第1章
佐藤結衣視点
雨粒が喫茶店の窓を激しく叩きつけていた。まるで私の気分――まったくもって、最悪な今の気分を完璧に映し出すかのように。
「なんだこの接客は!」スーツ姿の客が勢いよく立ち上がり、わざとコーヒーカップを倒した。熱い液体が制服に飛び散り、私は思わず苦痛の声を上げた。
「お客様、大変申し訳ありません、すぐに――」
「新しいのを作れって?このスーツがいくらするか分かってんのか?お前に払えんのか、あぁ?」
周りの客たちが静かにこちらに視線を向け、何人かは小声でひそひそと話し始めた。数人は遠巻きに見ている振りをしながらもチラチラと様子を窺い、ごく一部の若い人たちだけがスマホを取り出したものの、あからさまには向けず、何かを調べるふりをしながらさりげなく状況を記録していた。屈辱で顔が燃えるように熱くなる。私はトレイを握りしめた。この仕事だけは、絶対に失うわけにはいかない!
昼は大学に通い、夜はバイトに明け暮れるC大学の学生である私は、奨学金の返済に追われ、すでに心身ともに疲れ果てていた。何より最悪なのは、義理の妹である知世が心臓手術を必要としていることだった。450万円という金額が、私に重くのしかかっていた。
五年前、両親が交通事故で亡くなって以来、知世の面倒を見るのは私の唯一の責任となった。先天性の心臓疾患を持って生まれた彼女は、義父と母が医療費を払えていた頃はまだ何とかなっていた。今は姉妹二人きり。私がこの家族を支えなければ。彼女を救わなければ!
「紳士たるもの、女性をこのように扱うべきではないと思いますが」
顔を上げると、私は完全に凍りついた。
目の前に立つ男性は、まるで映画から抜け出してきたかのようだった。身長は180センチほどの長身で、上質な紺の背広がその引き締まった体を品良く包み込み、凛とした顔立ちに、墨を滴らせたような澄んだ黒い瞳。整った眉と鋭い眼差しは凜々しく、どこか儚さを感じさせる口元との対比が、不思議な魅力を醸し出していた。
説明のつかない理由で、心臓が速鐘を打った。
「何だお前は?余計な口出しするな!」例の客が新しく現れた男を睨みつけた。
「弱い者がいじめられるのを見るのが好きではない、ただの人間ですよ」彼は財布から紙幣を取り出し、テーブルに置いた。「これであなたのスーツなら十着は買えるでしょう。もう行ってください」
その金額を見て、客の表情は一変し、すごすごと立ち去っていった。
「大丈夫ですか?」優雅な手を差し伸べながら、彼は私に顔を向けた。
私は呆然と立ち尽くしていた。「ありがとうございます。でも、同情は要りません」
「藤原拓也です。あなたは?」
藤原拓也……その苗字には、どこか聞き覚えがあった。
「結衣です。佐藤結衣」
「結衣……」彼は私の名前をそっと口にし、その視線が私の顔に留まった。「なぜ助けを受け入れないんですか?」
「タダより高いものはありません。どうして私を助けるんですか?私たちは見ず知らずの仲なのに」
彼の瞳に複雑な感情がよぎり、私に座るよう身振りで示した。「あるいは……お互いに助け合えるかもしれません」
十分後、私たちは隅のボックス席に座っていた。緊張で手のひらが汗ばんでいた。
間近で見ると、彼はさらに息をのむほど端正な顔立ちをしていた。彼にじっと見つめられると、その漆黒の瞳は私の心の奥底まで見透かしているかのようだった。
「あなたが結婚指輪をはめてあげるだけで、誰かが1,500万円も払うかもしれないと考えたことはありますか?」
コーヒーカップが手から滑り落ちそうになった。「な……なんですって?」
「一年間の契約で、1,500万円です。あなたには金が必要で、俺には妻が必要です。互いに利益があります」
私は目を丸くして彼を見つめた。「正気ですか?会ったばかりなのに!」
しかし、私の頭は猛烈な勢いで回転していた。見るからに裕福で、雑誌のモデルのようにハンサムな男性――なぜ彼がお金で妻を『買う』必要があるのだろう?女性に不自由するはずがない。まさか……
「知り合ってからの時間は関係ありません」彼は小切手をこちらに滑らせた。「手付金として750万円――これで妹さんの手術には十分でしょう?」
息が止まった。知世のことは誰にも話したことがない!大学の友達でさえ、私に義理の妹がいることを知らないのに。
「私のことを調べたんですか?」怒りと恐怖がこみ上げてきた。
「正しい選択をしているか、確かめる必要があったので」
待って……彼は私を名指しで調べた。これは偶然なんかじゃない!
