第1章
見知らぬ着信音が、私の思考を遮った。
浴室のドアの前に立つ私の目の前で、高橋義和のスマートフォンの画面が光る。
名前も、通知も表示されない。ただ冷たい数字の羅列があるだけ。
一瞬ためらった後、私は通話ボタンを押した。
「もしもし?どなたですか?」
と、私は小声で尋ねる。
電話の向こうは、不気味なほど静まり返っていた。数秒後、相手は一方的に通話を切った。
浴室からは、今も義和の楽しげな歌声が聞こえてくる。
彼がシャワーを浴びながら流行りの歌を口ずさむようになったのは、ここ数ヶ月で身についた新しい習慣だった。
私は手の中のスマートフォンをじっと見つめる。不吉な予感が、胸の内に広がっていく。こんな着信は、これが初めてではなかった。
先週も知らない番号から電話があり、私が応答するとすぐに切れた。その時、義和に尋ねたが、彼は気にも留めない様子で手を振り、迷惑なセールスの電話だろうと言っただけだった。
私は深呼吸を一つし、親指でそっと画面をスライドさせる。パスコードは、私たちの結婚記念日——〇九〇三。
画面のロックが解除された。
心臓の鼓動が速くなる。結婚して五年になる夫婦とはいえ、相手のスマートフォンを勝手に見るのは、やはり良いことではない。
だが、あの電話……あの沈黙……。
考えずにはいられなかった。
LINEアプリを開くと、まず目に飛び込んできたのは、ピン留めされたいくつかのトークルームだった。私、松本、高橋和也。その下には、ほとんどが仕事のグループや同僚とのやり取りが並んでいる。
しかし、一つだけ私の注意を引くトークルームがあった——『お姫様』と名付けられ、通知オフに設定された連絡先。
最新の未読メッセージが、そこにはっきりと表示されていた。
「義和君に会いたいよぉ〜」
心臓を、見えない手にぎゅっと鷲掴みにされたような感覚に陥る。
トークルームを開くと、若い女の子のアイコンが目に入った——お団子ヘアに、唇を尖らせて可愛い表情を作っている。典型的な二十代前半の女の子が好みそうなスタイルだ。
私は素早くスクリーンショットを撮って保存する。
トーク履歴を遡ると、そのほとんどが他愛ない日常会話で、親密な口調と様々な可愛いスタンプで埋め尽くされていた。
写真も数枚あった。女の子が流行りの服を着て、色々なポーズを取っている。
私の手が、微かに震え始めた。
毎月初めには、五十万円の定額送金が、少なくとも三ヶ月は続いていた。
それ以外にも、様々な金額の送金履歴があり、中には特別な意味が込められたものもあった。
冷静にならなければ、と自分に言い聞かせる。
私はそれらの送金履歴を写真に撮り、トークを未読状態に戻してから、ホーム画面へと戻った。
ちょうどその時、浴室のドアが開いた。
「あー、さっぱりした!」
義和がバスタオルを腰に巻いて出てきて、私が彼のスマートフォンを持っていることに気づいた。
「誰かから電話?」
「うん、さっき電話があったけど、何も言わずに切れちゃった」
私はできるだけ平静を装って答えた。
「ああ、最近セールスの電話が多くて、うざったいんだよな」
彼は無造作にスマートフォンを受け取ると、クローゼットへ向かった。
彼がさっと画面を確認し、何事もなかったかのように口を開くのを、私は見逃さなかった。
「ちょっと出かけてくる」
「こんな遅くに?」
壁の時計に目をやると、もうすぐ十時だった。
「松本の方で急ぎの書類があって、ちょっと見てくれって頼まれたんだ」
彼は手早く服を着ると、財布と鍵を手に取った。
「遅くなるかもしれないから、先に寝てていいよ。多分、帰らないから」
私はリビングの中央に立ち尽くし、壁に飾られた、新宿の高級レストランで撮った結婚式の写真を見つめた。写真の中の私たちは、あんなにも幸せそうに見えるのに。
義和が慌ただしく出て行くと、マンションは息が詰まるような静寂に包まれた。私はあの女の子の顔を思い出そうと必死になる。どこかで見たことがあるような気がしてならなかった。
不意に、ある記憶が脳裏に蘇った。
半年前のある夜、私は義和を保釈するため、渋谷の交番へ向かった。
彼は人と喧嘩をして、連行されたのだ。
その時の彼は怒り心頭で、酔っ払いがカフェのウェイトレスに絡んでいるのを見て、我慢ならず手を出したのだと私に語った。
交番の入り口で、カフェの制服を着た女の子が、俯きながら義和に礼を言っていた。
「お前、仕事変えろよ。あんな場所でバイトするな」
義和は苛立った様子で言った。
「気をつけます。今回は本当に、あなたがいなかったらどうなっていたか……ありがとうございました」
女の子は小声で言った。
「行くぞ。それと、お前はさっさと仕事を変えろ」
義和は彼女の言葉を乱暴に遮り、私の手を引いてその場を離れた。
女の子は、学費を稼がなければならないから仕方がない、これからは危険な目には遭わないようにすると、苦々しく答えていた。
「好きにしろ」
義和は冷たく言い放った。
後日、保釈に付き合ってくれた中島花が、あの女の子は私の若い頃に三、四分ほど似ていると指摘したことがあった。
その時の私は、特に気に留めていなかった。
今、スマートフォンに保存した写真を見て、私は確信した——『お姫様』は、あのカフェの女の子だ。
彼女の名前は、田中千佐登。
