第3章 この女性を見つける

一触即発の空気に、使用人が歩み寄ってきた。

「大奥様、奥様、お嬢様、旦那様がお戻りになりました」

桜井家の御隠居様は綾瀬悠希の手を掴むと、「さあ、食事に行きましょう」と言った。

桜井グループの当主である桜井翔平は、その身の周りから支配者の覇気を漂わせていた。幼い頃の綾瀬悠希は、彼をかなり恐れていたものだ。

しかし、記憶の中のあの無愛想な養父とは少し違う。妻と娘の顔を見た桜井翔平は笑みを浮かべ、その眼差しは慈愛に満ちていたが、綾瀬悠希を見た途端、氷のように冷たくなった。

「なぜお前がここにいる?」

「わたくしが悠々ちゃんを呼んだのよ。少しは言葉に気をつけなさい」桜井家の御隠居様は桜井翔平をちらりと見た。

桜井翔平は桜井グループでは絶対的な存在だが、さすがに実の母親に逆らう勇気はない。なにせ、このおばあ様が地団駄を踏めば、桜井グループ全体が揺らぐのだから。

だが、桜井翔平が綾瀬悠希に良い顔をするはずもなかった。昨晩仕掛けた策略が失敗し、今日になって相手方から詰問の電話があったのだ。

「答えろ。昨夜、なぜ望月恒に会いに行かなかった?」

綾瀬悠希は答えず、黙々と皿の料理を口に運んでいた。その悠然とした様子に桜井翔平は怒り心頭に発し、彼女の箸を奪い取ってテーブルに叩きつけた。

「食って、食って、食うことばかり! 事を台無しにしておいて、よくもまあ飯が食えるな!」

「何をしてるんだい!」桜井家の御隠居様は怒鳴った。「望月恒に会わなかっただけじゃないか。何を大袈裟な。また次に会えばいいだろう」

桜井翔平は被害者ぶった様子で言った。「母さん、昨夜はあれほど言い聞かせて、本人も同意したんですよ。それなのに、舌の根も乾かぬうちにどこの馬の骨とも知れない男のベッドに潜り込んだんです。望月家からは俺が八つ当たりされて……息子は濡れ衣を着せられてるんですよ!」

桜井翔平が自分に汚水を浴びせるのを聞き、綾瀬悠希の顔がこわばる。彼女が反撃しようとしたその時、桜井家の御隠居様が「パンッ」と箸をテーブルに叩きつけた。

「お前は自分の言っていることが分かっているのかい。どうあれ、悠々ちゃんはお前の目の前で育った子だろう。そんな風に貶めて、良心が痛まないのかい? よくもまあ濡れ衣だなんて言えたもんだね。お前は少しも濡れ衣なんかじゃないよ!」

おばあ様の言葉も桜井翔平を抑えるどころか、かえって居直らせてしまった。

「あいつが昔何をやったか、みんな知っているでしょう。あんなふしだらな女が何をしでかしたって不思議じゃありません。母さんがあいつを甘やかしすぎたんですよ。だからいつまでも改心しないんです」

桜井翔平の心の中では、昨夜の綾瀬悠希はきっと外の男と遊び呆けていたに違いなかった。

昨夜、綾瀬悠希に離婚を切り出す隙を与えないため、桜井翔平は彼女が飲む酒にこっそりと薬を混ぜていた。

あの薬は薬効が強く、男を見れば自分を制御できなくなる。彼女が望月恒と関係を持ってしまえば、離婚話もそう簡単には進まなくなるはずだった。

ところが、昨夜の綾瀬悠希は望月恒に会いにも行かず、ホテルからも出ていない。きっとどこかの部屋で男と情事に耽っていたのだ。本当に、三つ子の魂百までだ。

「呵呵」綾瀬悠希は桜井翔平を見据えた。「昨夜の私が何をしたか、随分とご興味がおありのようですね。企みがうまくいかなくて、ご不満なのかしら? あなたは私が望月恒と離婚するのを望んでいない。だからあんな下劣な真似をした。そうでしょう?」

「なっ、馬鹿なことを言うな!」桜井翔平はひどく狼狽した。

「馬鹿なことを言っているかどうかは、ご自分の胸に聞けばお分かりになるはず。今後、私に対して大声で喚くのはおやめください。あなたたちへの借りは、とっくに返し終わっていますから!」

桜井家への借りは、五年前にすでに返し終えている。しかし、桜井家が彼女を傷つけたことは、すべて一つ一つ心に刻み込んでいる。いずれ必ず、この借りを返す機会を見つけてみせる。

綾瀬悠希は憤然と席を立った。食卓の空気は重くなり、そのすべてを黙って見ていた桜井恵那の口元に、あるかないかの笑みが浮かんだ。

「お父様、おばあ様、お怒りにならないで。悠々お姉様も、きっとわざとじゃありませんわ」

「やはり恵那は物分りがいいね」桜井翔平は思わずため息をついた。「我々がお前にすまないことをした。そうだ、お前の仕事はどうだ? だめならやはり桜井グループで働きなさい。外でそんな苦労をする必要はない」