「なぜ私なんですか?どんな女性だって見つけられるはずです。どうして喫茶店で働く貧乏学生を選ぶんですか?」
彼の表情に一瞬、不自然な何かがよぎったが、すぐに冷たい無関心へと戻った。「君は俺の条件を満たしています」
何の条件?身分が低いこと?コントロールしやすいこと?それとも、私の知らない何かがあるのだろうか?
「本当の望みは何なんですか?」私は彼の目をまっすぐに見つめた。「私が見落としていることは何ですか?」
彼は立ち上がった。「明日、午後三時、紅葉通りにある森法律事務所へ。金が欲しければ、契約書にサインしに来てください」
翌日、法律事務所の四十階。
床から天井まである窓から街全体を見下ろすこの場所は、何もかもが金の匂いを放っていた。私は完全に場違いな気がした。
「佐藤さんですね?藤原さんが会議室でお待ちです」金縁の眼鏡をかけた弁護士が私を中に案内した。
拓也は長いテーブルの一端に座り、目の前には分厚い書類が置かれていた。今日はネイビーのスーツを着ており、さらに破壊的なほどハンサムに見えた。彼は私を見上げ、その瞳には温かみがなかった。
「来たか。座れ。始めよう」
弁護士が条項を読み上げていく。「契約期間は一年……報酬は1,500万円……互いに独立した生活を維持し……個人的な関係には干渉しない……」
一つ一つの条項がナイフのように私の尊厳を切り刻んでいく。だが同時に、私の疑念を裏付けてもいた――彼が本当に必要なのは、名ばかりの妻だけなのだ。しかし、なぜ?
「何か質問は?」彼は私の震える手に気づいた。
「ありません」病院のベッドにいる知世のことを思い、私は歯を食いしばってサインした。
どうせ一年だけのことだし、彼も他の要求はないと明言していた。彼の目的が何であれ、まずは知世を救うのだ。
「結構」彼もサインを済ませ、立ち上がった。「俺の世界へようこそ、藤原奥様」
藤原奥様……その響きに心臓が激しく高鳴った。私がサインしたのは小切手だったのか、それとも悪魔との契約だったのか、分からなかった。
私は彼の妻になったのだ。
たとえ、名ばかりだとしても。
法律事務所を出ても、まだ足が震えていた。1,500万円――知世の命を救うのに十分な額。しかし、その代償は何なのだろう?
このミステリアスな藤原拓也は、本当は何を望んでいるのか?なぜ、私でなければならなかったのか?
再び雨が降り始め、私の混乱した感情と重なった。
自分が、周到に仕組まれた陰謀に引きずり込まれたことなど、知る由もなかった。
その頃、拓也はオフィスの床から天井までの窓の前に立ち、ウィスキーグラスを片手に、祖父の死に際の言葉を反響させていた。
「藤原株式会社を継ぎたければ、石原麻友の孫娘と結婚しろ。それが私の最後の条件だ」
くそじじい!死んでまで彼の人生をコントロールしようとするなんて!
拓也は酒を乱暴に呷った。アルコールが喉を焼く熱さは、心の中の怒りのようだった。彼は病院のベッドで見た祖父の混濁しながらも頑固な瞳と、あの黄ばんだ写真を思い出した――美しい少女が優しく微笑んでおり、裏には『麻友、我が永遠の愛』と書かれていた。
五十年前、若き藤原家の後継者は庶民の娘と恋に落ちた。しかし、身分の違いと家の反対により、麻友は別の男と結婚した。祖父は生涯結婚せず、すべての愛と後悔を心の奥深くに葬り去ったのだ。
「私は彼女を失ったが、君は彼女の血筋を失ってはならん」それが、あの老人の最後の執着だった。
取締役会の古狐どもはすでに行動を起こしている――三十歳の誕生日までに結婚できなければ、藤原株式会社の経営権は彼の手から滑り落ちるだろう。
そして、石原結衣――いや、今は佐藤結衣――こそが、彼が見つけ出した鍵だった。
今日、彼女が震える手でサインしていたのを思い出すと、説明のつかない苛立ちがこみ上げてきた。彼女はとても脆く、守ってやらねばならないように見えた……まるで祖父の写真の中の麻友のようだった。
「ちっ」拓也は低く悪態をつき、無理やりその考えを振り払った。
これはただのビジネスだ。一年後、彼は遺産を手に入れ、彼女は金を手に入れ、そして二人は別々の道に戻る。それだけのことだ。







