に浮かんだ。私はかつて理想家だった。彼らの導き手になろうとしたし、セーフティネットになろうとした。資金と環境さえ与えれば、クリエイターの理想郷を育てられると本気で信じていた。
けれど、私が育てたのは餌をくれた手に噛みつく毒蛇の巣だった。
ルールという境界のない優しさは、つけ上がった子どもを増やすだけだった。
創作の自由が欲しい?
いい。完全に自由にしてやる。だが、その代償は一切合切、自分たちで背負ってもらう。
私はビル管理会社に直通で電話をかけた。
通話を切ってから、真一を見る。
「明日の朝九時。全体会議」
翌日、八時五十五分。
だだっ広いオープンオフィスから、いつもの朝のキーボード音は消えていた。その代わり、妙に浮ついた、狂騒じみた空気が漂っている。
拓也は椅子にふんぞり返り、脚を組み、勝ち誇った将軍のような顔をしていた。
昨夜の炎上騒ぎに盲従したプログラマーたちに向かって、でかい声で吹聴する。「見てろよ。トレンドは一晩中上がりっぱなしだ。あの女は折れるしかない。『福利厚生の改善』を条件に押し通せば、今日中に契約を取り消す。黙らせるために金まで投げてくるかもな」
最前列の席でパソコンに向かっていた由美は、不安そうに指をねじっていた。昨夜、抗議投稿のリポストを罪悪感たっぷりに消したばかりだ。今は非公開のグループチャットを食い入るように見つめ、震える指で打ち込んでいる。「本当に……お金、配るの……?」
会議開始の通知音が鋭く鳴り、ざわめきを切り裂いた。
人々は津波のように会議室へ押し寄せた。全員の目が、強欲と――私を屈服させたという絶対の確信に、ぎらぎらと燃えている。
二分後、私はテーブルの上座に立っていた。視線を室内に走らせる。誰もが凍りついたまま、微動だにしない。
拓也は真ん中の席を奪い取っていた。顎を上げ、私が降伏する瞬間を待ち構えている。
「昨夜のトレンド投稿も、動画も、コメント欄でのあなたたちの声も――全部、見たし聞いたわ」
私は両手をテーブルに置き、わざと話す速度を落とした。声色には「譲歩と反省」の気配を少しだけ滲ませる。
「無条件の創作の自由を求め、心身の健康を最優先にし、制度の抑圧性に抗議する――そういう声が上がっている」小さくうなずく。「あなたたちの言う通りよ。私が間違っていた」
その言葉が口を離れた瞬間、室内の緊張が目に見えてほどけた。
一切引かない社長の結城杏奈が、本当に折れるなんて――誰も予想していなかったのだ。
一斉に漏れた安堵の息の直後、醜い本音が露わにする。由美は顔を真っ赤にし、興奮で両手で口元を覆った。
拓也は間髪入れない。道徳の裁定者を気取るように胸を張り、大声で言い放つ。「結城社長、制度の欠陥に気づいたのは大きな第一歩です。皆が問題視しているあの悪質な秘密保持契約は、ただちに廃止することを要求します。それから、インキュベーター資金の五百万円ですが、私たちの精神的苦痛への補償として、社員で均等に分配すべきだと思います」
数人がすぐさま机を叩き、「名案だ」と囃し立てた。
私が話に乗り、現金をそのまま懐に流し込むのを待っている。
私は冷たく拓也の言葉を遮った。
「それが搾取だと感じるのなら」背筋を伸ばし、息が詰まるほどの視線で拓也を縫い留める。「ここに宣言します。『インキュベーション・プロジェクト』は即時、永久に中止」
会議室が、底へ落ちたように沈黙した。
「種銭の五百万円、全社の学費補助、上級研修の手当。すべて打ち切り。今この瞬間から、これらの福利に関する金銭申請は一件たりとも処理しない」
「あなたたちの『搾取への抗議』に全面的に合わせて、全社員の毎月の学習手当は、象徴的に千五百円へ減額します」
私は、血の気が引いていく顔を見下ろした。声は裁定の槌のように響く。「この合意が搾取の道具だと言うなら、私が直々に粉々に砕いてあげる。自由は、全面的に返すわ」
理解が追いついたわずかな間ののち、会議室は悲鳴じみた動揺で一気に爆発した。
氷の声が、その混乱を断ち切る。「念のため言っておく。今日この瞬間から、社内外を問わず無断で情報を漏らした者は、その場で即刻解雇。さらに法務が契約違反で手続きを開始し、数千万円規模の違約金を徹底的に毟り取る。やってみなさい」
拓也の勝ち誇った薄笑いが、完全に死んだ。口を開けても声が出ない。冷や汗がみるみるこめかみに浮かび、つうっと流れ落ちる。
由美は机に手をついて立ち上がった。足が激しく震え、顔は恐怖と後悔がぐちゃぐちゃに混ざった醜い表情に歪む。
「結城社長?!」
彼女は、絶望そのものの目で私を見つめた。
「……企画を中止って、そんなの……冗談、ですよね?」
