第6章
「ええ、そうよ」
早乙女楽己は得意げに言った。
「数日中に柴田家がお父様と婚約の話を進めることになってるの。私は将来、柴田家の若奥様になるんだから」
早乙女珠妃は淡々と返す。
「そう。でも残念ね、その願いは叶いそうにないわ」
早乙女楽己はぎくりとした。
「どういう意味?」
早乙女珠妃は彼女を冷ややかに一瞥する。
「さっき言ったじゃない。天宮家の人間は、あなたをご指名なのよ」
早乙女珠妃が冗談を言っているのではないと悟り、早乙女楽己はパニックに陥った。柴田星哉の腕を掴んで激しく揺さぶる。
「星哉、どうしよう。私、天宮家になんて嫁ぎたくない!」
柴田星哉は早乙女楽己の手の甲を軽く叩いて慰めた。
「心配するな、俺がいる。嫁がせたりしないさ」
そして付け加える。
「それに、彼女の一方的な話を信じるなよ。もしかしたら、ただお前を怖がらせようとしてるだけかもしれないぞ」
「そうね」
彼に言われて早乙女楽己は我に返った。
「早乙女珠妃、あんたの魂胆なんてお見通しよ。私が柴田家に嫁ぐのが羨ましいんでしょう」
「私が羨ましい? ハッ!」
早乙女珠妃は冷笑し、容赦なく言い放った。
「尖った口に猿のような頬。あなたのその彼氏のどこが天宮殿に及ぶって言うの?」
「家柄で言えば天宮家は帝都一。容姿で言えば天宮殿は上品で優雅。どう見てもこの猿野郎よりはマシでしょう?」
早乙女珠妃は別に天宮徳臣に聞かせるつもりで言ったわけではない。単にこの二人の小人が得意になっている様が鼻についただけだ。
早乙女のお嬢様が若様を言いたい放題に評しているのを聞いて、運転手は緊張で手に汗を握った。
彼がこっそりと顔を上げてチラリと見ると、固まってしまった。
見間違いだろうか。若様の表情が、なんだか楽しげに見える。
うん、間違いない。楽しんでいる。不機嫌どころか、むしろ上機嫌だ。
部屋の外の早乙女楽己は怒りで爆発寸前だった。
「誰が猿よ!」
「あなた……と……彼……」
早乙女珠妃は指を差し、無差別に二人を攻撃する。
「早乙女珠妃、いい気にならないでよ! 天宮家の家柄が良いからって何よ。天宮の若様は足なえじゃない!」
「いい加減にしろ、言っておくけど、誰かに聞かれても知らないわよ」
忠告しなかったとは言わせないわよ。彼女が「足なえ」と罵った人物は、今まさに部屋の中にいるんだから。
「私が間違ったこと言った? あいつは足なえよ!」
「黙れ!」
三階に上がってきたばかりの早乙女正徳がその暴言を聞き、怒髪天を衝く勢いで平手打ちを食らわせた。
「自分が死にたいなら勝手にしろ、早乙女家を巻き込むな!」
早乙女楽己は頬を押さえ、信じられないといった顔をした。
「お父様、どうしてぶつの? 天宮徳臣は足なえじゃない、私、嘘なんて言ってないわ!」
「あらあら、楽己、もうおやめなさい」
白井秋叶は早乙女正徳の顔色が優れないのを見て、慌てて早乙女楽己を制止したが、口では不満を漏らした。
「あなた、何をするのよ。天宮家の人間がいるわけでもないのに、楽己が少し本当のことを言っただけで」
「そうか?」
低く重厚な声が響き渡り、皆が驚愕する中、天宮徳臣が車椅子に乗ってゆっくりと部屋から押し出されてきた。
車椅子の天宮徳臣は薄い唇を引き結び、表情は氷のように冷たく、逆らい難い威厳を放っている。その圧倒的なオーラに、一同は瞬時に凍りついた。
天宮徳臣の鋭い視線が一巡し、最後に早乙女楽己の体に留まる。
「君が早乙女楽己か?」
早乙女楽己は頬を押さえたまま、目に涙を溜めていたが、天宮徳臣の冷徹な視線に射抜かれ、恐怖で一言も発せなかった。
早乙女正徳はこの光景を見て後悔に苛まれ、慌てて進み出た。
「天宮殿、これは誤解です。娘は悪気があって言ったわけではありません。ご無礼をお許しください、すぐに謝罪させます」
そう言って早乙女楽己を怒鳴りつけた。
「親不孝者め、早く天宮殿に謝罪しないか!」
天宮徳臣の冷ややかな視線が、早乙女楽己から早乙女珠妃へと移る。
前者はガタガタと震え、後者は風のように軽やかで表情も平然としている。比べれば、その差は歴然だった。
早乙女楽己のその見るに堪えない様子を見て、天宮徳臣は不思議に思った。おばあちゃんは一体どうやって、この女を選んだのだろうか。
「今日ここへ来たのは、早乙女当主と広告代理権について話そうと思ったからだが、どうやらその必要はなくなったようだ」
そう言うと、天宮徳臣は外へ向かった。早乙女珠妃の横を通り過ぎる際、彼の瞳の色が暗くなる。
「ついて来い」
え?
