第3章
寝室のドアが乱暴に開け放たれ、彰が大股で踏み込んできた。
「誰にメッセージを送っている?」
「友達よ」私は静かに彼の視線を受け止めた。
彼は顎に力を込め、私を見下ろした。
「逃げられるなどと思うなよ。どこへ行けるというんだ?」
「あの時、お前が莉子を追い出したんだろう」その声は氷のように冷酷だった。
「嫉妬して、彼女を俺のそばに置きたくなかったからな」
私は凍りついた。
「彼女が去ったから、仕方なくお前と結婚したんだ。お前は望み通りすべてを手に入れた」彼は私を睨みつけた。
「彼女が戻ってきた途端、自分だけ逃げ出せると思っているのか? 絶対に許さない」
莉子はそうやって彼を騙していたのか。私が彼女を追い出したのだと。彼が私を憎むのも無理はない。私が彼の最愛の女性を冷酷に奪い、黒崎家の女主人の座に居座っていると思っているのだから。
弁明すべきだろうか? 彼女を追い出したことなどないと伝えるべきか?
しかし、それで何が変わるというのだろう。たとえ真実を知ったところで、彼が愛しているのは莉子なのだ。説明したところで、さらなる屈辱を味わうだけだ。
だから、私は何も言わなかった。
彼は私の沈黙を自白と受け取った。嫌悪感に満ちた鼻で笑うと、背を向けて部屋を出て行った。
彼が去った瞬間、スマートフォンの画面が明るくなった。尊からのメッセージだ。
『二日後に迎えに行く。準備しておけ』
二日。あと二日だけ、この地獄を耐え抜けばいい。黒崎彰、あなたが私を憎んでいようと、身代わりとしか見ていなかろうと、あと二日で、すべてが終わる。
「奥様、お薬をお持ちしました」
執事だった。
「入って」と私は答えた。
彼は湯気を立てるお椀を運んできた。
「黒崎様からの言いつけです。地下牢で一晩過ごされたので、風邪を引かれるかもしれないと」
私はそのお椀を見つめ、思わず自嘲気味に微笑んだ。彰からの薬? あんな目をして私を見ていたのに、そんなはずがない。
「下げて。いらないわ」
「しかし、奥様……」
「下げてと言っているの」私は繰り返した。
執事は躊躇いながらも、お椀をナイトテーブルに置き、静かに退出していった。
二分後、再びドアが開いた。莉子だ。
彼女はベッドに近づき、お椀を一瞥した。その唇から嘲笑が漏れる。
「まさか、本当に彰がそれを送ったとでも思ってるの?」
「あなたが水牢で凍え死のうが腐ろうが、彼は気にも留めないわ。私が執事に運ばせたのよ。あなたが彰の優しさを信じ込むほど馬鹿かどうか試すためにね。まだ少しは脳みそが残っていたみたいね」
彼女は陶器のお椀を手に取ると、床に叩きつけた。
ガチャンと音を立てて砕け散る。
笑顔が消えた。彼女はしゃがみ込み、ギザギザに尖った陶器の破片を拾い上げた。
私は本能的に身をすくめ、両腕でお腹を抱え込んだ。
莉子は立ち上がり、鋭い断面を自身の頬に押し当てた。
「ねえ、もしあなたがまた私を傷つけたと彰が知ったら、どうすると思う?」
「狂ってる……」私は瞳孔を収縮させた。
私が言い終わる前に、彼女は破片を頬に滑らせた。途端に血が滲み出す。
「きゃあっ! お姉ちゃん! どうしてこんなことするの!」彼女は悲鳴を上げた。
血の流れる顔を押さえ、彼女は砕けた陶器の上に崩れ落ちた。涙と血が混ざり合っていたが、その口元には残酷な笑みが浮かんでいた。
彼女は本当に狂っている。私を破滅させるためなら、自分の顔を傷つけることすら厭わないのだ。
激しい音を立ててドアが開いた。怒り狂う獣のように彰が飛び込んできて、そのすぐ後ろに宗太郎と百合子が続いた。
