ソファに溶け込んだ少女

ソファに溶け込んだ少女

渡り雨 · 完結 · 30.0k 文字

1.1k
トレンド
1.1k
閲覧数
0
追加済み
本棚に追加
読み始める
共有:facebooktwitterpinterestwhatsappreddit

紹介

「こちら警察です。どのような緊急事態でしょうか?」

受話器の向こうから聞こえてきたのは、言葉ではなく、獣のような、絶望的な泣き叫ぶ声だった。

桜木町に住む、世間体の良いある夫婦から「娘が死んだ」と通報があった。しかし、警官がその家のドアをくぐった瞬間、目の前に広がっていた光景は、経験豊富なベテラン警部でさえその場に崩れ落ち、嘔吐してしまうほど凄惨なものだった――。

彼らの36歳になる娘は、すでにソファと「一体化」していたのだ。

彼女の体は、腐敗したソファのスポンジ、排泄物、そして蠢くうじむしとドロドロに混ざり合っていた。皮膚はひび割れた革のソファにへばりついている。彼女の胃の中には、ソファの詰め物と自身の糞便が詰まっていた。体重はわずか29キロしかなかった。

泣き崩れる両親はこう説明した。「娘は重度の自閉症で……誰にも体を触らせようとしなかったんです……」

しかし、近隣住民の証言は全く異なるものだった。この12年間、誰もその娘の姿を見たことがないというのだ。

その後、捜査員はソファの下からあるものを発見した。つい最近使われたばかりの、清拭シートだった。

誰かが彼女の腐敗した体のそばにしゃがみ込み、少しずつ、丹念に彼女の体を拭き清めていたのだ。それも、何日にもわたって。

だが、このような地獄のような光景の中で、一体誰がそこまで冷静でいられたというのか?

それは悲痛ゆえの行動だったのか――それとも、罪悪感からだったのか?

チャプター 1

「はい、こちら警察です。どうされましたか?」

 受話器越しに聞こえてきたのは、言葉ではなかった。それは、むせび泣くような生々しい嗚咽だった。

「娘が――」途切れ途切れで、まともな言葉になっていない。

「息をしていないんです……お願い……助けて……」

「奥さん、ご住所は?」

「楓通り二丁目十七番……桜木町……お願い、早く……」

 その後、彼女は完全に泣き崩れ、呼吸もままならないほど激しく嗚咽し始めた。

 神崎涼はパトカーの助手席に座り、通信指令室が救急車を手配し、詳細を確認するのを聞いていた。無線からはまだあの女性の泣き声が響いており、そのあまりの悲痛さに、車内の空気までが重く感じられた。

「高橋さんのところも気の毒にな」運転席の松本浩巡査部長がサイレンを切りながら言った。

「健一さんはロータリークラブの会長で、静子さんは裁判所勤めだ。娘さんは何年も前から病気でな――ずっと寝たきりだったはずだ」

 涼は何も答えなかった。警察官になって三ヶ月、彼はまだベテラン刑事たちのように、感情を切り離して仕事に向き合う術を身につけてはいなかった。

 パトカーは、手入れの行き届いた芝生に陽光が斜めに差し込む、まるで雑誌から抜け出してきたかのような住宅街を通り抜けた。二丁目十七番地は、ポーチに花が咲き乱れる、白いヴィクトリア調の瀟洒な家だった。

 あたりは、不気味なほど静まり返っていた。

 玄関先では、高橋健一が待っていた。カシミヤのカーディガンという部屋着姿で、髪は乱れ、ひどく狼狽している様子だった。パトカーを見るなり、彼は半ば走り、半ばつまずくようにしてこちらへ向かってきた。

「お巡りさん――ああ、来てくださってよかった――」その声はひび割れていた。

「恵が――娘が――」

 彼は言葉を継げず、目元を拭った。

 松本が彼を支えるように言った。

「大丈夫ですよ、高橋さん。救急車もすぐ後ろから来ています」

 健一は頷いたが、その足取りは覚束なく、今にも倒れそうだった。彼に案内されて玄関ホールを抜けると、震える手でリビングのドアノブを回した。

「中に静子が……妻は……すっかり取り乱してしまって……」

 部屋の中から、くぐもった泣き声が漏れ聞こえてきた。

 涼が足を踏み入れると、絨毯の上にうずくまる中年女性の姿があった。両手で顔を覆い、体を丸く縮こまらせている。全身を震わせて嗚咽し、指の隙間から悲痛な声が漏れていた。

