第2章

 帰り道、私の足は鉛を詰め込まれたように重かった。

 夜明け前の通りはがらんとしていて、私の足音だけが響いている。店の蛍光灯はまだ点いていて、ガラスのドア越しに空っぽの棚が見えた。ドアを押すと、聞き慣れたドアベルの音が鳴る。まるで何事もなかったかのように。

 だが、すべては変わってしまった。

 レジカウンターの後ろに座ると、胸がまだ微かに痛む。医者の言葉が頭の中で繰り返される。

「すぐに手術をしなければ、もってあと三ヶ月です……」

 三ヶ月。

 でも、私の命を救うためのお金は、すべて琉太の口座にある。

 またドアベルが鳴った。顔を上げると、琉太が旅帰りのような様子で入ってきた。

 彼の服は少し湿っていて、髪も少し乱れ、顔には疲労が刻まれている。一時間前の私なら、きっと胸を痛めてすぐに駆け寄り、あれこれと尋ねていただろう。

 今の私は、ただ笑いたかった。

「雪花、どうしてそんなに顔色が悪いんだ?」

 琉太は早足でレジカウンターの前まで来ると、心配そうに私を見つめた。

「疲れすぎたのか?」

 思わず拍手しそうになった。

 この気遣い、この眼差し。もしあの言葉を聞いていなければ、きっと感動して涙を流していただろう。

「なんでもない。ちょっと疲れただけ」

 私は声をできるだけ普通に聞こえるように努めた。

「どうしてこんなに遅く帰ってきたの? 服、どうして濡れてるの?」

 琉太はため息をつき、困ったように笑った。

「今日、家庭教師のバイトに行く途中で、いたずらっ子たちに水をかけられちゃってさ」

 彼はポケットからありったけのお金を出すと、レジカウンターの上に置いた。

「俺は本当に役立たずだな……」

 琉太はうなだれた。

「まだお前に養ってもらってるなんて。時々、自分がクズみたいに思えるよ」

 クズ?

 さっき見たクルーザーの写真が、彼の腕にあった百万円はするロレックスが、頭をよぎる。

 クルーザーパーティーを楽しむクズとは、ずいぶんと新鮮な響きだ。

 自嘲気味にそう思うと、私は感情を抑え、いつも通りを装った。

「あなたはもう十分頑張ってるよ。いつかきっと成功するって信じてる。お腹空いてない? よかったら、ラーメンでも作ろうか?」

 琉太は顔を上げ、その目には感謝の光が宿っていた。そして、申し訳なさそうに言う。

「雪花、お前がそばにいてくれることが、俺の人生で一番幸せなことだよ。卒業したら、絶対に俺がお前を幸せにするから。一緒に最高の家庭を築こう」

 またドアベルが鳴った。厚化粧の女が入ってくる。

 明らかに高価そうな服をまとい、手には限定版のシャネルのバッグを提げ、ハイヒールが床を叩いて甲高い音を立てる。彼女はまっすぐ煙草の棚に向かうと、傲慢な視線を私に投げかけた。

「セブンスター、一つ」

 私が煙草を取りに立ち上がった時、彼女が驚いたような声を上げるのが聞こえた。

「あれ? 田中くんじゃない?」

 振り返ると、彼女は琉太をじっと見つめ、悪意に満ちた笑みを浮かべていた。

 琉太は一瞬固まったが、すぐに首を横に振った。

「いえ、人違いです」

「あら、ごめんなさい」

 女は大げさに謝ったが、その目は明らかに芝居見物を楽しんでいる。

「確かに人違いだったわね。でも、ここの店員さんって本当に愛想がいいのね」

 彼女の視線が、私のコンビニの制服を軽蔑するように一瞥した。その見下したような眼差しは、先ほどクラブで聞いた名前——桜庭蜜香を思い出させた。

『田舎から出てきた大学生に挑戦させてるの。もうその男に、彼女のためにお金を盗ませるところまで来てるわ』

 なるほど、これが琉太と賭けをしていた桜庭蜜香か。

 彼女は金を払うと、去り際にまた琉太を一瞥し、意味深に笑った。

「本当にそっくりね。でも、考えてみればあり得ないか。あの田中くんは、お金持ちの家の息子さんだもの」

 ドアが閉まると、琉太はほっと息をついた。

「変な人。どうして人違いなんてしたのかしら?」

 私は探るように尋ねた。

「さあな」

 琉太はまったく意に介さない様子で肩をすくめた。

「本当に見間違えただけだろ」

 その時、突然胸に激しい痛みが走った。まるで心臓をナイフで切り裂かれるような。私は思わず苦痛に胸を押さえ、顔色が一気に青ざめた。

「どうした?」

 琉太は私の様子を見たが、その口調は今日の夕食を尋ねるかのように軽い。

「また胃痛か? 若い奴は生活リズムが不規則だからな」

 胃痛?

 私は痛みで気を失いそうなのに、彼はそれを胃痛だと言うのか?

