第3章
一週間後、コステロ家の宴はN市の海沿いにある私有の邸宅で開かれた。
私は深いモスグリーンのロングドレスを選び、真珠のピアスだけをつけ、髪をまとめて、堂々と会場の入口に立った。
イーサンは私を見るなり、ほんの一瞬だけ目を奪われたように息をのむ。けれどその色は、すぐに消えた。
彼の隣にはソフィアがいる。親しげに腕を絡め、まるで当然の顔で。
私の反応を怖れたのか、イーサンが一歩近づき、低い声で言い訳をする。
「ソフィアが人脈を広げたいと言ってな。家の商売の役に立つから……一緒に連れてきた。変に思うなよ」
ソフィアも、いつもの柔らかな声で続けた。
「オリヴィア、誤解しないで。私はただ知り合いを増やしたいだけ。あなたとイーサンの邪魔はしないわ」
絡んだ腕に視線を落とし、私は口元だけで笑う。
「ソフィアさんは努力家ね。まだ具合が良くないのに、家のために奔走だなんて」
ソフィアの頬がぴくりと引きつる。イーサンが慌てて取り繕った。
「……ほら、入ろう」
ホールに足を踏み入れた瞬間、私は人の波を目でなぞり、今日の主役――ダミアンの姿を探した。
掴めた情報はわずか。表には出ないが、動けば容赦がない。N市の裏社会にも、合法のビジネスにも、圧倒的な影響力を持つ男。
外見の情報も少なく、イタリアの血を引き、母親譲りだという程度。
父はコステロ家の先代のボス。本来の跡継ぎは兄だった。だが一年前、父と兄は銃撃戦で同時に命を落とし、ダミアンが家を継いだ。
そしてN市の地下の連中は囁く。
――父と兄を消したのは、彼だ。
その噂が、この若いボスをいっそう得体の知れない存在にしていた。冷酷で、陰が深い。近づけば噛み殺される、と。
私はイーサンの紹介を上の空で受け流しながら、視線だけを走らせる。
イーサンはというと、ソフィアを連れて重要そうな相手のもとへ次々と挨拶に回っていた。ソフィアも堂々としていて、あっという間に視線を集める。
私はそれを横目に、ソーダ水のグラスを手に、比較的人の少ないテラスの端へそっと退いた。
「こんなところで一人? イーサンは一緒じゃないの?」
背後から、聞き慣れた声。
振り返ると、ソフィアがいつものか弱い笑みを貼りつけている。けれど瞳には、イーサンの前で見せる従順さはなく、露骨な挑発が浮かんでいた。
「中が暑いから、風に当たってるだけよ」
淡々と返し、関わりたくないという意思を隠しもしない。
ソフィアが一歩詰め、声を落とす。笑みが細く尖った。
「大変ね。家で料理してるだけの主婦が、こういう場所に来たって。場違いじゃない?」
私はグラスを軽く揺らす。
「あなたみたいな不倫相手が平気なら、正妻の私が困ることはないわ」
「……っ!」
柔らかさが剥がれ落ち、ソフィアの顔に怒りがむき出しになる。
「あなたが横取りしなければ、私とイーサンは結婚してた! 第三者はあなたよ!」
さらに距離を詰め、目を吊り上げた。
「聞いて、オリヴィア。私は必ずあなたを奥さんの座から引きずり下ろす。私の子を殺した代償、払わせてやるんだから!」
流産のことまで、私のせいにするのか。
――笑えるほど都合のいい理屈。
「用事があるの」
冷たく言い捨て、背を向ける。
その瞬間だった。
「きゃっ……!」
短い悲鳴。
振り返ると、ソフィアが床に座り込み、足首を押さえて泣いていた。さっきまでの剣呑な顔は消え、涙に濡れた無垢な表情。別人みたいに。
周囲の視線が一気に集まる。
イーサンが真っ先に駆け寄り、ソフィアを抱き起こした。焦りと痛ましさが露骨に滲む。
「ソフィア、どうした!?」
ソフィアは彼の胸に縋り、涙目で私を見る。
「大丈夫……。私、ただオリヴィアと誤解を解きたくて……でも、彼女が嫌なら仕方ないのに……押されて……」
小さな声。それでも、十分に周囲へ届く。
一斉に目が私へ向いた。
イーサンが顔を上げ、事情も確かめずに怒鳴る。
「オリヴィア! 何してるんだ! 今すぐソフィアに謝れ!」
頭に血がのぼる。
彼女は私を晒し者にしたいだけ。イーサンはそれに乗って、私を踏みつける。
私は息を整え、声の温度だけを落とした。
「あなた、見たの? 私が押したところを。彼女の言葉だけで決めるの?」
ソフィアはさらに泣き、周囲を見回して弱々しく言う。
「こんなに人が見てたのに……。信じられないなら、みんなに聞いて……」
イーサンが普段からソフィアを連れ回しているせいで、会場の多くは彼女を知っている。中には、彼女を「奥さん」だと思い込んでいる相手だっているだろう。
案の定、ひそひそ声が広がった。
「いつも連れてきてる女性だよな……」
「緑のドレスの女、上品そうに見えたのに」
「正妻らしいけど、見かけないよね」
「嫉妬で手が出るとか……だから連れて来ないんだろ」
囁きは膨らみ、空気がソフィア寄りに固まっていく。
ソフィアはイーサンの胸の中で、勝者みたいに目を細めた。
「オリヴィア! 早く謝れ!」
命令の口調。私は拳を握りしめ、指の関節が白くなる。
この場で何を言っても、弁解にしか聞こえない。
――そのとき。
低く、艶のある男の声が、ざわめきを断ち切った。
「その夫人の言葉が真実だと、私が証明しよう」
会場がすっと静まり返り、皆が声のした方を見る。
階段の上から、三十前後の男がゆっくり降りてきた。
背が高い。深いグレーのスーツが広い肩と長い脚を際立たせる。通った鼻梁、くっきりした唇の輪郭。整えられたブラウンの髪。そして灯りの下で、青い瞳だけが冷えた刃のように光っていた。
近づくほど、圧が増す。呼吸するのさえ許されないような威圧感。
――誰……?
男が歩く先で、人々が自然に道を空ける。畏れと緊張が、顔にありありと浮かんでいた。
イーサンの顔色が一気に白くなる。男に向かって身をかがめ、卑屈なほど丁寧に言った。
「ダミアンさん……こんばんは。まさかこんな些細なことで、お目に留まるとは」
――ダミアン。
その名が耳に入った瞬間、私の時間が止まった。
目の前の男が、私が探していたダミアン。
私のお腹の子の、本当の父親。
