第1章 転生した悪役令嬢

真夜中、星辰魔法学園のS級貴族寮は静寂に包まれていた。

桐島遥は突如、悪夢から飛び起きた。冷や汗が彼女の銀色の長い髪をぐっしょりと濡らしている。頭に針を刺すような痛みが走り、見知らぬ、それでいてどこか見覚えのある大量の記憶が、潮のように脳内へ流れ込んできた。

「ありえない……きっと夢だわ!」

彼女は震えながら身を起こす。月光がステンドグラスの窓を通して室内に降り注いでいた。部屋に並べられた高級な魔導具や魔法書籍の数々が、これが夢ではないという事実を突きつけてくる。

化粧台へと歩み寄ると、鏡の中には絶世の美貌が映し出されていた。滝のような銀髪に、深く神秘的な紫色の瞳。

「これは……『星辰魔法学園』の世界? 私が悪役令嬢の桐島遥に転生したっていうの?」

記憶の断片が次々とフラッシュバックする。乙女ゲームのシナリオ、攻略対象たち、そして自身の悲惨な結末――皆に嫌われ、ついには魔界の境界へと追放されるという運命。

慌てて引き出しを探ると、案の定、前世で記録したゲームの攻略ノートが見つかった。

「ゲームのシナリオ通りなら、私はみんなに嫌われて、最後には悲惨な結末を迎えることになる……」

——

夜が明け始めた頃、学院の魔法テストホールにはすでに貴族の生徒たちが集まっていた。

巨大なクリスタルボールが宙に浮かび、その周囲を魔力を測定するための古代魔法陣が取り囲んでいる。

今日は重要な魔法天賦のテストがあり、全生徒が参加を義務付けられていた。

「次、桐島遥」

指導教官の声がホールに響き渡る。

遥は深呼吸を一つして、ゆっくりとクリスタルボールへと歩み寄った。これから起こること全てが、彼女が最も信じたくない事実を裏付けることになるだろうと分かっていた。

手のひらがクリスタルボールに触れた瞬間、紫黒色の闇系統の魔力が荒れ狂うように溢れ出した。クリスタルボール全体が不吉な闇の光に包まれ、心臓が悸くような気配を放つ。

周囲から息を呑む音が聞こえた。

「闇属性魔法……それもこれほど強大な闇の力とは、実に稀だ」

指導教官の声には、明らかな憂慮の色が滲んでいた。

「恐ろしい……闇系統の魔法使いって、危険な人ばかりじゃないの?」

「闇系統の魔法使いは、黒魔法使いに堕ちやすいって聞くわ……」

ひそひそ話が絶え間なく聞こえてくる。自分に向けられる視線の全てに、警戒と恐怖が混じっているのを遥は感じ取った。

「次、桐島まゆ」

遥の〝妹〟が、おずおずと前に進み出た。

まゆは柔らかな金色の長い髪を持ち、湖のように澄んだ青い瞳をしていて、その全身から優しく清らかな雰囲気を放っている。

「お姉様の魔法、すごく怖かったです……私、自分の魔法を見せない方がいいのかな?」

まゆは小声でそう呟きながらも、すでに手をクリスタルボールに置いていた。

次の瞬間、神々しい金色の光がホール全体を瞬く間に満たした!

クリスタルボールは太陽のような輝きを放ち、その温かな光明の力は、その場にいた者全ての心を浄化していくかのようだった。これこそが伝説の聖光魔法!

