第3章
朝っぱらから、私はベッドの縁に腰掛け、掲示板の「絶縁攻略」スレッドを眺めていた。
「彼氏に自分から別れを切り出させる方法」「感情を傷つけずに別れるテクニック」「彼に飽きられるための十の秘訣」……一つ一つの書き込みを読みながら、心の中で対策を練る。
ベッドサイドテーブルに置かれた物語守りのお守りが、かすかな光を放った。
『梨花様、頑張ってください!』
私はいくつか使えそうな方法をメモした。中でも特に推奨されていたのが、「彼の仕事を邪魔する」と「極度にべったりする」の二つだ。
やはり、男性が最も嫌うのは、恋人に自分の仕事空間を干渉されたり、過度に依存されたりすることなのだ。
「まずはこの二つからね」
私は決意を固めた。
神代時臣が身なりを整え、出かけようとしたその時、私はすぐさま彼の前に駆け寄り、とびきり甘ったるい声で甘えてみせた。
「時臣君、今日、一緒に会社に行ってもいい?」
時臣はネクタイを結ぶ手を止め、少し驚いたように私を見つめた。
「毎日一人でこんなに広いお家にいると、寂しいんだもん」
私は演技を続ける。
「時臣君のことばかり考えちゃって、大好きな抹茶のお菓子も喉を通らないの」
彼のうんざりした表情を期待していたのに、時臣はそっと私の頬を撫で、親指で丸みを帯びた顎をなぞった。
「梨花」
彼の声は春のそよ風のように優しい。
「忘れたのかい? 君はT大学医学部の講義があるだろう。毎日、僕より帰りが遅いくらいじゃないか」
私は呆然とした。しまった、この設定を忘れていた。
「それに」
時臣は続けた。
「今日は一日中会議でね。まともに君の相手をしてやれないだろう。本当に寂しいなら、優子に付き合わせようか」
優子は神代家のハウスキーパーで、私の身の回りの世話をしてくれている。
「い、いいえ、大丈夫」
私は気まずく笑った。
「今思い出したけど、確かに今日、授業があったわ」
時臣は微笑んで私の額にキスをした。
「夜に会おう」
第一の策は失敗に終わった。
午後、私は高級懐石料理店で時臣を待っていた。ここは私たちが約束したディナーの場所だ。第二の策、わがままを言って癇癪を起こす、を実行することに決めた。
時臣は時間通りに到着し、私はすぐさま顔をこわばらせた。
「どうしたんだい?」
彼は心配そうに尋ねる。
私はわざと不満をぶつけた。
「あなたが一緒にいてくれないから、銀座で買い物して気晴らしするしかなかったじゃない!」
時臣は遮ることなく、静かに耳を傾けている。
「あなたのお金なんていらないわ、神代財閥の御曹司様!」
私は彼の不満を煽ろうと声を張り上げた。
「私が欲しいのはあなたの時間! あなたの気遣い! 私への本当の気持ちよ!」
周りの給仕たちが頭を下げ、私たちの会話が聞こえないふりをしている。自分の演技がやりすぎで、時臣を怒らせてしまったのではないかと心配になってきた。
予想外なことに、私たちは同時に謝罪の言葉を口にした。
「ごめんなさい」
「すまない」
私は驚いて彼を見つめたが、彼は逆に自分を責めるように言った。
「最近、僕が忙しすぎたんだ。もっと君と一緒にいるべきだった」
第二の策もまた失敗した。
夜、私たちは庭園を散歩していた。
桜の木の下で、私は勇気を振り絞り、どもりながら尋ねた。
「時臣君、あな……あなたは私と別れたいの?」
時臣の眼差しが、すっと冷たくなった。
「なぜまた別れ話なんてするんだ?」
心臓が速く脈打つのを感じながら、私はただの探りだと装った。
「わ、私、ただ考えてたの。もしあなたがいつか私を要らなくなったら、神代本社に横断幕を掲げて、SNSであなたのことを告発する長文を投稿してやるんだから!」
こんな脅しをすれば、私を面倒な女だと思うだろうと踏んでいた。ところが、時臣はかすかに口角を上げた。
「いいじゃないか。君のパフォーマンス、楽しみにしているよ」
彼の反応に、私はぞっとした。なんて一筋縄ではいかない男なのだろう。
テラスで、私はさらに要求をエスカレートさせることにした。厳しい条件を次々と突きつける。
「これからは私のLINEには二分以内に返信して。電話は三コール以内で出ること。一時間ごとに行動を報告して……」
「もちろんいいとも」
神代時臣はためらうことなく頷いた。
「君のためなら、当然のことだ」
ポケットの中の物語守りのお守りが、弱々しく光る。
『梨花様、何だか様子がおかしいような……』
私も感じていた。
私が何をしても、時臣は怒りもしなければ、自分から別れを切り出す気配もない。
彼はまるで柔らかい壁のようだ。私がぶつかればぶつかるほど、彼はそれを包み込んでしまう。
これは普通じゃない。
ライトノベルの世界では、俺様社長といえば高慢で自信家、そして怒りっぽいものではなかったか? なぜ神代時臣は私の想像と全く違うのだろう?
まさか……。
ふと、ある可能性が頭をよぎり、背筋が凍るのを感じた。
まさか、彼は私が演技をしていると、とっくに気づいているのでは。
まさか、彼は私が想像する以上に、この世界のルールを理解しているのでは。
私は遠くにいる神代時臣に目を向けた。彼は桜の木の下に立ち、月光がその優雅な輪郭を縁取っている。
彼がこちらを振り向き、私の視線と交わった。そして、微笑む。その笑みは、優しさの中に、私の読み解けない深い意味を含んでいた。
物語守りのお守りが再びまたたく。
『梨花様、ご縁の値が上昇しています……』
なに? ありえない! 私は別れようとしているのに、どうして縁の値が上がるの?