「いいえ、お父様。私は外で自分を鍛えたいんです。でも、歓律は本当に入るのが難しくて……おばあ様は歓律の創業者と少しご交友がおありだと伺いましたけれど……」

そう言うと、桜井恵那は何かを期待するように桜井家の御隠居様を見た。白鳥秀美がすかさず言葉を継ぐ。

「お母様、恵那を助けてあげてください。あの子、本当にこの仕事が好きなのですよ」

「フン」桜井家の御隠居様は鼻を鳴らした。「歓律は誰でも入れるようなところじゃない。あの子のような半端者では、高望みはしないことだね」

その言葉を聞き、桜井恵那の目は赤くなり、涙が眶に溜まった。

桜井翔平は不憫でならなかった。「母さん、恵那を助けてやってください。あの子は母さんの実の孫なんですよ!」

桜井家の御隠居様は桜井恵那のその猫をかぶった様子が気に入らなかったが、血の繋がりは断ち切れない。もし彼女が良い仕事に就ければ、将来良い嫁ぎ先も見つかるだろう。

そこまで考えると、桜井家の御隠居様はついに頷いた。

桜井家の御隠居様が頷くのを見て、桜井恵那は甘い声で「おばあ様、ありがとうございます」と言った。

今、桜井恵那の心は言いようもなく高ぶっていた。彼女が歓律に入りたいのは、仕事への情熱からではない。藤堂家のピアノの先生になりたいからだ。

彼女の目標は藤堂譲。あの南都市で最も高貴な男だ。

綾瀬悠希が去った後、部屋の藤堂譲は長い間眠り続けていたが、補佐が部屋に来て彼を呼び覚ました。

「藤堂社長、大奥様からお電話です」

藤堂譲が電話を受け取ると、中からおばあ様である賀来利哉の声が聞こえてきた。「クソガキ、なぜ電話に出ない。どうだ、昨夜は会えたのか?」

「誰にです?」

「綾瀬悠希だよ、お前の嫁だ。昨日言っただろう? お前は会ったことがないとはいえ、婚姻届は出したんだ。少しは気にかけてやったらどうだ」

まだ少しぼんやりしていた藤堂譲ははっきりと覚醒した。昨日、おばあ様が会ったこともない婚約者が来ると言っていたのは確かだが、彼は気にも留めていなかった。

五年前、藤堂譲は突然病に倒れ、国内外の名医も皆匙を投げた。絶望の中、おばあ様が隠棲する先生を招き、彼の運勢を占ってもらった。

先生曰く、藤堂譲の命にはこの劫難が定められているが、決して乗り越えられないわけではない。その解決法とは、「望月恒」と改名し、彼の運気を上げる八字を持つ女性を妻に迎えることだという。

そこでおばあ様は、藤堂譲と八字の相性が特に良いという女性を見つけ出し、彼らの身分証を使って婚姻届を提出してしまった。

藤堂譲は元来、封建的な迷信を好まなかったが、当時は昏睡状態にあり、これらの事を全く知らなかった。目覚めた時には、すべてがすでに決着していたのだ。

その後、彼は療養のために海外へ渡ったため、名目上の妻に会う機会はなかった。そして面倒を避けるため、家は桜井家に対して彼の本当の身分を明かしていなかった。

「存じません。会っていません」藤堂譲はそう言うと電話を切った。

どうりで昨夜、おばあ様がしきりにホテルで休むようにと念を押してきたわけだ。とっくに手配済みだったのか。別の部屋で寝て正解だった。

実のところ、五年前の藤堂譲は病気ではなく、毒を盛られたのだ。この数年、医師があらゆる手立てで体内の毒素を取り除こうとし、今ではかなり良くなったが、時折発作が起きるため、常時薬を服用する必要があった。

「藤堂社長、ご無事ですか?」補佐が恐る恐る尋ねた。

部屋に入ってから、彼は何かおかしいと気づいていた。藤堂譲の衣服が床に散らばり、空気中には艶めかしい匂いが漂っている。

そして、電話に出るために起き上がった時、藤堂譲の体にかかっていた布団が腰まで滑り落ちた。彼の首や胸に残る痕跡から、昨夜この部屋で何が起きたのかを想像するのは難しくない。

補佐にそう問われ、藤堂譲は昨夜の出来事を思い出した。

昨夜、少し酒を飲んだ後、体の不調を感じた。部屋に戻って休もうとしたが、取引先の奇妙な視線に気づいて部屋を変え、薬を飲んで眠りについたのだった。

昨夜は春の夢でも見たのかと思っていたが、今の部屋の状況からすると、昨夜の出来事はすべて現実に起きたことだ。

どれだけ用心しても、やはり嵌められたか。藤堂譲は心の中で毒づいた。

「大丈夫だ。先に下がっていろ」

「かしこまりました、藤堂社長。何かありましたらお呼びください」

補佐が出て行った後、藤堂譲はまだ痛む頭を揉んだ。なぜか、昨夜の女にはどこか馴染みのある感覚があった。その感覚は、数年前に一度経験したことがあるような気がした。

藤堂譲は自分の携帯電話を取ろうと振り返ったが、ベッドサイドテーブルにネックレスと一束の紙幣があり、その下に一枚のメモが押し込まれているのが目に入った。そして、その紙に書かれた文字に、彼は危うく吹き出しそうになった。

「呵、謝礼だと」藤堂譲は冷笑した。「俺を何だと思っている?」

その五枚の百元札に、藤堂譲は甚大な侮辱を感じた。自分が見ず知らずの女と寝た挙句、相手にサービス業の人間と間違えられたのだ。これほどの屈辱はない!

六年前のあの事件を思い出し、藤堂譲の目に次第に殺意が宿る。

彼は補佐に電話をかけた。「今すぐ、昨夜俺の部屋に現れた女が誰なのか調べろ。どんな手を使ってもいい、必ずそいつを俺の前に連れてこい!」

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