第7章

イーサンを避けるため、私はカジノの裏口から出るしかなかった。

家に着いて間もなく、イーサンが泥酔して帰ってきた。ソフィアに身体を支えられ、ふらふらと玄関をくぐってくる。

ソフィアは眉をつり上げ、わざとイーサンの胸に頬を寄せて見せた。挑発するみたいに。

「お姉さん。まだ起きてたの?」

ソフィアは苦労してイーサンをソファへ引きずり、甘ったるい笑顔を浮かべる。

「外で遊びすぎちゃって。お姉さんに連絡するの、すっかり忘れてた。ごめんなさいね」

「外で野垂れ死にしようが、私には関係ないわ」

イーサンは酒臭さを撒き散らしながら、寒いのかソファのブランケットをぐるぐる巻きにした。目を閉じたまま、私のほうへ倒れ込む。

「飲め……もっと……飲め……」

このまま浮浪者の群れに投げ込んだって、誰も身元を疑わないだろう。

伸びてきた手を足で払いのけ、ソフィアの目に燃える怒りも気にしない。

「見張ってて。朝起きて床に吐瀉物の山なんて、冗談じゃない」

「あなた……っ」

ソフィアの顔色がくるくる変わり、指を突きつけて何か言いかける。

けれど、耳を貸す気はない。私は背を向けて階段を上がった。残されるのは、仲睦まじい恋人同士――そんな絵面だけ。

もう少し。あと少しだけ待てばいい。

そうしたら私は、あの二人を“完全に”成就させてやる。二度と、この忌々しい家へは戻らない。

……

妊娠の大きな弊害は、眠気だ。以前の私は夜明け前でもすっと起きられたのに、今は目覚ましが必要になる。

今朝は、その目覚ましさえ役に立たなかった。イーサンが外で何度もドアを叩かなければ、昼まで眠っていたはずだ。

適当にシルクのガウンを掴み、眠い目のままドアを開けた瞬間、ひやりとした空気が流れ込む。思わずくしゃみが出た。

腕をさすって上着を引き寄せる。

「……何の用?」

ソフィアが住みついてから、私とイーサンは暗黙のうちに別室で寝ている。こんな朝早く押しかけてくるなんて、ソフィアの件で憂さ晴らしでもするつもりだろうか。器が小さすぎる。

イーサンは答えず、ずかずかと部屋へ入り、手にしていた封筒を机へ叩きつけた。

「だからあっさりソフィアを住まわせたのか。外で次の男を見つけてたってわけだ」

頬は真っ赤で、首筋には血管が浮いている。外套も脱がないまま。さっき戻ってきたばかりなのだろう。

「何を言ってるの」

意味が分からない。

「見れば分かる」

イーサンは封筒を指さし、苛立ちで足を踏み鳴らした。

「そんなに怒るほどの――」

言い終える前に、封筒から写真がばらばらと滑り落ちた。

悪意のある角度。けれど写りは鮮明で、顔までくっきり分かる。私がカジノでダミアンの前にいる写真だ。

イーサンが詰め寄ってくる。吐く息が私の頬に当たり、酒と怒りの匂いが鼻を突いた。

「どうしてカジノにいた? しかもダミアンのシマで。お前ら、どういう関係だ!」

「写真を渡した人、関係までは教えてくれなかったの?」

昨夜、帰宅してからスマホを一度も見ていない。電源を入れると通知が飛び込んできた。

既婚者オリヴィア、コステロ家のボスと不倫――。

投稿からまだ5分も経っていないのに、コメントはすでに万を超えている。

スマホを握る指先が白くなった。

実際、この写真で分かるのは「会った」程度だ。触れてもいない。親密な仕草ひとつない。なのに、平然と不倫と断定する。噂を煽って金に変える――それが連中の商売だ。

イーサンは引かない。私の手首を掴み、頬の肉が揺れるほど興奮して怒鳴る。

「聞いてんのか! お前らの関係は何だ!」

「ニュース、見たんでしょう」

ここまで来たなら、使えるものは使う。

まだお腹も目立たないのに、立っているのが少しきつい。私は椅子に腰を下ろし、ゆっくりと言った。

「離婚しましょう」

「正気か!? 離婚だと?」

イーサンは外套を脱いでベッドに叩きつけ、私の肩を掴んで押さえ込んだ。顔が歪み、五官が押し潰れたみたいに見える。その迫力に背筋が冷えた。

力が増していく。肩が砕けそうだ。

「俺は離婚しない。二度と言うな」

理解できなかった。こんな結婚に、何の執着があるというのか。

「離婚すればソフィアと結婚できる。あなたの望みでしょう」

私を蹴り出したいんじゃなかったの? なら、今が絶好の口実のはずだ。

私は立ち上がり、目を合わせる。

「私が“不倫した”のに、離婚しないの?」

イーサンは拳を握り、背後の壁を殴った。鈍い音。肘のあたりから血が滲む。唇を噛みしめ、歯形が白く残っていた。顔色は死人みたいに青い。

新聞沙汰になったのは私で、妊娠しているのも私なのに。苦しんでいるのは、彼に見えた。

イーサンはふいに私の頬に触れ、作ったように優しい声を出す。

「離婚したいのは……ダミアンのところへ行くためか?」

少しだけ迷ってから、私は頷いた。

「他に誰がいるの?」

イーサンの目に、隠しようのない憎しみが滲む。肩に置いた手が、今にも暴れ出しそうに震えた。

「恥知らずめ」

手が上がる。私は一歩退き、空振りさせて距離を取った。

「イーサン。私を愛してないのに、どうして縛るの?」

本当に分からない。そこまで私を嫌っておいて、どうして手放さない。

離婚を引き出すため、私はわざと“起きてもいないこと”を口にした。

「ダミアンとは前から関係がある。離婚しなくても、私はあっちへ行く。それでも耐えるの?」

「このクズ!」

イーサンが怒鳴り、首に手を伸ばしてくる。

その瞬間、ドアが勢いよく開いた。義母が飛び込んできて、私の胸を叩く。

「この恥さらし! よくもそんな口が利けたわね! その口、裂いてやろうか!」

「裂いても、事実は変わりません」

顎を上げ、言い切る。

「あなたが同意しなくても、私は離婚します」

「お前ごときが?」

イーサンが私の頬を乱暴に叩くように触れた。動くたび、拳の傷口から血がにじむ。生臭い匂いが一気に広がった。至近距離でその匂いを吸い込んだ瞬間、胃が反転しそうになる。血が私の頬にべったり付いた。

私は彼の手を振り払い、洗面所へ駆け込んだ。洗面台に縋り、えずく。

匂いを洗い流さないと吐き気が止まらない。鼻腔まで水で流し、ようやく息を整える。

背後に気配がした。

振り返ると、いつの間にかイーサンが立っていた。目が妙に光っている。黙ったまま、じっと私を見ていた。

ぞわり、と肌が粟立つ。私は横をすり抜けようとする。

すれ違いざま、手を掴まれた。

「……どうした?」

――勘づいた。

私は深く息を吸い、平静を装う。

「変なもの食べたのかも」

イーサンはしばらく私を見据え、やがて冷たさの底に、薄い興奮を混ぜた声で言った。

「次の検診はいつだ?」

私は顔を上げ、視線をぶつける。

イーサンは口元を吊り上げた。

「一緒に行く」

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