紹介
――進行性癌、余命六ヶ月。
夫の日向和彦はキャリアの大事な時期。私が重荷になるわけにはいかない。
だから私は、完璧な「裏切り」を演出した。
「ごめんなさい、和彦……」
愛する夫の目の前で、知らない男性と抱き合う姿を見せつけた。
彼の瞳から愛が消え、憎悪に変わるのを見届けて――私の心も一緒に死んだ。
離婚成立。ネットでは「最低な不倫妻」として炎上。
友人たちは皆、私から去っていった。
それでもいい。和彦が私を憎んでくれれば、私が死んでも彼は前に進める。
そんな時、謎めいた旅行ブロガー・汐見海璃が現れた。
「一緒に、最後の旅をしませんか?」
これは、愛する人を守るために悪女を演じた私の、本当の「さよなら」の物語。
チャプター 1
香椎柚葉視点
ピピピッ、ピピピッ――
空港の出発ラウンジに、スマートフォンの着信音が鋭く響き渡った。画面に表示された『道谷法律事務所』の文字を一瞥し、私はためらうことなく拒否ボタンを押した。
十三回目の着信。今日の午後だけで、十三回目。
スーツケースを引きずって隅の席に腰を下ろす。周りには、これから向かう旅先への期待に顔を輝かせた、足早な旅行者たちが行き交っている。
どこへ向かうにも、期待なんてひとかけらも抱いていないのは、私だけだった。
「ご搭乗のお客様にお知らせいたします。この便は悪天候のため、出発に2時間ほどの遅れが生じております。お客様にはご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません」
「構いません」
顔も上げず、私は不気味なほど落ち着いた声で囁いた。
「どうせ、どこへも急いでいませんから」
スマートフォンが再び震えた。メッセージだ。
『日向様、財産分与合意書へのご署名をお願いいたします。――道谷法律事務所』
日向。なんて突き刺さる呼び方だろう。昨日までは、心を甘さで満たしてくれたその響きが、今では氷柱のように胸を貫く。
震える指で、フォトアルバムを開く。表示されたのは、去年のクリスマスの写真――ミサキホールの前で撮った、日向和彦と私のツーショット。彼は私の腰に腕を回し、私はまるで甘やかされた子供のように満面の笑みを浮かべていた。
共に老いていくのだと信じていたあの頃の私は、なんて無邪気だったのだろう。
でも今は、すべてが終わってしまった。この手で、終わらせたのだから。
---
一ヶ月前のあの夜の記憶が、波のように押し寄せてくる。
投資家向けのパーティーは、シャンパンと笑い声でホール全体が満たされていた。日向和彦はステージに立ち、会社の目前に迫ったIPOについて雄弁に語っていた。私が選んだネイビーのスーツを身にまとった彼は、会場中の女性が振り返るほど素敵だった。
そして私は、隅の方に立ち尽くし、愛する人がキャリアの頂点に立とうとする姿を見つめていた。
「準備はいいか?」
風間真が、ためらいを滲ませた瞳で近づいてきた。
「覚悟はできてる」
私は平静を装った。
「忘れないで。彼にちゃんと見せつけるのよ」
「柚葉、他に方法はないのか?」
「ないわ」
私は目を閉じた。
「知ってるでしょ、私には長くて半年しかない。苦しみながら死んでいく私を見るより、憎んでくれた方がいい。憎しみは、悲しみよりずっと乗り越えやすいから」
風間真は私を深く見つめ、そして頷いた。彼は手を伸ばし、そっと私の腰に手を置いた。
その瞬間、日向和彦が顔を向け、私たちのいる隅に視線を落とすのが見えた。
時が止まったかのようだった。
私はつま先立ちになり、風間真にキスをした。
遠くで、日向和彦が持っていたシャンパングラスが床に落ち、甲高い音を立てて砕け散った。
決壊したダムのように、涙が目から溢れ出した。あの時の日向和彦の表情を、私は決して忘れないだろう。
驚愕。不信。胸が張り裂けるような痛み。そして、骨の髄まで達するほどの憤怒。
「柚葉!」
彼はよろめきながら駆け寄ってきた。
「一体どういうことだッ!?」