「信じられない! 伝説の聖光魔法だ!」

「まゆ様は、神に選ばれし方だったのか!」

「なんて美しいんだ、これが伝説の奇跡か……」

感嘆の声が次々と上がり、誰もが崇拝の眼差しでまゆを見つめている。そして、先ほどまで闇の光を放っていたクリスタルボールは、今や聖光によって完全に浄化され、まるで光が闇に勝利したと宣言しているかのようだった。

あまりにも対照的すぎる……。

遥は、ゲームにおける設定を苦笑しながら思い出した。まゆの聖光対自分の暗黒、選ばれし乙女対悪役令嬢。

午後、学園図書館の貴族専用エリア。

遥は約束通り、婚約者であるソウシ王子に会うためここへやって来た。しかし、目の前の光景に彼女の心は谷底へと沈んでいく。

ソウシがまゆの隣に座り、根気よく彼女に光明魔法の原理を説明している。普段、自分に対しては穏やかでありながらもどこか距離を置くあの王子が、今、その目に優しさを湛えていた。

「ソウシ、今日は一緒に魔法史を研究する約束でしたわよね?」

遥の声に、ソウシは顔を上げ、その瞳に一瞬、苛立ちがよぎった。

「ああ、すまない、忘れていた。まゆが光明魔法で困っていてな、指導が必要なんだ」

その冷淡な口調は、刃のように遥の心を突き刺した。

これがゲームのシナリオ……ソウシはまゆに惹かれ始めている。

「ごめんなさい、お姉様。私がお二人の邪魔を……すぐに失礼します」

まゆは慌てて立ち上がり、目に涙を浮かべた。

「謝る必要はない。後輩を助けるのは私の役目だ」

ソウシは優しくまゆにそう言うと、遥の方へ向き直った。

「すまない、遥。また日を改めてもらおう」

日を改めて? いつからこの婚約者だった男は、最低限の敬意すら払ってくれなくなったのだろうか。

遥は拳を固く握りしめ、爪が掌に深く食い込んだ。

始まった……ゲームと全く同じように……。

——

深夜、寮の休憩室。

暖かい暖炉が燃え、炎の影が壁で踊っている。遥は一人ソファに座って魔法書を捲り、今日起きた出来事を考えまいと努めていた。

控えめなノックの音が響く。

「お姉様、入ってもいいですか?」

まゆがナイトガウン姿で戸口に現れた。彼女の目にはいつも涙が溜まっており、その姿はひどくか弱く見えた。

「ええ、もちろん」

遥は本を置き、できるだけ平静を装って答えた。

まゆは遥の隣に腰を下ろす。

「お姉様、本当にごめんなさい……お姉様のものを奪うつもりなんて、私……」

奪う? 巧妙な言葉選びだ。

「まゆ、何を言っているの? ソウシは私の婚約者よ。それは変わらないわ」

まゆは俯き、涙が雪のように白いナイトガウンの上にこぼれ落ちた。

「でも……皆さんが、聖光魔法は王子の光明属性とお似合いだって。お姉様の闇系統の魔法は……」

言葉は途切れたが、言わんとすることは明白だった。

「何が言いたいの?」

遥の声は、危険な響きを帯び始めた。

「何も考えていません。ただ、自分がこんな魔法に目覚めるべきじゃなかったって……これがお姉様を困らせるのなら」

まゆは一層激しく泣き出した。

「私の存在がお姉様を苦しめるなんて、嫌なんです……」

表面上は無垢を装いながら、実際には私が相応しくないと仄めかしている。遥は目の前で繰り広げられる〝妹〟の芝居を静かに見つめていた。ゲームの中のまゆもこうだった。いつも最も純真な見た目で最も人を傷つける言葉を口にし、反論を許さない。表向き、彼女は何も悪いことをしていないのだから。

「まゆ」

遥はゆっくりと口を開いた。危険な炎の光がその瞳の底に映っている。

「闇系統の魔法使いが一番恐ろしいところは、何だか知っている?」

まゆは泣き止み、不安そうに彼女を見上げた。

「人の心の、最も暗い部分を見透かせることよ」

遥は立ち上がり、まゆを見下ろす。月光が彼女の銀髪に降り注ぎ、今の彼女は堕天使のように美しく、そして危険だった。

「だから、可愛い妹。次に芝居をするときは……もう少し心を込めて演じることね」

部屋は、死んだような静寂に包まれた。

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