第6章 許可なく彼が奪い去ったすべて
ナタリー視点
その言葉は、まるで拳で殴られたみたいに、まともに私を打ち据えた。
「それ、私のポストよ……っ!」声が震え、喉の奥で詰まる。「あれは私が積み上げてきたものなの。心血を注いで、全部、自分で考えてきたのに!」
「分かってる、分かってるの! 聞いたとき、私だって頭にきた!」グラントの声は怒りに満ちていた。「ナタリー、こんなの不公平すぎる! あなたがこんな扱いを受ける筋合いはない!」
私は通話を切った。手がひどく震えて、スマホを床に落としかける。
私のポスト。私が人生を削って築いてきた仕事。この結婚の中で、ただひとつ本当に私のものだったもの。
私が職場復帰の話を出すたび、レヴィが歯切れ悪くごまかしていた理由。子供を作ったらどうだと勧めてきた理由。
全部、これだった。
あのポストは、もう私のものじゃない。リリアンのものになっていた。
真っ先に浮かんだのは、今すぐここを出たいという衝動だった。私はマーガレットに電話をかけ、10億ドルの示談金の件を確認しようとした。
けれど、つながらない。
あの女……また何か企んでるわね。
私は朝から夜まで、ただ座ったままだった。日が落ち、寝室のドアが開いて、レヴィが入ってくるまで。
「ナタリー。体調が戻ったお祝いに、プレゼントを用意した。ほら」
そう言って、彼は箱を差し出した。
中に入っていたのはジュエリーのセット。でも、あのオークションの品じゃない。別口の、取るに足らない添え物だった。
本命のコレクションピースはリリアンに渡しておいて、私にはそのおまけを贈るつもり?
私は箱を受け取らなかった。立ち上がり、拳を強く握りしめる。
「会社での私のポスト、リリアンに渡したのね」
はっきりと見えた。レヴィの表情が固まる。私を見つめる目が、すっと昏く沈んだ。
「誰から聞いた」
「それが重要?」私は彼に向かって歩み寄る。怒りが足に力をくれた。「私から残っていた最後のものまで奪って、それを愛人に与えたのよ。どうしてそんなことができるの?」
「お前は療養中だった!」レヴィは声を荒げた。「会社は拡大段階にある。必要なのは、全力で打ち込める人間だ!」
「それで彼女を選んだの? 国際市場のことを何も分かってない女を? 取引先の娘だから?」私は乾いた笑みをこぼした。「せめて正直になったらどう」
彼は奥歯を噛みしめた。
「彼女には能力がある。上に行きたいという意欲もある。チャンスが必要なんだ! だが、お前はそんな雑務に追われる必要はない! 俺の金を使っていればいいだろう。俺がいつ、お前に不自由をさせた? 俺が与えてるものは、他の誰かが一生かかっても手に入らないものだ!」
「そんなもの、欲しくもない!」
私はジュエリーボックスを勢いよくはたき落とした。中身が散らばる。言葉も一気に噴き出した。
「私は自分で考える頭があって、心がある人間よ! 宝石や金で釣れる操り人形じゃない! なのにあなたは今、私の仕事まで奪おうとしてる! 私が自分の力で勝ち取ってきたキャリアを!」
レヴィの怒りが一気に爆ぜた。彼は私の肩を両手でつかむ。琥珀色の瞳の奥で、狂気じみた怒りが燃え上がっていた。
「お前のその哀れな才能だけで、一人で立てるとでも思ってるのか? 違う! そんなものは、他の男を誘惑する隙を作るだけだ。エルヴィンみたいにな! あいつのほうが俺より強くて、お前のみじめな自尊心を満たしてくれるとでも思ったか!」
その瞬間、分かった。
本当の問題は、そこだった。
レヴィは私を信じていない。エルヴィンとは一度会っただけだというのに、何かあると疑っている。
「自分の問題を、私のせいにしないで」
私は冷たく笑った。でも怒りで手が震えていた。
「あなたは、私から逃げ道を奪いたいのよ。私にほかの選択肢を持たせたくない。完全に自分のものにしたいだけ」
「好きに言え」
彼は私の顔を両手で包み込んだ。力が強すぎて、優しさなんて欠片もない。
