第8章
兄さんとの電話を切った後、佐藤玲奈はマンション近くのコンビニに立ち寄り、日用品と食料品を購入した。
以前は家にいた頃、彼女は正式な仕事こそなかったものの、古画や古書の修復といった仕事を時々引き受け、それなりの貯金を作ることができていた。
あの血を吸う最低な男さえいなければ、その貯金だけでも十分良い暮らしができたはずだ。
以前の自分はどうして頭がおかしくなっていたのだろう？
2、3時間後、佐藤玲奈は小さな荷物を抱えてマンションに戻った。
彼女は購入した食品を冷蔵庫に詰め込み、卵とトマトを数個取り出して、自分のために簡単な昼食を作る準備を始めた。
「カチャ」という小さな音と共に、玄関からドアの開く音が聞こえた。
佐藤玲奈が振り向くと、ちょうど入ってきた男性と目が合った。
二人とも一瞬たじろぎ、言葉もなく見つめ合った。
そうだ、彼女はもう結婚したのだ。既婚女性の生活に早く慣れなければ。
佐藤玲奈は唇を少し引き締め、男性の端正な顔立ちを見つめながら、淡い笑みを浮かべた。「お帰りなさい。一緒に食事する？」
堀田知也は薄い唇を緩めて、「ああ、いいよ」
二人で食べるなら、昼食もあまり適当にはできない。
佐藤玲奈はしばらく考えた後、冷蔵庫から食材を取り出し、おかず三品と汁物一品を作った。
堀田知也はテーブルに並んだごく普通の家庭料理を黙って見つめ、漆黒の瞳が少し暗く沈んだ。
「あの、私は簡単な料理しか作れないから、適当に食べてください」
佐藤玲奈は堀田知也がなかなか箸をつけないのを見て、彼が気に入らないのかと思い、慌てて気まずそうに説明した。
「いいよ」
堀田知也はそっけなく言うと、テーブルに座って箸を取り、トマトと卵の炒め物を一口口に運んだ。
ほんのり甘い味わい、とても普通の味。
でも...なぜか家庭の温もりを感じる味だった。
二人が静かに調和して昼食を終えると、堀田知也は立ち上がり、財布からキャッシュカードを一枚取り出して佐藤玲奈に渡した。
「このカードには一億円入っている。自由に使っていい。使い切ったら言ってくれ、また入れておく」
佐藤玲奈はぼんやりとカードを受け取った。彼女は何か言おうとして口を開いたが、結局言葉を飲み込み、黙ってそのカードを受け取った。
実は彼女は相手のお金など必要としていなかった。自分で稼いだお金を使う方が心に負担がない。
しかし堀田知也がくれると言うものを、断ることもできなかった。
まあいい、とりあえず取っておいて、後で契約が終わったら返せばいいだろう。
午後、堀田知也がオフィスで書類に目を通していると、隣にいる助手の木村直人が熱心に彼を見つめていた。
堀田知也の眉が一度跳ね、黒い瞳を上げて木村直人をじっと見つめ、低い声で言った。「何か問題でも？」
木村直人は一瞬驚き、軽く笑って言った。「堀田社長、今日はご機嫌がよさそうですね」
堀田知也は少し驚いた。自分の機嫌がいい？まさか。
なぜだか分からないが、堀田知也は突然昼食時の家庭料理を思い出し、思わず口元が緩んだ。
木村直人は驚いて目を見開き、信じられないような表情で堀田知也の一瞬の笑みを見つめた。
社長が笑った？！
あまりにも信じられない！
堀田グループでは、堀田知也が会社ではめったに笑わないことを知らない者はいない。
彼はいつも無表情で、人を寄せ付けない雰囲気を身にまとい、誰も近づく勇気がなかった。
しかし思いもよらず、堀田社長が笑うなんて！それもこんなに素敵な笑顔を！！
高橋星辰は、佐藤玲奈が自分を訴えるなんて思ってもみなかった。
警察が彼の家に踏み込み、詐欺罪で逮捕した時、高橋星辰は呆然とした。
「警察さん、俺は本当に詐欺なんてしていません！」