「胃薬でも買えば治るさ」

 琉太は続けた。

「病院なんて金の無駄だ。俺たちみたいな貧乏人は、節約しないとな」

「そうね……」

 私は痛みを必死にこらえ、震える声で頷いた。

 もし彼が私の病気を知ったら? 心臓病で、手術に五百万円もかかり、余命三ヶ月かもしれないと知ったら、それでもこんなにあっさりと言えるのだろうか?

 いや、彼は気にも留めないだろう。彼の目には、私は好き勝手に弄べるゲームの道具でしかないのだから。

 琉太は休憩室へ行くと、安物の胃薬の箱を持ってきた。

「ほら、とりあえずこれを飲め」

 彼はぬるま湯を注ぎ、優しく私に薬を飲ませてくれる。その手つきは、まるで貴重な磁器の人形を扱うかのように柔らかい。

「雪花、お前が苦しんでると俺も辛いよ」

 彼は私の背中をさすりながら言った。

「俺が金を稼いだら、真っ先にお前を最高の医者に診せてやるからな」

 思わず笑い出しそうになった。

 最高の医者に診せる? 私自身のお金で?

「そうだ」

 琉太は突然切り出した。

「友達がいい儲け話を紹介してくれてさ。結構稼げるらしいんだけど、少し元手が必要で……」

 来た。

「いくらくらい必要なの?」

 私は尋ねた。

「三十万もあれば十分だ」

 琉太は少し気まずそうに言った。

「お前にとって大金なのは分かってる。でも、これは本当にいいチャンスなんだ。もし成功すれば、俺たちもこんな苦しい生活から抜け出せる」

 三十万。

 さっき聞いた言葉が蘇る。

『あいつの母親の形見の指輪も手に入れられる算段はついてる。この勝負、俺の勝ちで決まりだな』

 母の指輪は、確かに三十万ほどの価値がある。母が私に残してくれた、たった一つの形見だ。

「私……もう少し考えさせて」

 私はかろうじて言った。

「いいよ、急がないから」

 琉太は理解あるように頷いた。

「お前はまずゆっくり休め。俺は外で一服してくる」

 彼はコンビニを出て、ドアの外で煙草に火をつけた。ガラス戸越しに、彼が携帯を取り出して電話をかけるのが見える。

 ある種の直感に突き動かされ、私はそっとドアのそばに寄り、棚の陰に隠れて聞き耳を立てた。

「蜜香? さっき見かけたぜ」

 琉太の声が聞こえてきた。

「なかなかいい演技だったじゃないか、あの『人違い』の芝居」

「ははっ、やっぱりあんたは気が利くわね」

 電話の向こうから、女の得意げな笑い声が聞こえる。

「あの子の顔、最高に面白かったわ。本当に私が人違いしたって信じてるんだもの」

「あいつ、病院に行く金すら惜しむんだぜ。さっき心臓が痛いって苦しんでたけど、胃が痛いだけだって言ったら信じやがった」

 琉太は煙を吸い込んだ。

「ああいう底辺の人間は本当に操りやすい。愛のためなら何でも捨てちまうからな」

 心臓が痛い? 胃が痛い?

 私の目は潤んだ。悲しみからではない。極限までの怒りのせいだ。

「あいつの母親の形見の指輪も手に入れられる算段はついてる」

 琉太は得意げに言った。

「三十万が手に入れば、この勝負、俺の勝ちで決まりだな。そっちはどうだ?」

「私のターゲットはまだ迷ってるけど、もうすぐよ」

 蜜香が言った。

「そうだ、考えたことある? 万が一、あの子が本当に病気で死んだらどうするの?」

「病死?」

 琉太は高笑いした。

「ただの胃痛だぜ? それで死ぬわけないだろ。それに、死んだ方が好都合だ。ゲームが終わった後、どうやって縁を切るか考えなくて済むからな」

 私は棚に寄りかかった。世界がぐるぐると回っているように感じた。

 彼の目には、私は生きている価値すらなかったのか。

 死んだ方が好都合。

 ゲームが終わった後、どうやって縁を切るか考えなくて済むから。

 琉太は電話を切ると煙草を捨て、再びコンビニに入ってきた。私を見ると、またあの心配そうな表情に戻る。

「少しは良くなったか?」

 彼は優しく尋ねた。

「ずっと楽になったわ」

 私は頷いた。その声は、自分でも恐ろしくなるほどに平坦だった。

「それならよかった」

 琉太はほっと息をついた。

「本当に心配したんだぞ」

 心配?

 彼のゲームの道具が壊れるのを心配したのだろうか?

 彼の気遣わしげな眼差しを見つめながら、私は深淵とは何かを悟った。

 騙されたからでも、弄ばれたからでもない。彼の目には、私が真剣に扱われる価値すらなかったという事実が、それだった。

 私はただのゲーム、彼がいつでも捨てられる玩具。

 そして何より滑稽なのは、その玩具が彼の優しさに感謝しなければならないことだった。

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