第3章

 目を開けた瞬間、まるでフル充電されたかのように活力がみなぎっていた。

 ホテルのカーテン越しに淡い朝日が差し込んでいる。身を起こしてみると、信じられないほど体が軽い。

 こんなにすっきりとした気分は、本当に久しぶりだ。

 ぐっと伸びをして、ふと視界の端に映った影に目をやる。ソファの上で、誰かが丸まっていた。

 古崎俊だ。

 目の下にはくっきりとした隈があり、全身から言いようのない憔悴感が漂っている。

「どうしてここに?」

 私は呆気にとられた。彼は顔を上げた。その美しい瞳は充血し、どこか恨めしげに私を見据えている。

「覚えてないのか?」

「覚えてないって、何を?」

 記憶を必死に手繰り寄せるが、脳裏に浮かぶのは中村社長の脂ぎった顔だけだ。

「確か飲みすぎて……それで、あなたが送ってくれたの?」

 古崎俊は数秒沈黙し、喉仏を動かした。

「……ああ」

「それはどうもありがとう!」

 私はベッドから飛び降りる。

「どうしてベッドで寝なかったの? ソファじゃ体が痛くなるでしょう」

 頭をポリポリと掻く。何かがおかしい気もするが、今は仕事が最優先だ。

「私、もう仕事行かなきゃ。あなたも早く帰って休んでね」

 私を見る彼の目が、さらに恨めしさを増した。まるで薄情者を見るような目だ。

 なによ、その顔。

 私が何か悪いことでもしたって言うの?

 まさか、そんなわけないし。

◇

 三日後。我が家は再び災害現場のような惨状に戻っていた。

 私は迷わず古崎俊に電話をかけた。

「もしもし、古崎俊? また来てくれない?」

 電話の向こうで少し沈黙が続き、「……わかった」と返事があった。

 一時間後、チャイムが鳴る。

 ドアを開けると、そこには古崎俊が立っていた。

 今日の彼は仕立ての良い黒いシャツを身にまとい、袖口を軽くまくって筋の通った前腕を覗かせている。

 逆光を浴びるその姿からは、禁欲的かつ危険な香りが漂っていた。

 相変わらずイケメンだ。

 思わず心臓の鼓動が早くなる。

「どうぞ、入って」

 体をずらして道を開ける。中に入った彼は、不意に拳を口元に当てて咳き込んだ。どこか弱っているようだ。

「大丈夫?」

 古崎俊の瞳が一瞬輝き、磁石のように人を惹きつける低音で答えた。

「ああ、平気だ」

「それならよかった」

 私は即座に雑巾を彼の手のひらに乗せた。

「じゃ、よろしくね」

「……」

 彼は雑巾を受け取り、作業を始めた。

 やはり疲れが見える。

 まさか病気だろうか?

 そう尋ねようとした矢先、仕事のグループチャットが鳴った。上司からアパレルブランドの広告案件について進捗確認だ。

 私はベランダで返信に没頭し、彼が何をしているかなど気にも留めなかった。

 掃除の音がやけに大きくなった。

 物を動かす音、置く音、片付ける音。すべてが騒々しい。

 私は少し頭を抱えながら彼の方を振り向く。

すると、彼の肌が異常に赤いことに気づいた。耳なんて、まるで茹でたニンジンのように真っ赤だ。

「古崎俊?」

「具合でも悪いの?」

 今度は「平気だ」とは言わなかった。彼は私の目をじっと見つめ、こう返した。

「どうやら、あまり良くないみたいだ」

「浦山市子」

 初めてフルネームで呼ばれた。

 彼は近づいてきて、切実な声で言う。

「俺は今、すごく具合が悪いんだ」

 近づくだけで、彼から発せられる熱気を感じる。なんてこった、これは確実に熱がある。

 病気なのに仕事に来るなんて、どれだけこの仕事が好きなの。

 これぞまさに、家政婦の鑑!

「安心して、私に経験があるから」

「経験?」

 古崎俊の瞳の奥に危うい陰りが走り、すぐに消えた。

「……じゃあ、俺を助けてくれ」

「任せて。前回助けてもらったし、今度は私があなたを助ける番よ」

 私は胸を叩いて請け負った。

 そして、彼の期待に満ちた視線を背に、一杯の氷水を持ってきた。

 暑い日には、氷水で体を冷やすのが一番だ。

 しかし、古崎俊の表情は一瞬にして凍りついた。

「いらない」

 まるで子供のような口調だ。

 大人だって、病気の時は理性を欠いた反応をしてしまうものだ。よくあることだ。

「大丈夫、まだ手はあるから」

 私は自信満々に宣言した。

 古崎俊は驚愕の表情で私を見つめる。その声は、期待と熱で掠れていた。

「……本気か?」

 私は力強く頷き、自信たっぷりに言い放った。

「行きましょう、お風呂場へ!」

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