「静子……」健一自身も声を震わせながら、妻に歩み寄った。

「医者からも言われていただろう……時間の問題だって……」

「違うわ――私のせいよ――」静子が弾かれたように顔を上げた。涙に濡れた顔は、目も開けられないほど腫れ上がっている。

「私が出かけたりしなければ――あの子を置いていかなければ――恵、ごめんね、本当にごめんなさい――」

 彼女はそれ以上言葉を続けられず、ガタガタと全身を震わせた。健一も彼女のそばに膝をついて抱き寄せ、二人はすがるように身を寄せ合った。

 涼は傍らに立ち尽くし、胸が締め付けられるのを感じていた。

 松本が静かに尋ねた。

「娘さんはどちらに?」

 健一は真っ赤に充血した目を上げ、リビングの中央を指差した。

「あそこです……あそこに座ってテレビを見るのが好きで……毎日あそこで……」

 彼は最後まで言い切れず、再びうなだれて肩を震わせた。

 涼は彼の指差した方向へ視線を向けた。

 リビングは塵一つなく片付いていた。床から天井まである大きな窓から陽光が降り注ぎ、シミ一つないペルシャ絨毯を照らしている。マントルピースの上には家族写真が飾られていた。テレビはつけっぱなしになっており、子供向けのアニメが流れている。

 部屋の中央には、ベージュのレザーソファが置かれていた。

 そのソファに、一人の女がドアに背を向けて座っていた。微動だにしない。

「動かすのが怖かったんです」静子が涙声で震えながら言った。

「お医者様が……骨がとても脆くなっているからと……傷つけてしまうんじゃないかって……」

「それで正解ですよ」と松本が応じた。

 涼はゆっくりと近づいていった。

 部屋の中には微かな匂いが漂っていた。強烈ではないが、どこか奇妙な――芳香剤のまとわりつくような甘い香りが、何か別の、淀んだ不穏な臭いを誤魔化そうとしているかのようだった。

「普段から、この階にいらっしゃったんですか?」涼はできるだけ穏やかな声で尋ねた。

「ええ……」健一の声はまだ震えていた。

「恵は二階の自分の部屋を嫌がって……ここが好きだったんです。テレビをつけておくのが好きで……だから、好きなようにさせて……」

「昨日出かけた時は元気だったんです、本当に元気だったのよ」静子が突然口を挟んだ。

「今日の午後帰ってきて、お昼ご飯にしようって声をかけたら……いつもみたいに座っていたのに、返事がなくて、それで――」

 彼女は言葉を詰まらせ、夫の肩に顔を埋めた。

 健一は妻をきつく抱きしめた。

「あの子の病気には……私たちも、できる限りのことはしたんです……」

 涼はソファの横へと回り込んだ。女は大きめのTシャツを着ており、生気のない乱れた髪を垂らし、頭をわずかに前へ傾け、テレビの方へ顔を向けていた。この角度から見ると、ただ眠っているだけのように見える。

 彼はさらに一歩踏み出した。

 匂いが強くなった。鼻を突くほどではないが、思わず後ずさりしたくなるような臭いだ。

「ああ、恵……」静子の泣き声が再び大きくなった。

「本当にごめんなさい……」

 涼は深呼吸をして、ソファの正面へと回った。

 そして、見てしまった。

 周囲のすべてが遠のいていく。

 陽光は変わらず絨毯に温かな光だまりを作っていたが、涼の背筋には氷のような悪寒が走った。

 これは、たった今死んだばかりの遺体ではない。

 到底、そんなものではなかった。

 松本が隣にやって来た。ベテランの巡査部長の呼吸が急に荒くなり、反射的に涼の腕を掴むと、その指がぎゅっと食い込んだ。

「なんてことだ……」松本が息を呑んだ。

 テレビの中では、アニメのキャラクターたちが陽気に歌っている。

 涼は何かを言おうとし、動こうとしたが、体が言うことを聞かなかった。ただ目の前の惨状を見つめることしかできず、一つの考えだけが頭の中でガンガンと鳴り響いていた。

 これは事故じゃない。

 絶対に、事故なんかじゃない。

最新チャプター

おすすめ 😍

逃げる秘書の資産は三千億!?急げ、社長!

