第1章嵐の夜、妊娠中に追いかけられた彼女
薄暗い部屋で、裸の二つの身体が絡み合っていた。荒い息づかいと甘い喘ぎが重なり、密やかな情熱が空気を満たしていく。
エミリー・ジョンソンは眉をひそめ、きつく目を閉じていた。両手でシーツを握りしめ、男のいっそう強引になっていく突き込みに耐える。
「処女なのか?」
しゃがれた声が耳元で囁いた。エミリーは霞んだ瞳をゆっくり開き、男の顔立ちをかろうじて捉えようとする。
もっとよく見ようとした、その瞬間――耳を裂くような雷鳴が轟いた。
エミリーははっと目を覚ました。
夢だ……ただの夢。
半年前、母を救うために見知らぬ男と床を共にすることを強いられ、しかも彼の子を産むとまで約束させられた……。
それ以来、あの夜の夢を幾度となく見た。
エミリーはふくらんだ腹に手を当て、水を飲もうと起き上がりかけて――そこで、異変に気づいた。
自分のベッドではない。狭い、長方形の棺の中にいる。身動きが取れない!
しかも、その棺が動いているのがわかった。
外からは、かすかに雷の音が聞こえる。
エミリーは恐怖に駆られた。何が起きているの? 誘拐されたの?
棺の壁を叩き、叫ぶ。「誰なの!? どうしてこんなことをするの! 出して!」
恐怖と無力感に、声が震える。
棺を担いでいる者たちは、中からの物音に気づいたのか、急に足を止めた。
「今、聞こえたか? 棺の中からだぞ」
「気のせいだ。真夜中だ、音なんかするわけない」
「いや、本当に……棺から聞こえる!」
ひとりが間違いではないと証明するように、棺へ耳を押し当てた。
もうひとりがその頭を叩き、「ありえねえだろ。あの女には薬を飲ませたんだ、こんなに早く目を覚ますはずがない」と吐き捨てた。
外の声を聞いたエミリーは、徐々に冷静さを取り戻し、息を潜めて耳を澄ませた。
自分を害そうとしているのは誰なのか――知りたかった。
すると、棺の外から聞き覚えのある声が飛んできた。
「誰が止まれって言ったの? さっさと運びなさい、誰かに見つかる前に!」
エミリーの目が一瞬で見開かれる。
従妹のエイヴァ・デイヴィスの声だ。
まさか、全部エイヴァが……自分を殺すつもりで?
衝撃に眩む間もなく、もうひとつ、これも聞き慣れた声が重なる。
「心配するな。ここは普段、誰も来ない。雷雨だし、なおさらだ」
恋人のジョン・ウィリアムズの声だった。
その瞬間、エミリーは悟った。エイヴァとジョンが手を組み、自分を陥れたのだ。
二人に裏切られ、胸がねじれるほど痛んだ。
どうして――。
すると、棺の外でエイヴァが勝ち誇った声を上げる。
「エミリーって本当に馬鹿。私がジョンソン家の娘でもあるって、絶対気づかない。あいつと母親が死ねば、パパはうちのママと結婚して、私はジョンソン家の娘としての身分を取り戻せる。あははは……」
鋭く傲慢な笑い声が、くぐもった雷鳴に溶け合い、エミリーの心を引き裂いた。
――そういうことだったのか。
まさか、エイヴァがイーライ・ジョンソンの実の娘だなんて。
そしてジョンと組み、エミリーと母リリー・マーティンを墓へ送ろうとしている。
嫌だ。ここで死ねるわけがない!
自分のためだけじゃない。寝たきりの母リリーのためにも――。
エミリーは腹を庇い、全身の力を振り絞って棺の蓋を叩いた。釘で打ち付けられていないことを、必死に祈りながら。
蓋が固定されていないのなら、まだ望みはある。
そのとき、外で滝のような豪雨が降り出した。
外の騒ぎが急に大きくなる。人が大勢来たようで、「お嬢さま! ジョンソンお嬢さま!」と叫ぶ声が聞こえた。
使用人たちが探しに来たのだ!