血まみれの莉子を見た瞬間、彼の理性が吹き飛んだ。彼は飛びつき、彼女を大事そうに抱き寄せた。
「私の娘が!」百合子が泣き叫んだ。
彰が顔を上げた。その目は血走っていた。微塵の疑いもなく――ただ絶対的で、骨の髄から湧き上がるような憎悪だけを向けて、私を睨みつけた。
「結衣……お前……!」
「私じゃない……」そう言おうとした。
彼は聞く耳を持たなかった。大股で私に近づいてくる。私は後ずさったが、彼に掴まれ、ベッドから乱暴に引きずり下ろされた。
「彰! 離して!」私は叫んだ。
彼は私を入り口に向かって投げ飛ばした。私は反射的に左手を伸ばし、頑丈な木製のドア枠にしがみついた。
恐ろしいほどの勢いで、重厚なドアが私の手を挟み込んで閉まった。
電流のような激痛が背筋を貫いた。
視界が真っ暗になる。冷や汗が背中を濡らした。ドア枠から血が滲み、床に滴り落ちる。
彰はドアから手を離したが、私の潰れた手には一瞥もくれなかった。彼は莉子の元へ戻り、彼女を抱き上げた。
「怖がらなくていい。すぐに医者が来る」そう優しく囁く。
彼女を抱き抱えて出て行く際、震える私の体を跨ぎ越えながら、彼は立ち止まった。
「結衣、これが最後の警告だ。二度と莉子を傷つけたら、離婚する」
彼は大股で去っていった。
離婚? 彼は離婚で私を脅しているのか?
彼は知らないのだ。私のバッグに隠された離婚届には、すでに彼の署名が記されていることを。彼がサインしたその瞬間、私たちの結婚は死んだのだ。
翌日、莉子は勝者のような得意げな顔で入ってきた。
「私と彰、結婚式を挙げるの。彼、もう待ちきれないって。彼がどれだけ私を愛しているか、特等席で見せてあげるわ」彼女はくすくす笑って出て行った。
三日目。尊と約束した日がやってきた。
スマートフォンが振動した。莉子からのメッセージ。画面が写真で埋め尽くされる。
仕立ての良い黒のスーツを着た彰が、純白のドレスを着て幸せそうによりかかる莉子の指に、指輪をはめている写真。
『これが彼が本当に望んでいた結婚式よ。あなたは式すら挙げてもらえなかった。その価値がなかったからね』
五年前、彰は安全ではないからと、後で埋め合わせをすると言っていた。それなのに、莉子のためにはたった二日で豪華な結婚式を準備したのだ。できなかったわけではない。ただ、私のためにしたくなかっただけなのだ。
再びスマートフォンが震えた。尊からだ。
『あと十分』
十分後、屋敷の周辺で騒ぎが起きた。尊が現れた。
「行くぞ。ヘリが――」
彼は言葉を区切った。その視線が、血のにじむ包帯を巻いた私の手に釘付けになる。
彼の周りの空気が氷のように冷たくなった。彼は何も聞かなかった。ただ顎に力を込め、身をかがめて私を抱き上げた。その触れ方は、信じられないほど優しかった。
待機しているヘリコプターへと運ばれながら、私は最後に一度だけ屋敷を振り返った。遠くでは、真昼だというのに結婚式の明かりが眩しく輝いている。
「行きましょう」私は呟いた。
ローターが轟音を立て、私たちは空へと舞い上がった。安全な高度に達すると、尊は片腕で私を抱き寄せたまま、コートからリモコンを取り出し、ボタンを押した。
重低音の爆発が黒崎家の屋敷を揺るがした。
目も眩むような火柱が大地を突き破り、空を赤く染め上げ、彼らの偽りの笑い声を飲み込んでいく。
私は眼下で燃え盛る屋敷を見下ろした。
さようなら、黒崎彰。
この人生で、私たちが再び会うことは二度とない。