彼の声は震え、全身がわなないていた。瞳には涙が浮かんでいるのが見えたが、すぐに怒りがすべてを覆い隠した。
「和彦、私……見られるなんて……」
私はパニックを装った。
「いつからだ?」
彼は拳を握りしめ、こめかみに青筋を浮かせていた。
「言えッ!」
「三ヶ月だ」
風間真が私の代わりに答えた。
「日向和彦、こんな形で知ることになってすまない」
その瞬間、日向和彦の世界が崩壊するのを、私は見ていた。
彼は胸を打ち抜かれたように、二、三歩よろめき後ずさった。見ていた招待客たちが、ひそひそと囁き始めた。
「この……裏切り者めッ!」
その言葉は刃となって私の心臓を貫いた。彼が誰かに対して、あんな汚い言葉を使うのを聞いたのは初めてだった。
「八年だぞ、柚葉!八年もだ!君のことを分かっていたつもりだったのに!」
彼の声はどんどん掠れていった。
「終わりだ!もう、完全に終わりだ!」
私は深く息を吸い込み、フォトアルバムの『すべて削除』ボタンの上で指を彷徨わせた。この百二十七枚の写真には、私たちの八年間の愛と、三年間の結婚生活が記録されている。
私たちの痕跡を、すべて完全に消し去るのだ。
『削除』をクリック。
削除を確定。
ついに、涙がこぼれ落ちた。この世界で最も私を愛してくれた男性を、救うためだけに、この手で破壊してしまったのだ。
「あなた、何か物語を抱えていそうですね」
不意に、優しい声がした。顔を上げると、三十代前半くらいの女性がコーヒーカップを片手に、心配そうな瞳で私を見ていた。彼女は蜂蜜色の髪をして、楽そうな旅行着を身につけ、プロ仕様のカメラバッグを提げていた。
「何か特別な旅に出るところ、というお顔をされていますね」
彼女は私の向かいに座った。
「私は汐見海璃。トラベルブロガーをしています。女性の一人旅をテーマにした連載を書いているんです」
彼女はスマートフォンを取り出し、自身のブログ画面を見せてくれた。
「もしよろしければ、あなたの物語を取材させていただけませんか?」
私の物語? 私は乾いた笑いを漏らした。
「きっと、あなたの読者には重すぎますよ。自ら結婚生活を破壊した女の物語なんて」
海璃の目に驚きがよぎったが、彼女は引かなかった。
「あなたの表情は、何かを見つけるための旅ではなく、何かにさよならを告げるための旅なのだと語っています」
空港のアナウンスが流れる。
『――まもなく搭乗を開始いたします……』
「B市です」
私は呟いた。
「私たちが初めて出会った場所。八年前、上野広場にあった小さなカフェで」
「相手は?」
「元夫です」
一言一言が、鋭い痛みを伴う。
「昨日、離婚しました」
海璃は、核心を突くように尋ねた。
「何があったんですか?」
私は窓の外に目を向けた。夜の闇の中、着陸してくる飛行機の灯りが点滅している。
その問いには答えず、私は彼女の方を向き直って、無理に微笑んでみせた。
「すべてが終わる前に、いくつか残しておきたいものがあるんです」
「どういう意味ですか?」
海璃の声に、不安の色が混じった。
「かつて、二人で一緒に行こうと計画した場所を巡るんです」
私は立ち上がった。
「B市、M市、C市、S市……」
その地名を口にするたびに、胸が少しずつ痛んだ。
「私の物語を書いても構いません。でも、正体は明かさないでください」
海璃が手を差し出した。
「どんなに特別な物語でも、大切に記録します」
私はその手を見つめ、三秒間ためらった後、握り返した。
手が触れ合った瞬間、久しぶりに人の温もりを感じた。
でも、その温もりも、私の心の氷を溶かすことはもうできない。
「行きましょう」
私はスーツケースのハンドルを握った。
「物語は、今ここから始まります」
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一方、彼女を追い出した養父母の家業は倒産寸前に陥り、元婚約者も彼女の本当の姿を知って絶望の淵に立たされていた。