「お前は俺の妻だ。あんなくだらないことで気を揉む必要はない。明日、会社に行って辞表を出せ。お前のポストはリリアンに引き継がせる」
その目に宿る冷たさがなければ、その仕草は危うく優しく見えたかもしれない。
「断ったら?」
私は静かに訊いた。
「やってみればいい」
彼は顔を寄せ、温かい息を私の耳元にかける。
「お前が大事にしてるものは、全部この俺の手の中にある。だから、お前は俺に従うしかない」
私は彼を見つめた。この顔を、私はかつて心の底から愛していた。
今そこにあるのは、醜くねじ曲がった独占欲だけ。
胃の中に石を詰め込まれたみたいに重苦しい。それなのに、私は笑った。泣き出しそうになるくらい、ひどくおかしくて。
彼は、私が打ちのめされたと思ったのだろう。その顔に、ぞっとするほど甘ったるい「愛情」を浮かべ直した。
彼は一歩近づき、私を抱きしめようとした。
私は身体をひねって避ける。
伸ばされた手が宙で止まり、彼の表情がほんの一瞬だけ固まった。
「ナタリー」
声だけは柔らかくする。
「俺がこんなことをするのは、お前を愛してるからだ。それだけは分かれ」
私は顔を上げ、偽りで塗り固められたその目をまっすぐ見返した。
ようやく分かった。
彼は私を愛していたんじゃない。彼が愛していたのは、「彼を愛している私」だ。
かつての私が彼に向けていた、無条件の崇拝も、従順さも、その全部に酔っていただけ。
彼が欲しかったのは、彼の野心を支える妻ですらない。ただ、自分を美しく映し返してくれる鏡。
そのくせ、私以外の女にも、貪欲に手を伸ばす。
何もかも欲しがる男。
でも、私はもう何ひとつ渡さない。
「あなたの言うとおりにする。そうしましょう」
私は静かに言った。
彼の目に一瞬、疑いが走る。まさか私がここまであっさり折れるとは思っていなかったのだろう。
「……本気か?」
私は無理やり手を伸ばし、彼の頬に触れた。どうにか穏やかに見えるような目を作る。
「疲れたの、レヴィ。もう言い争うのはうんざり。あなたの勝ちよ。明日、会社へ行って辞表を出すわ」
彼はしばらく私をじっと見つめていた。嘘かどうか、見極めようとするみたいに。
やがて、その表情がゆっくりと緩む。
「やっと分かったか。それが一番いい。ナタリー」
彼は私の額に口づけた。昔なら慰めになったその仕草が、今はただ不快でしかない。
「まだ仕事がある」
ようやく彼は私を放した。
「お前の好きな夕食も、もうすぐ届く」
そう言い残し、彼は部屋を出ていった。ドアが閉まる。
私はその場に立ち尽くしたまま、さっきまでの芝居じみたやり取りを思い出して、吐き気をこらえた。
でも、時間は稼げた。
考えるための時間。動くための時間。計画するための時間。
会社は辞める。でも同時に、離婚の申請を出す。
あの事故のせいで、私はずっと提出できずにいた。この土地の法律では、離婚成立まで30日必要だ。
そこまで行けば、私は完全にレヴィから離れられる。
服をまとめている途中、ポケットの中から、あの日エルヴィンにもらった名刺が出てきた。
私は彼に借りがある。命を救われたことだけじゃない。私のせいで損害まで与えてしまった。
ためらわず、番号を押す。
コールの後、エルヴィンの声が出た。淡々として、冷たい。
「誰だ」
「ナタリーよ。ナタリー・ペレス」
「……ああ、君か」
彼の声が、わずかに和らいだ気がした。
「どうした」
「お金を返したいの」
私は単刀直入に言った。
「あなたのスーツ代。車から私を引っ張り出したときに汚れた、あの一着」
一瞬、沈黙。
それから彼は言った。
「そうか。44、32、38だ」
私はぱちりと瞬きをした。あまりに唐突で、意味が分からない。
「……何の話?」
「俺のサイズだ。どうしても弁償したいっていうなら」
電話の向こうで、彼は少しだけ面白がっているようだった。
「金はいらない、ナタリー。だが、新しいスーツ一着なら受け取ってもいい」
