第3章

連中は示し合わせて、九中の校門前で待ち伏せするようになった。狙うのは、全身ブランド物で、しかも大人しそうに見える生徒ばかり。最初から金目当てだと悟られるような真似はしない。「友達になろうぜ」なんて口実で近づいて、相手に自分から金を出させる。

そうやって何度もやっているうちに、九中では痛い目を見た生徒が少なくなかった。

度胸のあるやつが先生に言いつけたこともある。けれど現場を押さえられないし、たとえ捕まえても、次は告げ口したやつを見つけ出して、頭を押さえつけて袋叩きにする。

高橋悠人は、連中にとっての「金づる」の一人だった。転校してきたばかりの生徒で、送り迎えは高級車。身につけているものも全部いいやつで、目利きの手下が、足元の靴が5万だと見抜いた。しかもいつも一人で行動している。

あの日、高橋悠人を囲もうとしたとき、松本文哉は用事で少し遅れた。現場に着いた頃には、手下がすでに悠人に話しかけていて、焦った一人がいきなり手を伸ばし、悠人の鞄を引っ張った。

俯いていた少年の顔色が、その瞬間、すっと変わった。

悠人は相手の襟首を掴むと、迷いもなく路地の入口にある壁へ叩きつけた。後頭部が壁に当たった鈍い呻き声に、聞いているだけで背筋が冷える。悠人の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。

端正で爽やかだった顔立ちが、凄みと陰りを帯びる。

手加減なんて欠片もない。最初の一撃で相手は完全に呆け、反撃する暇もなく顔は血まみれになった。悠人がそれをゴミでも捨てるみたいに、ゴミが入りきらず、外にはみ出しているゴミ箱の横へ放り投げたとき、ようやく他の連中が我に返った。

本来なら、数人で一人を相手にするなど楽勝のはずだった。

だがこいつらは、普段は数の力で威張っているだけで、喧嘩そのものは大して強くない。しかも悠人の打ち方は、相手を潰しにいく――命を賭けるみたいな凶暴さだった。

こんな空気、見たことがない。

結局、数人がかりのほうが一人に片づけられた。悠人も傷は負ったが、喧嘩のあと、鞄を提げてその場を歩いて去れたのは、あの日ただ一人だった。

他の連中は地面に転がったまま動けず、駆けつけた警察に連れていかれた。

殴り合った当事者なのに、最初から最後まで高橋悠人だけは姿を見せなかった。金も権力もある家だから、こんなことは簡単に揉み消した――そういう噂だけが残った。

松本文哉は今でも覚えている。あの日の目。

そして、悠人が最初から最後まで口にした、たった一言。

「誰が俺のもんに触れた」

あの一戦で、高橋悠人は周辺の学校にまで名が知れ渡った。

九中は進学校で、基本は真面目な生徒ばかりだ。だが下町の不良に絡まれたやつは多い。だからこの件が出た途端、中二の悠人は九中全体の「顔」みたいな存在になった。

それ以降、九中の生徒から金を巻き上げようとするやつが出ても、「高橋悠人」の名を出すだけで相手が一度は躊躇した。

まさか、こんなに時間が経ってから、ここでまた高橋悠人に出くわすなんて。

松本文哉が腹の底から怯えないわけがない。

手下が以前、西村夏輝とちょっとした揉め事を起こした。いかにも金持ちの坊ちゃんって感じで、口の利き方も生意気だったから、双方ヒートアップしたらしい。

そのときはどっちも得をしなかった。だから今日、喧嘩の約束をした。

互いに兄貴を連れてきて、面子を取り戻すために。

松本文哉は相手が高橋悠人と繋がっているなんて知らなかった。だが、ここまで来たら引けない。

松本文哉は軽く咳払いして言った。

「悠人さん。あんたのダチ、ちょっと筋が通ってねえ。でも、あんたの身内なら――こいつが俺に謝れば、今日はこれで終わりにしてやる」

悠人がどれだけ強いか、松本文哉は身をもって知っている。馬鹿じゃない。今の自分は、逃げ場のない場所に立たされているだけだ。

背後には手下がいる。

だから自分から段を作った。相手が謝れば、それでいい。

高橋悠人はもともと隊列の最後尾にいた。背が高いせいで後ろでも目立つ。鶴が群れに混じったみたいに。松本文哉の言葉が自分に向けられているのは明らかだった。

周りが気を利かせて道を空け、悠人を前へ通す。

悠人はゆっくり最前に出ると、半分だけ瞼を上げて相手を見た。小さく「ん」と喉を鳴らす。

寝起きみたいな気怠さの残る声なのに、澄んでいて妙に耳に心地いい。

「殴られる前って、いつもそんなに喋んの?」

松本文哉「……」

周囲「……」

この気の抜けた口調で、その台詞。

殴りたくなる。

両陣営とも、ちょっとしたきっかけで一気に揉め事が大きくなりそうな空気だった。それなのに悠人は、わざわざ相手を刺激したうえ、さらに挑発を重ねた。向こうの手下の一人が堪えきれず、兄貴の合図も待たずに怒鳴り声を上げて突っ込んできた。