彼らが泣きついて許しを乞うても、彼女は冷たく言い放つ。
「今さら後悔しても、もう遅いわ」
私が囲っている億万長者
彼は息を呑むほど美しく、落ちぶれていた。夫の裏切りがもたらした傷が完全に癒えるまで、彼をそばに置いておくつもりだった。
お金で彼の付き添いを買い、すべてのルールを私が決め、すべてを完全に掌握しているつもりだった。
けれど、私の隣で横たわるこの男の正体は、彼が語ったものとはまるで違っていた。
魅惑的な笑顔と抗いがたい容姿の下に隠されていたのは、仇敵から身を隠す億万長者の素顔だった。
今や彼は、私の生活に、私のベッドに、そして私の心に――完全に絡みついている。
身を引くことは、彼のそばにいることよりも、もっと危険かもしれない。
追放された私が真の継承者だった件。今さら戻れと言われても、もう手遅れです
けれど、私の本質を隠し通すことは誰にもできない。
隠された私の正体は、この国で最も裕福な一族の継承者。
かつての家族が私を見失っている間に、私は全ての支配者となり、この街の頂点に君臨する男の視線を独占する。
彼が私に捧げる愛は、ただの寵愛ではない――世界を敵に回してでも守り抜く、狂おしいまでの執着だ。
御曹司に壊される人形
三年後、出所した僕の前に現れたのは、やはり彼だった。
「一生、逃がさないからな」
殺意に満ちた目で、彼はそう言った。
なのに、なぜか僕には、彼の心が深い悲しみに満ちているようにしか見えなかった。
捨てられたルナの復讐
「ベラ」イーサンの声音が変わった。わたしが嫌というほど知っている、あの警告めいた刃が混じる。「いまのフェイは不安定なんだ。おまえが彼女を恨むんじゃないか、これで群れが割れるんじゃないかって、怯えてる。彼女がいちばん望んでないのは、この子が俺たちの間に入り込むことだ」
「だったら、そんなことしなければよかった」わたしは真正面から彼の目を捉え、こちらの瞳に張りついた氷を見せつけた。「息子のところへ戻って」
「いい加減にしろよ」彼は苛立ちまぎれに髪をかきむしった。「何度言えば――人工授精だ。俺の精子を使ったのはそうだが、フェイと俺は――」
ベラは冷えきった鼻笑いを漏らした。なんて厚かましい嘘。彼女の伴侶は、兄の番と関係を持ち、家族ぐるみで彼女を何も持たせず追い出した。愛人が「正しい」座に収まるために、道を空けるように。哀れな愚か者――彼は、彼女がただの厄介な養女で、簡単に切り捨てて支配できると思い込んでいた。自分が探し求めていた天才的な技術者が、まさか自分のルナだったとは、ついぞ知らずに。
彼が自らを汚した時点で、ベラの中ですべては終わった。彼女は彼を拒み、奪われたものを取り戻した。何年も密かに彼女を愛してきたヴィクターの助けを得て、頂点へと駆け上がっていく。
イーサンが彼女を取り戻そうとしたとき、こう言った。「俺たちの子どもを、父親なしで育てたいのか」
ベラは嘲るように微笑んだ。「その子の父親は、あなたじゃないわ」
不倫夫を捨てた夜、私は新しい彼に抱かれる
しかし結婚7年目、夫は秘書との不倫に溺れた。
私の誕生日に愛人と旅行に行き、結婚記念日にはあろうことか、私たちの寝室で彼女を抱いた夫。
心が壊れた私は、彼を騙して離婚届にサインをさせた。
「どうせ俺から離れられないだろう」
そう高をくくっていた夫の顔に、受理された離婚届を叩きつける。
「今この瞬間から、私の人生から消え失せて!」
初めて焦燥に駆られ、すがりついてくる夫。
その夜、鳴り止まない私のスマホに出たのは、新しい恋人の彼だった。
「知らないのか?」
受話器の向こうで、彼は低く笑った。
「良き元カレというのは、死人のように静かなものだよ?」
「彼女を出せ!」と激昂する元夫に、彼は冷たく言い放つ。
「それは無理だね」
私の寝顔に優しくキスを落としながら、彼は勝ち誇ったように告げた。
「彼女はクタクタになって、さっき眠ってしまったから」