逃げる秘書の資産は三千億!?急げ、社長!

73.1k 閲覧数 · 連載中 · 神楽坂奏
十年前、中林真由の母親が腎臓移植を必要としたが、家には手術費を工面する金がなく、挙句の果てに家まで叔父一家に乗っ取られた。
少しでも多くのお金を稼ぐため、彼女は高級クラブでウェイトレスとして働き始めた。
女があまりに美しく、誰も守ってくれる者がいない時、その美しさは原罪となる。
初出勤の日、彼女は危うく猥褻行為の被害に遭いかけた。
男たちが彼女を取り囲み、卑猥な視線をその身に注ぐ。
クラブの金持ちたちは、彼女のような世間知らずの子羊を見つけ出すのが実にうまかった。
彼女が最も惨めなその時、今野敦史が現れた。
この十年、彼女はずっと今野敦史の傍にいた。
友人たちも、家族も、皆が今野敦史を知っていて、二人が付き合っていると思い込んでいる。
でも、今まで彼の周りには女が絶えなかったじゃない。それが今、「ついに運命の相手を見つけた」なんて言ってるの。
今、ようやく彼から離れる機会を得たというのに、どうして手放せようか。
死んだはずの妻が、自分と「瓜二つ」の双子を連れて帰ってきた

死んだはずの妻が、自分と「瓜二つ」の双子を連れて帰ってきた

59.2k 閲覧数 · 連載中 · 白石
5年前、身に覚えのない罪で投獄され、身重の体で捨てられた私。
異国の地で必死に生き抜き、女手一つで双子の息子を育て上げた。

平穏を求めて帰国した私だったが、運命は残酷だ。
かつて私を捨てた元夫・ベンジャミンに見つかってしまったのだ。

「その子供たち……俺にそっくりじゃないか」

彼の目の前にいるのは、彼を縮小したかのような「生き写し」の双子。
ベンジャミンは驚愕し、私たちを引き留めようとする。
しかし、息子たちは冷酷な父親を敵視し、断固として拒絶するのだった。

「僕たちを捨てた男なんて、父親じゃない!」

やがて明らかになる、あの日の「火事」の真相と、悪女オリビアの卑劣な罠。
すべての誤解が解けた時、彼が差し出す愛を、私は受け入れることができるのか?

憎しみと、消え残る愛の間で揺れる、会と許しの物語。
社長、見て!あの子供たち、あなたにそっくりです!

社長、見て!あの子供たち、あなたにそっくりです!

81.3k 閲覧数 · 連載中 · 風見リン
結婚三周年――
中川希は期待に胸を膨らませて、高原賢治に妊娠の報告をした。
しかし返ってきたのは――十億円の小切手、一言「子供を中絶しろ」、そして離婚契約書だった。
子供を守るため、彼女は逃げた。
――五年後。
双子の愛らしい子供を連れて帰ってきた彼女は、医学界で誰もが憧れる名医となっていた。
追い求める男は数知れず。
その時、高原賢治は後悔し、全世界に向けて謝罪のライブ配信中。
中川希は冷ややかに見下ろす。
「離婚して、子供もいらないって言ったんじゃないの?」
彼は卑屈に頼み込む。
「希、復縁して、子供を――」
「夢でも見てなさい。」
「希、子供たちは父親が必要だ。」
双子は両手を腰に当て、声をそろえて言う。
「私たち、ママをいじめるパパなんていらない!」
部屋から布団も荷物も投げ出され、大人しく立つことすらできない高原賢治に、希は言い放つ。
「目を見開いて、よく見なさい。結局誰が誰をいじめてるのか――!」
不倫修羅場の翌日、財閥の御曹司とスピード婚!?