そいつはやけに顔立ちが整っていて、飛ぶみたいな勢いで距離を詰め、跳んだまま拳を振り下ろす。

車内の鈴木結月は、高橋悠人に遭遇した衝撃で呆けていたが、ついに手が出たうえ、真っ先に悠人へ向かったのを見て、はっと我に返った。窓に身を乗り出し、遠慮なく見物する。

――だが、想像していた展開にはならない。

相手のフォームは派手で、空中の拳もそれなりに鋭かった。けれど拳が落ちる前に、悠人が一歩踏み込み、足を上げて相手の腰へ蹴りを叩き込んだ。

その一撃で、飛んできた勢いが丸ごと逆向きになる。男は数メートル吹き飛び、背中から地面に叩きつけられた。

でかい体が、蹴られただけで数メートル。

容赦がない。

距離があっても、結月には「ドンッ」という鈍い衝撃音が聞こえた。想像するだけで痛い。

悠人は片手で反対の手首を軽く揉み、場違いなくらいのんびり欠伸をした。

「で、次は?」

……あんな言い方をされて、屈辱を感じないほうがおかしい。耐えられる人間などいない。

こうして二つの不良グループは、ついに入り乱れて殴り合いを始めた。八月の夜、拳と蹴りが飛び交い、若さゆえの勢いが真正面からぶつかり合う。

怒鳴り声が飛び交い、もはや誰にも止められない。

結月は窓に張りついたまま、高橋悠人が大勢の中でもひときわ余裕のある様子で立ち回っているのを見ていた。最初の一蹴りで相手を震え上がらせたせいか、誰も自分から悠人に向かっていこうとはしない。

二人がかりで囲もうとしたときも、悠人はまず正面の一人を蹴り飛ばし、すぐさま身をひねって背後の一人の顔面へ拳を叩き込んだ。

殴られた男は顔を押さえ、その場に膝をつく。

それ以降、誰も悠人に手を出さなくなった。

殴り合いが続く輪の中で、悠人だけが外側に立っていられる。

やがて悠人がこちらを振り向き、視線が車へ、そして鈴木結月へ落ちた。見物の姿勢があまりに快適そうだ。夜とはいえ夏は暑い。車内は涼しいだろうし。

ほどなくして、結月の目の前まで悠人が来た。

悠人はすぐには乗り込まず、少しだけ身を屈めて、顔を窓へ寄せる。目に浮かぶのは、値踏みするような気配。

「お前……?」

――なぜ俺の車にいる。そう訊きたいのだ。

結月は至近距離で少年を見て、また一瞬、意識が揺れた。転生だけでも神様からの最大級の衝撃だと思っていたのに。前世とは違う選択をしたせいで、自分の「一生の敵」と、こんなにも早く出会うなんて。

高橋悠人。前世で結月が帰国し、投資銀行に入ってから、この名前が耳から消えたことは一度もない。

何度も競り合い、案件を奪われ、いつも一歩上を行かれた。

投資銀行業界の、表に出ない投票で「No.1のイケメン」と噂される男。育ちの良さが滲むのに近寄りがたく、禁欲的で、顔は人を狂わせるほど整っている。あの顔があるだけで、商談の扉が開く――そんな冗談まであった。

どれだけの人間が密かに恋心を抱いたことか。

結月は、スーツ姿の悠人を何度も見てきた。きっちりした装いで、感情を殺したような禁欲の顔。こんなふうに少年らしさを残したまま、凶暴に暴れる悠人は初めてだ。

ただ、今の悠人の顔には、さっきの冷酷な殺気がない。

細身で背が高く、少し屈んでいても脚の長さが際立つ。結月はさっき、人を蹴り飛ばしたあの瞬間を思い出した。

悠人の目は冷たくない。目尻がわずかに下がり、漆黒の瞳には疑問だけが浮かんでいる。

白い肌は不自然なくらい冷たく、日差しを知らない吸血鬼みたいなのに、頭上の古びた街灯からこぼれる光が柔らかく降り注ぎ、肌にほのかな艶を添えていた。

纏う空気まで、少しだけ丸くなっていた。

結月はそんな見た目に騙されない。さっきの容赦のなさを思い出し、少し考えてから顎を上げ、静かに言った。

「すみません。車、間違えました」

……うん、正直に。

認めたくはないが、今の高橋悠人は危険だ。敵味方も、力の差も、まだ掴めていない段階で正面からぶつかる気はない。

結月の顔立ちは、整っていてどこかあどけない。黙っていれば品があって、やけに「いい子」に見える。

そのぶん、紛らわしい。

結月の声は柔らかく、ふわりと落ちた。言い終えてから二、三秒。悠人がようやく反応する。鼻で笑い、掠れた声でくつくつと笑った。

――それで間違えるかよ。

結月は疑われたと思い、窓枠に両手を置いて、少しだけ真面目な顔になる。

「お兄さん」

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