第3章

 鑑識と検視官が到着した4時間後には、すでに日が暮れかけていた。赤と青の警告灯が明滅し、桜木町の木立が並ぶ通りに不穏な影を描き出している。

 黄色い規制線の向こうには近隣住民が集まり始め、ひそひそと憶測を交えながら声を潜めていた。涼は規制線の端に立ち、走り書きでびっしりと埋め尽くされた手帳をきつく握りしめていた。たった今、12軒の家を回って話を聞いてきたところだが、会話を重ねるごとに、胃袋が締め付けられるような感覚が強くなっていた。

 最後の家は64番地だった。色あせた花柄のエプロンを身につけた、白髪の老婦人が応対した。本来なら人を安心させるような、そんな顔立ちをしていた。

「高橋さん?」彼女は眉をひそめた。

「私の知る限りでは、ご夫婦お二人だけですよ」

「娘さんがいるんです。恵さんという」

 老婦人の動きが止まり、顔に困惑の色が浮かんだかと思うと、首を横に振った。

「いいえ。ここに20年住んでいますが、娘さんなんて一度も見たことがありません」

「でも、他のご近所の方は――」

「ああ、そうでした」彼女は涼の言葉を遮り、早口で言った。

「あの子は病気なんです。あまり外出しないんですよ。可哀想に、苦労されているようで」

 涼は彼女をじっと見つめた。その説明はあまりにも手際がよく、滑らかすぎた。まるで用意されていたかのように。

「今、一度も見たことがないとおっしゃいましたよね」

 老婦人の笑顔が引きつり、ほんの一瞬だけ視線を逸らすと、涼との間にあったドアをゆっくりと閉めた。

 涼は玄関先に立ち尽くし、鍵が掛けられる音を聞きながら、喉がカラカラになるのを感じた。これで5人目だ――最初は困惑して否定し、その後突然思い出したかのように、ほとんど一言一句違わぬ同じ言葉を口にする。

 誰かにそう言うように指示されているかのように。

 彼はきびすを返し、2丁目17番地へと向かった。松本が玄関の階段を降りてくるところで、涼を見つけると、顎で家の方をしゃくった。ベテランの保安官は午後の時よりもさらに顔色が悪く、白目には毛細血管が浮き出ていた。

「何か分かったか?」松本が尋ねた。

「12軒回りました。過去12年間、実際に恵の姿を見た人は一人もいません」涼は手帳を開いた。

「新しい住人は高橋家に娘がいることすら知りません。古くからいる人は知っていますが、聞いてください――『あの子は病気だ』『引きこもっている』『苦労している』。何度も何度も、同じ台本を読んでいるみたいです」

 松本の顎の筋肉が動いた。

「それに、ここからが問題なんです」涼は手帳を閉じて言った。

「みんな最初は否定するんです。それから急に思い出す。毎回、全く同じパターンです」

 松本は数秒間黙り込み、視線を家の方へ戻してから、入り口へと向き直った。

「来い。見つけたものがある」

 涼は松本の後に続いて規制線をくぐり、階段を上った。ドアが開くと、あのまとわりつくような甘い臭いが再び彼を襲い、以前よりも濃く、喉の奥に張り付いてきた。

 室内では、鑑識が証拠の記録と回収作業を進めており、カメラのフラッシュが明滅していた。高橋夫妻の姿はなく、2階か別の部屋に移動させられたようだった。

 松本はソファには向かわず、まっすぐにコーヒーテーブルへと歩み寄り、しゃがみ込んだ。

「鑑識がここに挟まっているのを見つけたんだ」彼はソファとテーブルの隙間に懐中電灯の光を当てた。

「見てみろ」

 涼は身を乗り出した。

 狭い隙間に押し込まれていたのは、どこの薬局でも売っているような、使用済みのウェットティッシュの束だった。それは茶色や黄色、そして黒い線のような汚れで染まっていた。

「ここ数日以内に使われたものだそうだ」松本はピンセットで一枚をつまみ上げ、光に透かして見せた。

「このパターンが見えるか? 上から下へ。規則的だ」

 涼はウェットティッシュを見つめた。頼みもしないのに、頭の中にその光景が浮かび上がった――誰かがそのソファの前にひざまずき、指の間でウジ虫が蠢き、腐った肉が剥がれ落ちていく中で、それでも落ち着き払って、まるでそれが世界で最も自然なことであるかのように、辛抱強く拭き続けている姿が。

「一体誰が、そんなに冷静でいられるんですか?」涼の声は震えていた。

 松本は答えなかった。ただウェットティッシュを証拠品袋に密封し、その指の関節は白くなるほど力が入っていた。立ち上がると、彼の視線は冷たく感情の読めないまま、ソファへと注がれた。

 その時、涼の中で何かが繋がった。

「待って。高橋夫妻は昨日帰ってきたばかりだと言っていましたよね」

「ああ、そうだ」松本の声は平坦だった。

「つまり、彼らが留守の間、誰かがここにいたということだ。誰かが彼女の死を見届けた。そして、彼女の体をきれいにし始めたんだ」

 検視官の鈴木一郎がリビングの向こう側から近づいてきた。50代の男で、顔はやつれ、マスク越しでも息遣いが聞こえてきた。

「松本」彼は言った。

「遺体を動かす準備はできた。だが、忠告しておく――これは一筋縄ではいかないぞ」

「どういうことだ?」

「遺体がソファに癒着しているんだ。皮膚と脂肪がクッションのウレタンに染み込んでいる」一郎は遺体の方を指差した。

「無理に剥がせば、遺体をバラバラにしてしまう危険がある。検視全体に支障をきたしかねない」

 松本は短く頷いた。

「どれくらいかかる?」

「最低でも1時間。慎重にやらなければならない」

 鑑識チームが作業を始めるのに合わせて、涼は戸口まで後ずさりした。彼らは様々な道具を駆使して剥がせる部分を剥がしていったが、その動きはどれも慎重で計算されていた。遺体がわずかに動くたびに、濡れたものが引き裂かれるような音が響き、涼は胃がせり上がるのを感じた。

