第3章

 母はエヴァンジェリンを抱きしめ、やわらかな声で宥めた。

「泣かないで。あなたはいつまでもお父さまとお母さまの娘よ。お姉ちゃんが戻ってきたからって、あなたへの愛が減るわけじゃないの」

 父は私を庇うように前へ出た。

「エヴァンジェリンはまだ小さい。お前は四つも年上なんだ、これからは少し多めに見てやれ」

 ――私は、悲しむべきなんだろう。

 だって、あれは実の両親で、その腕の中で泣いているのは「よその子」なのだから。

 けれど私は、もう二十六歳だ。かつてスラムの隅に身を縮め、誰かが迎えに来て、抱きしめて、「遅くなってごめん」と言ってくれるのを夢見た少女は、凍える冬の夜のどこかで、もう死んだ。生き残った私は、残高しか見ない。

 視線を落とす。ちょうどその瞬間、涙が頬をつたった。

「承知しました、お父様」

 弱みを見せるのは、役に立つ。

 生活費は月金貨五百枚から千へ、やがて二千へと上がった。

 一か月後、両親は私のために盛大な「帰還祝いの宴」を開いた。

 宴の最中、父は皆の前で、希少な鳳凰の卵を私に与えると宣言した。

「これはスターリング家の継承者の証だ。この鳳凰がお前に寄り添い、もう孤独を感じることがないように」

 その卵は温かく、美しかった。金と紅を溶かしたような艶がある。私は魔力培養器に据え、毎日自分の魔力でそっと温めた。

 初めて思ったのだ。――もしかしたら、この家での私にも、ほんの少しは意味があるのかもしれない、と。

 その夜、エヴァンジェリンが泣きながら私の部屋へ飛び込んできた。

「どうしてあなただけなの! お父さまとお母さま、偏らないって言ったのに!」

「それ、あたしのものよ!」

 彼女は卵を抱え上げると、そのまま駆け出した。

 祝宴は台無し。贈り物も消えた。両親は大勢の人員を動かして捜索し、私も泣き崩れるふりをして言った。

「ごめんなさい……全部、私のせいです」

 一週間後、エヴァンジェリンは孵ったばかりの幼い鳳凰を抱え、ぼろぼろの姿で戻ってきた。

「お父さま、お母さま……お腹すいた……ごめんなさい」

 両親は駆け寄って彼女を抱きしめ、三人で泣きじゃくった。泣き終えたあと、母はようやく私を思い出したように、顔を硬くする。

「今日から三か月、外出禁止。次にこんなことをしたら、スターリング家の娘とは認めないわ!」

 それ以来、エヴァンジェリンは露骨に私へ噛みつくのをやめた。

 鳳凰を返された私は、その幼い火の鳥を大事に育てた。最高級の魔法水晶。澄み切った火晶石。ぬくもりのある巣。

 それでも鳳凰は、私にだけは淡々としていた。

 数か月後の朝、鳳凰は人の姿に変化した。

 金紅の長い髪、琥珀色の瞳。部屋の中央に立ち、その身を火の光輪が取り囲んでいる。

 胸が跳ねて駆け寄った。けれど彼は私を見ることすらせず、扉をすり抜けるように出て、エヴァンジェリンの部屋へ飛んでいった。

 エヴァンジェリンが甲高く叫んだ。

「トリスタン! 人の姿になったの!?」

「うん」

 鳳凰――トリスタンは優しく答え、金紅の尾羽を彼女の前でゆっくりと広げた。

「最初に僕を抱いたのは、君だ」

 両親は小さく息をつき、私の肩を抱いて慰めた。

 トリスタンは、名目上の主人が私だと知ってから、長いあいだ黙り込んだ。私が毎日やり方を変えて尽くして、ようやく渋々、受け入れた。

 ただし――尾羽を私の前で広げることはない。羽に触れさせない。私のために歌うこともない。彼が反応するのはエヴァンジェリンの足音だけで、歌う相手も彼女だけだった。

 ふたりが寄り添う姿を見れば、胸がきゅっとなる瞬間は確かにある。けれど、それも請求書の数字を見ればすぐに鎮まった。

 トリスタンは毎月、火晶石を十個消費する。ひとつ金貨三百枚。魔法水晶は二十個で、ひとつ金貨百枚。養育魔法陣の稼働費もある。

 その金は、私のカードに振り込まれる。

 両親の罪悪感も、同じように、絶え間なく残高に積み上がる。

 ただ最近、身体に変化が出始めた。魔法医はホルモンの乱れだと言い、「発散」が必要だと告げた。

 トリスタンは私に触れようとしない。そんな折、この狼人が都合よく現れた。

「今夜、先に私と寝て?」私はケインの手を引き、寝室へ向かう。「明日は服、買いに行こう」

「……彼は、気にしないのか?」

 振り返る。

「彼って?」

「鳳凰だ」ケインは視線を落とした。「魔獣は縄張り意識が強い」

「平気よ。あの子、私と一緒にいるの嫌いだもの」私は薄く笑う。「いつもエヴァンジェリンの部屋に行くし」

 ケインが私の手を握る指に、少し力がこもった。

「じゃあ今夜は……まだ必要なのか?」

「何が?」

 彼の耳先が、うっすら赤くなる。

「ご主人様の……発散」

「したいけど、ちょっと疲れてて」

「大丈夫。優しくする」

「……じゃあ、お願い」

 翌朝。私が寝室の扉を開けた瞬間、トリスタンがエヴァンジェリンの部屋から出てくるのが見えた。

 彼は私を一瞥し、眉を寄せる。

「昨夜、なんでずっと叫んでた? 隣まで聞こえて、うるさかった」

 腹は立たない。

「ごめんなさい。次はもう少し小さくする」

 トリスタンの口調が少しだけ和らぐ。照れくさそうに、ぎこちなく訊いた。

「……悪夢でも見たのか? 泣いてる声が聞こえた気がした」

 説明するのも気まずくて、私は答えなかった。

「悪夢なら、僕のところに――」

 そこまで言いかけて、エヴァンジェリンの声が割り込む。

「トリスタン、私の魔法ランプ、消えちゃった」

 トリスタンは即座に踵を返し、部屋へ戻った。指先ひとつで壁炉と魔法ランプに火を灯し、エヴァンジェリンの寝具を整え、魔法で室内を温める。

 それを終えてようやく、彼は入口のほうへ歩いてきた。

 私の前を通り過ぎようとして――ふいに足を止める。

「……何の匂いだ?」

「え?」

 トリスタンは数歩で距離を詰め、私の手首を掴んだ。鼻をひくつかせ、首筋へ顔を寄せて深く嗅ぐ。

 嗅げば嗅ぐほど、手首を握る力が強くなる。

「……どうしてお前から、狼人の気配がする」

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