警察署で、高橋星辰は制服を着た警察官に必死に弁解した。
「詐欺をしていないのに、なぜ訴えられる？」
「これは全部誤解です！佐藤玲奈は俺の婚約者で、最近俺と喧嘩していて、わざとこんな方法で俺をいじめているんです！」
高橋星辰は警察官の不信感に満ちた表情を見て焦った。
「信じないなら、今すぐ彼女に電話します！」
高橋星辰はそう言いながら、ポケットから携帯を取り出して佐藤玲奈に電話をかけた。
【お客様のおかけになった電話は現在つながりません】
「くそっ！」
高橋星辰は小声で罵り、自分の電話番号はおそらく佐藤玲奈にブロックされていたことを思い出した。
高橋星辰は仕方なく、LINEを開いてビデオ通話をかけた。
「ツーツーツー...カチッ！」
電話はわずか三回鳴っただけで、相手に冷酷に切られた。
高橋星辰はあきらめず、再びかけ、切られ、またかける、切られる。
さらにかけようとすると...もう通じない！
「くそっ！このあまい女！」高橋星辰は恨めしげに罵った。
隣からの鋭い視線を感じ、高橋星辰は首を硬く回し、虎視眈々と彼を見つめる警察官に気まずそうに笑いかけた。
同時に、佐藤優子は病院で佐藤玲奈に冷たくされたことで気分が悪かった。
彼女は道を歩きながら、高橋星辰に電話をかけようとして、これからどうするか相談しようとしたが、相手の電話がどうしてもつながらなかった。
ようやく電話がつながると、佐藤優子は口を尖らせ、電話越しに訴えるように言った。「星辰兄さん、お姉ちゃんが逃げちゃった、早く何とかして」
電話の向こうで一瞬の沈黙があった。
その後、高橋星辰の歯ぎしりするような声が聞こえた。
「優子、俺はあのあまい女にひどい目に遭わされた！あいつ、詐欺罪で俺を訴えたんだ！！」
「なんですって？！」
佐藤優子は驚きの声を上げた。「星辰兄さん、今どこにいるの？」
「警察署だ」
佐藤玲奈、よくも！！
佐藤優子は電話を切り、黒い瞳に恨みの色が浮かんだ。
彼女は暗い顔で道を歩きながら、佐藤玲奈の病院での奇妙な様子を思い返していた。
なぜか、あの日佐藤玲奈が病院で目を覚ましてから、彼女の一挙一動は本当に奇妙だった。
いったい何がおかしいのだろう？！
以前の佐藤玲奈はおどおどして、扱いやすかったはずなのに、なぜ突然別人のように変わってしまったのか？
佐藤優子は暗い表情で考え込みながら歩いていて、うつむいたまま誰かにぶつかってしまった。
「すみませ...」
佐藤優子の謝罪の言葉は口から出る前に、目の前の男性を見て驚きに目を見開いた。
堀田知也！！
Z市では、堀田知也の容姿、富、そして地位は多くの男女を魅了していた！
佐藤優子も例外ではなかった。
彼女は男性の端正で優雅な顔立ちを見つめ、その漆黒の瞳は彼女のフィルターを通して、優しく情熱的に見えた。
この男性が自分のものになれば...
考えが頭をよぎり、佐藤優子はわざと足をくじいたふりをした。
「あいたっ！」
突然、佐藤優子は弱々しく地面に倒れ、涙目で憐れな表情を浮かべて男性を見上げた。
そして...
男性は無表情で彼女の傍を通り過ぎ、一瞥すらくれなかった。
彼はそのまま行ってしまった？！
佐藤優子は信じられないという顔で目を見開き、怒りに燃えて立ち上がり、追いかけて問いただそうとした。
「ドーン！」
通りの服屋で突然爆発が起こり、もうもうたる煙が瞬く間に通りの半分を覆った。
たちまち、悲鳴や叫び声が一斉に響き渡った。
その時、堀田知也は爆発現場から遠くないところに立っていた。彼の暗い眼差しは前方の騒がしい群衆と立ち上る煙をじっと見つめ、血に染まった手には玉のペンダントをしっかりと握りしめていた。