不倫修羅場の翌日、財閥の御曹司とスピード婚!?

106.5k 閲覧数 · 連載中 · 朝霧祈
田中唯はドアの外に立ち、部屋の中から聞こえてくる淫らな声に、怒りで全身をわなわなと震わせていた!
ここは彼女の新居。彼女と高橋雄大の新居になるはずの場所だ。
部屋の中にある調度品は一つ一つ彼女が心を込めて選び抜き、その配置も隅々まで熟考を重ねて決めたものだった。
中にある新婚用のベッドは、昨日届いたばかり。
明日は、二人の結婚式だ。
それなのに今日、彼女の婚約者はその新婚用のベッドの上で、別の女と情熱的に絡み合っている!
「俺と結婚しろ」
背後の男が突然口を開き、驚くべきことを言った!
「俺の姓は鈴木。鈴木晶だ」男は自己紹介を終えると、言った。「明日の結婚式、俺と高橋雄大、どっちを選ぶ?」
田中唯は心の中で、どちらも選びたくないと叫んだ。
だが、それは不可能だと分かっている。
明日の結婚式は予定通り行わなければならない。キャンセルすれば祖母が心配する。自分にわがままを言う資格はない。
「あなたを選びます」
冷酷社長の愛の追跡、元妻の君は高嶺の花

冷酷社長の愛の追跡、元妻の君は高嶺の花

80.4k 閲覧数 · 連載中 · 午前零時
「離婚しましょう」——夫が他の女性と恋に落ち、私にそう告げた日。
私は静かに頷いた。

離婚は簡単だった。でも、やり直すことはそう簡単にはいかない。

離婚後、元夫は衝撃の事実を知る。私が実は大富豪の令嬢だったという真実を。
途端に態度を豹変させ、再婚を懇願して土下座までする元夫。

私の返事はたった一言。
「消えろ」
天使な双子の恋のキューピッド

天使な双子の恋のキューピッド

87.5k 閲覧数 · 連載中 · 鯨井
妊娠中の私を裏切った夫。不倫相手の策略に陥れられ、夫からの信頼も失い、耐え難い屈辱を味わった日々...。

しかし、私は決して諦めなかった。離婚を決意し、シングルマザーとして懸命に子育てをしながら、自分の道を切り開いていった。そして今や、誰もが認める成功者となった。

そんな時、かつての夫が後悔の涙とともに現れ、復縁を懇願してきた。

私の答えはただ一言。
「消えなさい」
離婚後、本当の令嬢は身籠もったまま逃げ出した

離婚後、本当の令嬢は身籠もったまま逃げ出した

98.1k 閲覧数 · 連載中 · 鯨井
結婚三年目、彼は毎晩姿を消した。

彼女は三年間、セックスレスで愛のない結婚生活に耐え続けた。いつか夫が自分の価値を理解してくれると信じ続けていた。しかし、予想もしていなかったことに、彼から離婚届が届いた。

ついに彼女は決意を固めた。自分を愛さない男は必要ない。そして、まだ生まれていない子供と共に、真夜中に姿を消した。

五年後、彼女は一流の整形外科医、トップクラスのハッカー、建設業界で金メダルを獲得した建築家、さらには一兆ドル規模のコングロマリットの相続人へと変貌を遂げ、次々と別の顔を持つ存在となっていった。

しかし、ある日誰かが暴露した。彼女の傍らにいる4歳の双子の小悪魔が、某CEOの双子にそっくりだということを。

離婚証明書を目にして我慢できなくなった元夫は、彼女を追い詰め、壁に押し付けながら一歩一歩近づき、こう尋ねた。
「親愛なる元妻よ、そろそろ説明してくれてもいいんじゃないかな?」
不倫が発覚した日、御曹司が私を連れて婚姻届を出しに行った