エミリーは狂ったように蓋を叩いた。棺が激しく揺れ、次の瞬間、地面へ叩きつけられる。開いた棺から、ふくらんだ腹を抱えたままエミリーが転がり出た。
「何してるの! 捕まえなさい! 逃がすんじゃない!」エイヴァの甲高い声が闇夜を貫いた。
体じゅうに擦り傷の痛みが走っても構わず、エミリーは立ち上がり、よろめきながら前へ走る。
雨はますます激しくなり、白い水の幕が視界を奪う。氷のような雨粒が傷口に沁み、痛みが力を奪っていった。
背後では灯りがちらつき、怒号と荒々しい犬の吠え声が入り混じっている。
走れ。止まるな。
脚は震え、息は切れ、それでも止まれるはずがなかった。
止まれば、そこに待っているのは死だ。
エミリーは足を滑らせ、腹を抱えたまま地面へ強く打ちつけられた。
痛い。
腹だけじゃない。足首も何かで切ったらしく、焼けるような痛みが神経を苛んだ。
吠え声がさらに近づく。唸る犬から漂う腐った臭いまで鼻を突いた。
エミリーは絶望のあまり目を閉じた。
「お嬢さま!」
突然、影が飛び込み、狂犬たちに組みついた。
エミリーが目を開くと、瞳孔が大きく縮む。
「ライダー!」
危機の只中で、忠実な執事ライダーが現れ、彼女を庇ったのだ。
だが、獣じみた犬たちにライダーは敵わない。噛みつかれ、引き裂かれていく。
「お嬢さま、私が止めます! 走って!」ライダーが必死に叫ぶ。
エミリーは涙を堪えきれず、それでも立ち上がり、雨の中を逃げ続けた。
背後で、ライダーの苦痛に歪んだ叫びが響き渡る……。
涙は雨に溶け、拳は固く握りしめられ、目には憎しみが満ちた。
必ず――報いを受けさせる……。
五年後、国際空港。
黒いサングラスをかけた、背の高いひときわ目を引く女が、スーツケースを引きながら到着ロビーから出てきた。隣には、黒いスーツに蝶ネクタイを締めた幼い少年が二人。小さな大人のような佇まいで、空港中の視線を一瞬で集めた。
「なんてきれいな子たち!モダン・ミューズの服を着てるんじゃない?」
「聞いたよ。モダン・ミューズの一着は世界で五十着限定で、値段も何十万ドルもするんだって!モダン・ミューズを買える知り合いがいればいいのに!」
「しっ、声が大きい。こっち見てるわよ」
サングラスの奥で、エミリーの冷ややかな美貌の瞳が、ひそひそ声の群衆を一撫でするように掃き、やがて空港に掲げられた『エメラルド・シティ』の看板を見上げた。赤い唇が、かすかに弧を描く。
「久しぶりね、エメラルド・シティ」
「ジョンソン様、お帰りなさいませ」
空港の外、縁石脇にはランボルギーニが停まっていた。礼儀正しい佇まいのスーツ姿の男が、穏やかな笑みを浮かべて車のそばに立ち、こちらへ歩いてくる女を見守っている。
「ジャクソンさん!」
小さな影が弾丸みたいにニコラス・ジャクソンへ突っ込んだ。ニコラスは笑って両腕を広げ、その小さな身体を抱え上げる。
「チェイス、五年ぶりだな。少し丸くなったか?」
腕の中のチェイス・ジョンソンをからかいながら、ニコラスはエミリーの後ろをついてくるもう一人の少年へ視線を向けた。「ジャスパーもこっちへ。おいで、抱きしめさせてくれ」
ジャスパー・ジョンソンの表情は動かない。人懐こいニコラスを一瞥し、儀礼的に言った。
「ジャクソンさん、こんにちは」
「五年経っても、ジャスパーは相変わらず俺に懐かないな。誰に似たんだか」ニコラスはチェイスを軽くあやしながら、エミリーへ小声でぼやいた。
エミリーの赤い唇が、見惚れるほど美しくほころぶ。サングラスを外すと、澄み切った明るい瞳が現れた。ただ、その下に残る小さな傷痕が、視線に鋭さを添えている。
