第3章
香椎柚葉視点
「実家に帰って、お父さんとお母さんに会いたい」
口から滑り出たその言葉に、自分でも驚いた。私たちが座っていたのはB市の空港の出発ラウンジで、隣では海璃が今日の写真を整理している。
あの非難めいたメッセージを見たせいか、あるいは自分に残された時間がどれほど少ないかを悟ったせいか。突然、最後にもう一度だけ両親に会わなければならない、という思いに駆られたのだ。
「今から?」
海璃が驚いて顔を上げた。
「明日、M市に行く予定じゃなかった?」
「予定変更」
私はスマートフォンを握りしめた。
「会えるうちに……もっと一緒に過ごしたいの」
海璃は鋭く問い返した。
「『会えるうちに』って、どういうこと?」
「誰にだって、時間は限られてるでしょ?」
私は彼女の探るような視線を避けた。
「L市は遠くない。車で三時間くらいだから」
三時間後、私はL市の北海岸に建つ、見慣れた白い家の前に立っていた。秋の夕日が庭先の木を照らし、金色の葉が風に舞っている。何もかもが、子供の頃の記憶と同じくらい美しい。
車のドアを閉めるか閉めないかのうちに、玄関のドアが開いた。
「柚葉!」
母の声には驚きと心配が滲んでいて、駆け寄ってくる勢いだ。
「あなた、どうしてこんなに急に帰ってきたの?」
父がその後ろからついてくる。その足取りは私の記憶よりもおぼつかなく、左手が微かに震えていた。
二人の老いた顔を見て、私の胸は張り裂けそうになった。
母の髪はほとんど真っ白になり、額には深い皺が刻まれている。父の背中は以前より丸くなり、その瞳には今まで見たことのない疲労の色が浮かんでいた。
「お母さん、お父さん、会いたかった」
私は声を詰まらせながら両腕を広げた。
母は私を強く抱きしめてくれたが、体を離したとき、その目に驚愕の色が浮かぶのが見えた。
「まあ、柚葉、どうしてこんなに痩せて……」
母は震える手で私の頬に触れた。
「顔色も悪いわ」
「仕事のストレスよ。もう……自由になったから」
私は無理に笑顔を作った。
「こちらは友達の海璃。旅行ブロガーなの」
「和彦は?」
父の青い瞳が心配そうに揺れた。
「どうして一緒に来なかったんだ?」
その質問は、刃物のように私の心を切り裂いた。
「IPOの準備で忙しいの」
嘘をつきながら、心臓が激しく脈打った。
「二人だけでゆっくり過ごしたかったから」
キッチンが懐かしい香りで満たされていく。母が作る唐揚げとマッシュポテト、それに私の大好きなアップルパイ。その香りは、数えきれない子供時代の思い出を呼び覚ますと同時に、私の胃をむかむかとさせた。
化学療法のせいで、多くの食べ物の匂いを嗅ぐと吐き気がする。でも、両親に気づかれるわけにはいかない。
「さあ、座って座って」
母が忙しなく立ち働く。
「好きなものばかり作ったのよ」
テーブルにはご馳走が溢れんばかりに並べられ、親子三人で食卓を囲む。表面上は和やかだったけれど、誰もが無理に笑顔を作っているのが分かった。
私たちはみんな、お互いを守るために演技をしていた。それは、もっとも残酷な優しさだった。
「鶏肉も食べなさい、痩せすぎよ」
母が大きな唐揚げを私のお皿に乗せてくれる。
私はなんとか数口、口に運んだ。
「どう?」
母が期待に満ちた目で見つめる。
「おいしい」
私は笑顔を絞り出した。
「小さい頃に食べた味と一緒だ」
でも、母の瞳の奥に痛みがよぎるのが見えた。私がほとんど料理に手をつけていないこと、何かがおかしいということに、きっと気づいているのだ。
「柚葉、最近、医者にはかかったのか?」
父が不意に尋ねた。
「どうも顔色が良くないぞ」
箸を握る手に力がこもる。平静を保とうと必死だった。
「仕事のストレスだって。ビタミン剤は飲んでるから」
「そうか」
父は頷いたが、その目から心配の色は消えなかった。
「体を大事にしろよ。俺たちも年だから、いつまでも面倒を見てやれるわけじゃない」
その言葉は、短剣のように私の胸に突き刺さった。私が余命数ヶ月だという真実を知ったら、二人はどう思うだろう?
「うん、そうする」
私は声を絞り出した。
その夜遅く、両親が眠りについた後、私は静かに子供の頃の部屋に入った。ピンク色の壁紙、机の上に置かれた卒業式の写真、そしてナイトスタンドには日向和彦と私の写真が飾られている。
その写真を見ると、新たな痛みが心を貫いた。私たちはとても若く、愛し合っていて、この先に待ち受ける運命の残酷な試練など知る由もなかった。
私はバッグから数枚のキャッシュカードと手紙を取り出した。
私が死んだ後も、二人が生きていくための助けになるものを、何か残しておく必要があった。
一枚目のカードは、子供の頃の日記と一緒にクローゼットの奥深くに隠し、メモを添えた。
『お父さんとお母さんのための宝探し――第一のヒント:小さな香椎柚葉の秘密を見つけて』
二枚目は、大学の合格通知書と一緒に机の引き出しへ。
『第二のヒント:香椎柚葉の誇らしい瞬間を見つけて』
三枚目は、マットレスの下に。
『第三のヒント:小さな香椎柚葉のへそくりの隠し場所』
このゲームが、真実を知った後の二人に、たとえ束の間でも、悲しみ以外の感情をもたらしてくれることを願った。
最後に、私はスマートフォンを構え、録画を始めた。
「お母さん、お父さん、もしこのビデオを見ているなら、それは私がもういないってことだよ」
声が震え、涙で視界が滲む。
「たくさん隠していてごめんなさい。もう一緒にいられなくて、ごめんなさい」
「きっと怒るよね。どうして本当のことを言ってくれなかったんだって。でも、二人に苦しむ姿を見てほしくなかった。病院のベッドにいる私で、思い出を埋め尽くしてほしくなかったの」
「部屋のあちこちにキャッシュカードを隠しておいた。私からの、最後の小さなゲーム。元気で幸せだった私を、私たちの楽しかった時間を、覚えていてね」
「愛してる。今までも、これからも、ずっと」
録画を終えると、死後、このビデオが自動的に両親へ送信されるよう設定した。
部屋は静かで、秋の風がカーテンを揺らす音だけが聞こえる。子供の頃のベッドに横たわり、懐かしいラベンダーの香りを吸い込むと、今までにない安らぎを感じた。
この部屋で過ごすのは、これが最後かもしれない。
スマートフォンが震えた。
『柚葉、財産分与に関するすべての権利を放棄する。君の幸せを願っている。――日向和彦』
そのメッセージを読んだ瞬間、誰かに心臓を無理やり引き裂かれるような感覚に襲われた。
涙が堰を切ったように溢れ出し、私はスマートフォンを握りしめて嗚咽した。
なんて自分勝手だったんだろう。私は、最も残酷な方法で彼を突き放すことを選んだ。なのに彼は……それでも彼は、私に全世界をくれようとした人だった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
暗い部屋の中、私は何度も囁いた。
「和彦、本当にごめんなさい……」
