第1章

「——結婚相手、入れ替わろう」

 きっぱりと言い放った私を見て、親友はぽかんと口を開けた。

「えっ……な、何それ?!」

 アイラは信じられないといった様子で目を丸くする。

「あんたが霊匠の町に行って、ライアンと結婚するの。あいつ、打算的なところはあるけど、根は真面目だから。霊植の鑑定もできるし、あんたは栽培が得意。ね、相性ばっちりじゃない? あいつなら絶対にあんたを傷つけたりしない。平和で安定した暮らしができるわよ」

「じゃあ、フィオナは?」

 アイラは逆に私の手をがしっと握り返し、ぶんぶんと首を横に振った。大粒の涙が私の手の甲にぼたぼたと落ちる。

「ダメよ! フィオナ、セバスチャンは純血の黒竜なのよ!? 風と雷を操る化け物なんだから! それに、あのヴァレリーだっているし……殺されちゃうわ!」

「殺される?」

 思わず、喉の奥で冷笑が漏れた。

 私は彼女の手をするりと振りほどき、その場でくるりと身を翻す。

 バキン——!

 横にあった分厚い無垢材のコートハンガーに、渾身の回し蹴りを叩き込む。

 見事に、木っ端微塵に砕け散った。

 手のひらについた木屑をぱんぱんと払いながら、私は肩をすくめる。

「確かに、私には竜力なんてない。でもね、生まれつきそのくだらない『竜威』ってやつがまったく効かない体質なのよ。あのヴァレリーのぶりっ子の小細工なんて、見つけるたびにぶっ潰してやるわ」

「あの黒竜については?」

 ふんと鼻を鳴らし、私は腕を組んだ。

「黒石島の竜威くらい、平気で耐えてみせる。あいつがもし私に手を出そうものなら、そのまま地面に背負い投げして、どっちが強いか思い知らせてやるわ」

 迷わない。後悔もしない。気持ちよく生きるのが最優先だ。

 アイラは呆然と私を見つめ、言葉を失っていた。

 彼女に気が変わる隙を与えるつもりはなかった。

 私は頭から純白のヴェールを乱暴に引きはがし、武器と必需品を詰め込んだ重い旅行鞄を無造作にひっつかむ。

「決まりね。私があの黒竜に会ってくる」

「フィオナ! 転送陣から今すぐ降りろ、このバカ娘!」

 父の怒号が、転送広場の空に響き渡った。

 彼は血相を変えてこちらへ駆け寄ろうとするが、起動した転送陣の結界に阻まれてしまう。

「おとなしく霊匠の町で嫁に行けばいいものを、よりによって黒石島だと!? 純血の竜族をなめるな! なんでうちにはお前みたいに人騒がせな……!」

 怒りと諦めが入り混じった父の顔を見て、私はぐっと唇を噛みしめた。

 それでも、自分に言い聞かせる。

 ——今回は、間違ってなんかいない。

 黒石島は危険だ。セバスチャンは冷血で無慈悲な竜族だと聞く。

 でも、それがどうしたというのか。

 気が合えば一緒に暮らせばいい。合わなきゃ、竜骨をへし折って蹴り出してやるだけの話だ。男がいなきゃ死ぬとでも?

「私は黒石島に嫁ぐ! あいつが気に入らなかったら、その足で帰ってくるから!」

 私は結界の外に向かって叫んだ。

 次の瞬間、転送陣の眩い光が一気に私を飲み込んだ。

 再び両足がしっかりと地面を踏みしめたときには、周囲の景色はすっかり変わっていた。

 空はどんよりと曇り、冷たい狂風が唸りを上げている。

 直後——

 すさまじい圧迫感が、頭上からずしりと落ちてきた。

 竜族の威圧。

 黒石島特有の魔力場であり、純血の竜族が格下の生物に対して無意識に放つ天然の威圧だ。

 普通の人間なら、ここに足を踏み入れた瞬間に目眩と吐き気に襲われ、内臓をかき回されるような苦痛の末、意識を手放して地に崩れ落ちるだろう。

「ふざけないで」

 私は思いきり舌先を噛み破った。

 血の気が引いた顔のまま、肺いっぱいに冷たい空気を吸い込み、重い荷物をひっつかんで転送中継点から足を踏み出す。

「セバスチャン、ここ、すごく嫌な匂いがする……頭がクラクラするわ……」

 ねっとりと甘ったるい声が、突然前方から聞こえてきた。

 私は足を止め、顔を上げる。

 前方に、一組の男女が立っていた。

 ヴァレリーだ。薄っぺらな善人ヅラをした、下位の銀紋竜の当て馬女。

 そして、彼女の隣には——

 私はわずかに息を呑んだ。視線が、無意識のうちにその男に釘付けになる。

 背が高い。

 引き締まった長身は真冬の黒松のように硬く真っ直ぐで、幅広い肩をしている。竜の姿を現してはいないはずなのに、ただそこに立っているだけで周囲の空気が凍りつくようだ。深淵のような漆黒の瞳は、徹底的に冷めきっていた。

 私の視線に気づいたのか、彼の冷ややかな眼差しがこちらをかすめた。

 ヴァレリーも顔を向け、たちまち怯えたような表情を作ってみせる。

「きゃっ、あなたがフィオナ?」

 無視だ。

 ただでさえ転送酔いでひどい目に遭っているうえに、吐き気を催すほどの竜息の圧をモロに受けているのだ。胸の奥から、狂おしい怒りが一気に突き上げてくる。

 私はこういう、わざとらしいクズが一番嫌いなのだ。

「セバスチャン、彼女……私のこと嫌いみたい……?」

 ますます弱々しく装った、湿った声。

 私は鼻で笑った。嫌悪感を微塵も隠さず、大きく白い目を向けてやる。

「何当たり前のこと言ってんの? あんた、誰」

 私は真っ直ぐセバスチャンの前まで歩み出ると、顎を軽く上げ、一切臆することなくその視線を受け止めた。

「その私を試すような安っぽい威圧、さっさと引っ込めなさい」

 セバスチャンの瞳孔が、わずかに細くなる。

 私はさっと巻物状の番の契約書を取り出し、宙でひらりと振ってみせた。

「この婚約書をよく見なさい。私はあなたの未来の番——フィオナよ」

 そう言うが早いか、私は手にしていた重い鞄を思い切り振りかぶり、一切の遠慮なく彼の胸板めがけて全力で叩きつけた!

 彼を真っ直ぐに睨みつける。

「あんたがセバスチャンね? 私の運命の番?」

「そうなら、黙って私の荷物を持って、案内しなさい。休めるところまで」

 一歩踏み込み、指先でその硬い胸筋をぐっと突く。

「もし違うって言うなら——」

 私はギリッと奥歯を噛みしめた。

「今すぐこの婚約書をビリビリに破って、即刻婚約破棄してやるから。おままごとに付き合ってる暇なんか、一秒たりともないのよ!」

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