第2章
刃が皮膚を切り裂いた瞬間、鋭い痛みが走り、手首から温かい液体が伝い落ちてきた。目を開けると、鮮やかな赤い滴が、まるでペンキを散らしたようにカーペットに落ちていくのが見えた。
その痛みは、不思議と頭をすっきりさせた。映画みたいに致命傷じゃない、浅いけれど、はっきりと見える傷。出血は多くない。でも、これが冗談じゃないと証明するには十分だった。
ナイトスタンドの引き出しからティッシュを取り出し、傷口に押し当てる。血はすぐに止まった。手首にくっきりとついた赤い裂け目を見つめていると、ふと、ある考えが頭をよぎった。
『どうせ演技だと思われるなら、本物を見せてやろう』
スマホを手に取り、カメラを起動する。薄暗い部屋の中、画面だけがぼんやりと光を放ち、すべてを影の中に落としていた。傷と血がはっきり映るように角度を調整する。
カシャッ。
写真は鮮明に撮れていた。血も、傷も、青白い私の肌も.......なにもかもが、あまりにリアルだった。その画像を見ていると、奇妙な満足感が込み上げてきた。
『これなら、もう嘘だなんて言えないでしょ？』
私は、両親と兄たち、そして由香里も入っている家族のグループチャット「花崎家」を開いた。普段は由香里の様々な功績を共有したり、家族での食事の予定を決めたりするだけ。私が何をしているかなんて、誰も気にも留めなかった。
深呼吸をして、私はその写真を送った。キャプションにはこう添えた。【私へ、ハッピーバースデー。自分へのプレゼント】
メッセージは送信済みになり、そして、あの忌々しい既読の文字が次々と表示された。
亮 既読。美和 既読。悟 既読。蒼井 既読。由香里 既読。
全員が見た。
私は画面を睨みつけ、彼らの反応を待った。今度こそ、ことの重大さに気づいてくれるかもしれない。亮が慌てて二階に駆け上がってきたり、美和が泣きながら私を抱きしめて、ごめんね、私たちが間違っていた、と言ってくれたりするかもしれない。
スマホが震えた。
亮 【メイク上手いじゃん、リアルだな😏】
美和 【なんで由香里の大事な日を台無しにするの？本当に気分悪いnu】
悟 【注目されるためなら何でもするんだな】
一つ一つのメッセージが、殴られたかのように痛かった。彼らはまだ、私を信じていない。
由香里からボイスメッセージが届いた。再生すると、吐き気のするような甘ったるい声が流れてきた。
「姉さん、また演技してる。この前もいじめられてるって嘘ついて、防犯カメラには姉さんが自分で壁にぶつかって、無実のクラスメイトを陥れようとしてるのが映ってたんだから。今度は同情を引くためにこんな手を使うなんて、血のりまでリアルにしちゃって。姉さんは本当にクリエイティブだね――将来ハリウッドで特殊メイクアップアーティストにでもなれるんじゃない？」
チャットには、笑いを示す絵文字がずらりと並んだ。
【😂😂😂】
【😂😂😂】
【😂😂😂】
【😂😂😂】
彼らは笑っていた。私の血を、痛みを、絶望を、笑っていた。
蒼井が送ってきた最後のメッセージが、最も残酷な一撃だった。【本気で死にたいなら、他所で死んで。ここで見せ物にして、こっちの気分を悪くさせないでくれる？】
『これが偽物の血？ 私が演技してる？ 私が、彼らの気分を害してる？』
携帯を握る手がひどく震えて、まともに持つこともできない。
私は手首の傷を見下ろした。まだズキズキと痛む――本物の痛み、本物の血。なのに、彼らの目には、すべてが偽物で、注目を浴びるために私がでっち上げた嘘にしか映らない。
いじめの件でさえ、由香里の話では私が悪意を持ってクラスメイトを陥れたことになっている。本当は彼女が他の女子に指示して私を孤立させ、トイレの個室で一人で昼食を食べるように仕向けたのに。いつの間にか、私が壁にぶつかって彼女たちを陥れようとしたことになっていた。
私はチャットの履歴を開き、彼らの残酷なメッセージを一つ一つ削除していく。削除するたびに、心が冷えていく。チャット画面がようやく空っぽになったとき、私の中も完全に空っぽになっていた。
『この家族に、私の居場所なんてない。最初から、なかったんだ』
立ち上がって鏡の前に立つ。そこに映っていたのは、青白い顔と虚ろな目をした、まるで既に死んでいるかのような少女だった。クローゼットを開け、一番綺麗だと思う白いワンピースを取り出す。去年、自分の誕生日にこっそり買ったけれど、一度も着る勇気がなかった服。
今日は特別な日だ。一番美しい格好をするに値する。
ワンピースに着替え、化粧台の前に座ってメイクを施す。ファンデーション、口紅、アイシャドウ――一つ一つの工程を、時間をかけて丁寧に行った。映画のワンシーンのように、自分を美しくしたかった。
『だっておとぎ話のお姫様は、いつも一番美しい姿でこの世を去って、自分を傷つけた人たちに一生後悔させるものだから』
鏡の中の完璧な自分を見つめる。こんな私を見たら、彼らも後悔するだろうか。もっと大切にすればよかったと、そう願うだろうか。
一枚の紙を取り出し、最後の言葉を書き記した。『後悔しても、もう遅いから』
子供の頃、先生に教わった通りの、丁寧な字だった。そのメモを枕の上に置き、部屋の鍵を掴んだ。
今度こそ、彼らに私を嘲笑う機会は与えない。
抜き足差し足で部屋を出る。階下ではまだパーティーが続いている。彼らは由香里の未来に乾杯し、私が自分の終焉を準備していることなど露ほども知らない。
誰にも気づかれたくなくて、一歩一歩、静かに階段を忍び下りる。この階段を歩くのも、かつては自分のものでもあると思っていたこの空間を通り抜けるのも、これが最後だ。
最上階にたどり着き、屋上へ続くドアを押し開けた。
夜風が顔を打ち、十月の冷気を運んでくる。息を深く吸い込む。街の灯りが、闇の中に散らばってきらめいていた。
『これが、私が見る最後の夜景になるんだ』
だが、完全に外へ足を踏み出した瞬間、私は凍りついた。
屋上には、すでに先客がいた。
夜の帳が降りたビルの縁に、一人の男が立っていた。その立ち姿は、舞台役者のように優雅で、それでいて底知れぬ落ち着きを湛えている。まるで、手の届かない高価な美術品でも鑑賞しているかのように、彼は静かに夜景を見下ろしていた。彼の少し後ろには、月光を浴びて鈍く輝く銀色のマセラティが停められている。その流線型の車体は、一目でその価値を物語っていた。
私が息を潜めていることに気づいたのか、あるいは、ただ気まぐれに、男はゆっくりと首をこちらに向けた。