 突然、若い鑑識官が片手で口を覆いながら部屋から飛び出し、廊下の壁に手をついてえずき始めた。

 涼は無理やり視線を向け続けた。頭の中では、この状況に筋が通る説明を、何らかの理由を絶えず探し求めていたが、その試みはすべて壁にぶつかり、崩れ去っていった。

 ついに遺体がストレッチャーに乗せられ、残骸と化した体の上に白いシーツが掛けられた。一郎はゴーグルを外し、手の甲で額の汗を拭ったが、そこには汚れの筋が残った。

「遺体を運べ」と彼は助手に指示した。

「徹底的に解剖する。数時間は必要だ」

 松本は頷いた。

「何かわかったら、すぐに連絡してくれ」

 だが、もはや誰も一郎を見てはいなかった。全員の視線がソファに釘付けになっていた。

 恵がいた場所には、深いクレーターのような窪みが残されていた。縁は黒ずみ、中心部は病的な茶色に変色し、底には体液と排泄物、そして蠢くウジ虫の群れが溜まっていた。その汚物の中に、白に近い青白い破片が点々と散らばっていた。

 一郎はその傍らにしゃがみ込み、懐中電灯の光をゆっくりと惨状の中で這わせた。彼は長い間、理解の及ばない何かを覗き込むかのように、無言のままそこに留まっていた。

「深さはどれくらいだ?」松本が尋ねた。

「少なくとも二十センチはある」一郎の声は静かだった。

「ウレタンは完全に分解されている」

 彼はピンセットで青白い破片の一つをつまみ出し、光の下にかざした。それを観察する彼の眉間にしわが寄り、沈黙が長引いた。

「それは何ですか?」涼が尋ねた。

「詰め物のように見えるが、質感が違うな……」一郎は言葉を濁し、それを証拠品袋に密封した。

「検査に回す必要がある」

 彼は立ち上がったが、その視線は再び窪みへと戻り、底に散らばる白い破片に未練がましく注がれていた。

「なんだ?」松本が急かした。

 一郎は首を横に振った。

「おそらく気のせいだ。気のせいであってほしいがな」

 リビングルームに響くのは、テレビの微かな機械音だけだった。画面の中では、鮮やかな色彩と陽気な音楽に合わせて、アニメのウサギが牧草地を飛び跳ねている。

 涼の視線は窪みを通り越し、ダイニングルームへと向かった――清潔なテーブルクロス、几帳面に並べられた食器、きれいに積み重ねられた雑誌。家の中の他の場所はあまりにも整然としており、入念に手入れがされていて、まるでリビングの悪夢が全く別の次元に存在しているかのようだった。

「遺体を死体安置所へ運ぶ」一郎は手袋を外しながら言った。

「数時間で初期所見が出る。何か重要なことが分かれば、すぐに知らせよう」

 松本は頷いた。

「頼む」

 鑑識チームが撤収の準備を始めた。涼と松本が外に出ると、通りは再び静けさを取り戻しており、夜風に揺れる黄色い規制線だけがそこにあった。

 署へと戻る車中、二人は一言も言葉を交わさなかった。

 ようやくオフィスに腰を下ろした時には、すでに午後十時を回っていた。机の上には現場の写真が散乱しており、どれも直視するのが辛いものばかりだった。涼は気がつくと、一枚の横顔の写真をじっと見つめていた――刃物のように突き出た恵の頬骨、影の中に落ち窪んだ眼窩、残された髪の毛の間を縫うように這うウジ虫。

 今度は、彼は目を逸らさなかった。ウジ虫、窪み、布地と癒着した皮膚――あらゆる細部を無理やりにでも目に焼き付けた。これを見ることすら耐えられないのなら、どうして真実を見つけ出せるというのか。これは証拠だ。彼らに残されたすべてなのだ。

 誰もいないオフィスに、甲高い電話のベルが鳴り響いた。

 松本が受話器をひったくった。

「松本だ」

「一郎だ」検視官の声は、どこか虚ろに響いた。

「初期解剖が今終わった」

「何かわかったか?」

 電話の向こうの沈黙は、涼の脈拍が跳ね上がるほど長く続いた。

「餓死、そして敗血症だ。重度の栄養失調。臓器は機能停止していた」一郎の声が震えた。

「全身にネズミやトコジラミの噛み跡がある。下半身の筋肉組織はほぼ完全に萎縮しているが、腕には防御創があった。彼女は抵抗したんだ」

 受話器を握る松本の指の関節が白くなった。

「続けてくれ」

「四十三キロだ」一郎の声は、かろうじてささやき声より大きい程度まで落ち込んだ。

「この仕事を二十年やっているが、ここまで痩せ細った大人は見たことがない。中学生よりも軽い」

 その数字は、物理的な打撃のように涼を打ちのめした。四十三キロ。十歳の子供の体重だ。

「もう一つある」一郎は言葉を切り、その沈黙の中で、涼は彼から一度も聞いたことのないものを感じ取った――戸惑い。あるいは、恐怖かもしれない。

「胃だ。内容物が見つかった」

「どんな内容物だ?」

「いいから、とにかく――こっちへ来てくれ」一郎は息を吸い込み、自分を落ち着かせようとしているのが音で伝わってきた。

「彼女の胃から取り出したものは……人間の胃に入っているべきものじゃない。絶対に」

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