五年前、あの恐ろしい夜――エミリーは崖から転落した。命は取り留めたものの重傷だった。ニコラスが谷底近くで彼女を見つけ、国外へ治療のために送り出したのだ。
その後、エミリーは海外で三つ子を出産した。彼女はニコラスに子どもの一人を父親のもとへ連れ戻させ、自身は海外に残って復讐のための訓練を積み、力を蓄えた。
五年が過ぎた。もう彼女は、かつてのように弱く、簡単に踏みにじられる女ではない。
子どもたちへの渇望と、ジョンソン家への憎悪が胸の奥で燃え続け、どれほど苛烈な時期も彼女を前へ押し出した。
そして今、愛し、同時に憎む場所――エメラルド・シティへ戻ってきた。ジョンソン家に報いを受けさせるために。
「ニコラス、ジョンソン家の最近の動きは?」
エミリーはニコラスに荷物をトランクへ入れさせ、二人の子どもとともに後部座席へ乗り込んだ。
「ジョンソン・グループの子会社で、幹部が資金横領と帳簿改ざんで摘発されました。子会社は閉鎖。幹部とフィン・ジョンソンが捜査対象です」
ニコラスは車を走らせながら、状況を報告する。
エミリーの唇が冷たく吊り上がった。「この件は見張って。必要なら話を進めて。子会社が破産して売りに出るとき、私たちが叩き値で買い取るのよ」
「承知しました」ニコラスは頷き、ためらいがちにバックミラー越しにエミリーを見た。
「ジョンソン様、もう一つ」
「何?」
「ライダーの遺体が見つかっていません」
エミリーの表情がわずかに強張り、瞳に冷たい憎しみが一瞬だけ揺らめいた。
「そう。なら、ジョンソン家からライダーのものを何か見つけて、きちんと弔ってあげる」
「かしこまりました」
ニコラスは慎重にエミリーの顔を窺った。いつもの冷静さの奥で、瞳の震えが内面の動揺を暴いている。
きっと、今はとてもつらいはずだ。
ライダーは、彼女の命の恩人だったのだから。
五年前の嵐の夜、ライダーが命がけで助けてくれなければ、エミリーは野犬の餌食になっていただろう。
車は賑わう街を安定して走り抜ける。エミリーは背もたれに身を預け、流れていく街並みをどこかうつろな目で眺めていた。
不意に、近くの広場で遊ぶ子どもたちの一団が視界に引っかかる。
「車を止めて!」
ニコラスは驚いてブレーキを踏み、車を滑らかに縁石へ寄せて停めた。
「ママ、どうしたの?」
チェイスとジャスパーが、大きく丸い目を瞬かせてエミリーを見る。
「二人とも車にいなさい」
エミリーは落ち着いた声で言い置くと、車を降りた。
「おい、この足の悪いの!俺の靴踏んだだろ。土下座して舐めてきれいにしろ!」
「聞こえないのか?俺が誰だかわかってんのかよ。ここじゃ俺が仕切ってんだ。俺の縄張りに入ったなら俺のルールに従え。ほら、さっさと跪いて靴を舐めろ!」
「跪け!跪け!」
近づくにつれ、何が行われているのかが見えた。
三人の子どもが、年上で尊大そうな少年を取り囲む形になり、その少年がさらに小柄で華奢な子を跪かせ、靴を舐めさせようとしていたのだ。
小さな子の顔は真っ赤だった。唇を固く結び、何も言わない。しかし、澄んだ瞳には誇りと反抗がきらりと宿っている。
「こいつ、口きけねえんじゃね?」一人が年上の少年の耳元で囁いた。
「なら、お前ら二人で押さえつけろ。跪かせて、俺の靴を舐めさせろ!」年上の少年が仲間に命じる。
二人が小さな子を掴もうとした瞬間、彼は獅子のように跳ね上がった。輝く瞳が凶暴な光を放ち、飛びかかって反撃する。
「調子に乗りやがった!みんな、やれ!今日はこの足の悪いのに思い知らせてやる!」年上の少年が喚き、揉み合いに加わって小さな子の顔へ拳を振り下ろした。
「やめなさい!」
エミリーは駆け寄り、いじめっ子たちを引き剥がした。そしてそっと小さな子を立たせ、頬についた血と埃を拭ってやった。