早乙女珠妃は一瞬呆気にとられたが、彼女が反応しないのを見て、運転手が急かした。
「早乙女さん、どうぞ」
早乙女珠妃の足は無意識に彼について行った。二人が去ろうとするのを見て、早乙女正徳は焦った。
「天宮殿、誤解です、全て誤解なんです! どうか珠妃に免じて、契約を取り消さないでください!」
眼の前で二人がエレベーターに入ろうとするのを見て、早乙女正徳は背後の早乙女楽己に怒鳴った。
「早く天宮殿に謝らないか!」
突然の怒号に驚いた早乙女楽己は腰を抜かしそうになり、助けを求める視線を柴田星哉に向けた。
柴田星哉はとっくに後悔していた!
待ち伏せなどしなければよかった。天宮家に喧嘩を売るなんて、命知らずにも程がある。
もし今日のことが父に知れたら、俺の命はない。早乙女楽己が死ぬ間際まで自分を巻き込もうとするのを見て、柴田星哉は激怒した。
「俺を見るな! 早く天宮殿に謝れよ!」
「星哉……」早乙女楽己は悲しげに言った。まさか柴田星哉まで自分を怒鳴るとは思わなかったのだ。
天宮徳臣は車椅子を止め、振り返って柴田星哉を一瞥した。
その温度のない視線に、柴田星哉の心臓は止まりかけた。彼は天宮徳臣にペコペコと頭を下げ、早乙女楽己を急かした。
「楽己、早く謝れって!」
早乙女楽己がモジモジと前に出ようとしたが、天宮徳臣が手を挙げて制した。
「必要ない。今日から早乙女家の長女は我が天宮家の人間だ。こちらの次女については、早乙女当主がしっかりと再教育されることをお勧めする」
天宮家の人間?
早乙女珠妃は頭が混乱した。この人、さっき返品するって言わなかった? なんでまた気が変わったの?
彼女が考える隙も与えず、運転手が車椅子のハンドルを彼女の手に押し付けた。
「行きましょう」
早乙女正徳は天宮徳臣一行が去っていくのをただ見送るしかなかった。彼は死人のような顔色になり、うわ言のように呟いた。
「終わった、終わった……」
「あなた……」
「失せろ!」
早乙女正徳は振り返り、近づいてきた白井秋叶に向かって怒号を上げた。
「お前が育てた自慢の娘を見ろ! 早乙女家はあいつの手で破滅だ!」
「あなた、そんな言い方しないで。楽己だってわざとじゃないわ」白井秋叶は口ごもった。
「わざとじゃないだと? 我々がどれだけの損失を被るか分かっているのか?」
早乙女正徳は裂帛の気合で叫んだ。
「天宮家との広告契約は年間十億以上の利益だぞ。なくなった、全部なくなったんだ!」
その数字を聞いて、白井秋叶は肝を冷やした。
「焦らないで。さっき天宮殿は言ったじゃない、珠妃は天宮家の人間だって。後で珠妃に何とかさせればいいわ」
「役立たずめ! どいつもこいつも役立たずだ!」
早乙女正徳は罵りながら、振り返りもせずに去って行った。
皆がいなくなると、柴田星哉もそそくさと逃げ出した。
部屋には、青ざめた顔で床にへたり込んだ早乙女楽己だけが残された。