不倫が発覚した日、御曹司が私を連れて婚姻届を出しに行った

74.5k 閲覧数 · 連載中 · 蛙坂下道
結婚式を目前に控えた前日、彼女は婚約者が二人の新居で浮気をしているところを発見した。恥辱と怒りに震えながら、彼女は衝動的な決断を下した。唯一、裏切り者の正体を暴いてくれた男性——たった一度しか会ったことのない男性と結婚することを選んだのだ。しかし、新たな夫が夫婦の義務を求めるとは、彼女は夢にも思っていなかった。

彼の熱い唇が彼女の肌を這うと、低く磁性のある声が響いた。「大人しくしていろ。すぐに終わるから」
離婚と妊娠~追憶のシグナル~

離婚と妊娠~追憶のシグナル~

71.2k 閲覧数 · 連載中 · 月見光
離婚して、すべて終わると思った。
伊井瀬奈は新生活を歩み始める决心を固めていた。
しかし、その時、訪れたのは予期せぬ妊娠——それも、最悪のタイミングでの激しいつわり。
瀬奈は必死に吐き気をこらえるが、限界を迎え……。
「お前……まさか……」
冷酷無比な元夫・黒川颯の鋭い目が、瀬奈のお腹へと向けられる。
あの日から、運命は、もう一度動き出していた。
跡継ぎ問題に悩む御曹司様、私がお世継ぎを産んで差し上げます~十代続いた一人っ子家系に、まさかの四つ子が大誕生!~

跡継ぎ問題に悩む御曹司様、私がお世継ぎを産んで差し上げます~十代続いた一人っ子家系に、まさかの四つ子が大誕生!~

91.3k 閲覧数 · 連載中 · 蜜柑
六年前、藤堂光瑠は身覚えのない一夜を過ごした。夫の薄井宴は「貞操観念が足りない」と激怒し、離婚届を突きつけて家から追い出した。
それから六年後——光瑠が子どもたちを連れて帰ってきた。その中に、幼い頃の自分にそっくりの少年の顔を見た瞬間、宴はすべてを悟る。あの夜の“よこしまな男”は、まさに自分自身だったのだ!
後悔と狂喜に押し流され、クールだった社長の仮面は剥がれ落ちた。今や彼は妻の元へ戻るため、ストーカーのようにまとわりつき、「今夜こそは……」とベッドの隙間をうかがう毎日。
しかし、彼女が他人と再婚すると知った時、宴の我慢は限界を超えた。式場に殴り込み、ガシャーン!と宴の席をめちゃくちゃに破壊し、宴の手を握りしめて歯ぎしりしながら咆哮する。「おい、俺という夫が、まだ生きているっていうのに……!」
周りの人々は仰天、「ええっ?!あの薄井さんが!?」
離婚後つわり、社長の元夫が大変慌てた

離婚後つわり、社長の元夫が大変慌てた

212k 閲覧数 · 連載中 · 来世こそは猫
三年間の隠れ婚。彼が突きつけた離婚届の理由は、初恋の人が戻ってきたから。彼女への けじめ をつけたいと。

彼女は心を殺して、署名した。

彼が初恋の相手と入籍した日、彼女は交通事故に遭い、お腹の双子の心臓は止まってしまった。

それから彼女は全ての連絡先を変え、彼の世界から完全に姿を消した。

後に噂で聞いた。彼は新婚の妻を置き去りにし、たった一人の女性を世界中で探し続けているという。

再会の日、彼は彼女を車に押し込み、跪いてこう言った。
「もう一度だけ、チャンスをください」
愛した令嬢は、もう他の男のものです

愛した令嬢は、もう他の男のものです

42.6k 閲覧数 · 連載中 · 塩昆布
彼の“日陰の恋人”として過ごした五年。
優しく、聞き分けの良い女でいれば、いつか彼の心を手に入れられると信じていた。

しかし、神様は残酷な悪戯を仕掛けた。
私に下された診断は、心不全。そして、余命数ヶ月という非情な宣告だった。

やがて、彼の“本命”が帰国する。
そして、私はあっけなく捨てられた。

騒ぎ立てることもなく、私は静かに彼の前から姿を消した。
彼から一銭たりとも、受け取らずに……。