第2章 人の肩を持つ

平山亜美の視点:

私はその場に固まったまま、震えが止まらなかった。

坂井陽は私に気づくと、桜井有紗が肩に置いていた手をさっと払いのけ、慌てて弁解する。

「亜美、誤解しないで。有紗が朝練したいって言うから、一緒に連れてきただけなんだ」

私が口を開くより早く、有紗が小さく舌打ちを二度した。

「陽、ほんと同情する。こんな骨ばっかの女さ、抱くたびゴツゴツ当たって痛いでしょ」

周りの女子が、くすくすと意地悪く笑い出す。

悔しさで全身が小刻みに震え、唇をきつく噛んだ。頬が一気に熱くなる。

有紗は笑顔のまま近づいてきた。けれど目だけが冷たく、底が見えない。

「その板みたいな体で、チアダンスチームにいて恥ずかしくないの? あ、そうだ。隣のマスコット・パフォーマンスチーム、人手足りないんだって。着ぐるみなら分厚いし、貧乳バレないよ。あんた向き」

笑い声がさらに大きくなる。

マスコット・パフォーマンスチーム――着ぐるみを着てグラウンド脇でぴょんぴょん跳ねる、顔すら出せないあれだ。

要するに、私を貶めたいだけ。

「……もうやめろ」

陽が私の冷えた手を握り、前へ引いた。

それでも有紗は背中に向かって、執拗に叫ぶ。

「陽、触り飽きたら戻ってきなよ! 私のほうが手触りいいから!」

少し離れたところで、陽がふうっと息を吐いた。

「亜美、有紗ってああいう言い方するんだよ。気にすんなって」

信じられなくて、私は彼を見上げた。

「陽、あんなふうに侮辱されて、気にするなって言うの?」

陽は苛立ったように頭を掻く。

「悪気じゃないって。ただの冗談だろ」

「冗談?」

怒りで声が震える。

「私の目の前であなたを誘ってた。聞こえてないとでも思った?」

「それも冗談の一言だろ!」

陽の声が荒くなる。

「亜美、もっと器が大きいと思ってた。こんなに小さいなんてさ」

「私が小さい?」

私は声を張り上げた。

「有紗はずっとチアダンス部のキャプテンの座を狙ってる。全部わざとだよ!」

「彼女はそういう性格だ。そんな相手に目くじらを立てていては、君の格を下げるだけだと思わないか?」

目の前で、彼氏が別の女をかばう。胸の奥が、ひやりと冷えていく。

「……もういい。帰って」

私は冷たく言い捨てた。

「待てって」

陽が背後から抱きしめ、顎を私の髪にこすりつける。

「約束する。これから有紗とは距離置く。な?」

私は振り返る。目の奥が熱い。

「……本当に?」

陽が頬にキスを落とし、甘い声で言った。

「本当。誰かが君をいじめたら、俺が必ず味方する」

私は何も言えなかった。許したふりはできても、痛みが消えるわけじゃない。

陽はもうしばらく宥めてから言う。

「じゃあ昼、迎えに行って一緒に飯食おう」

私は小さく頷き、私たちはそれぞれ教室へ戻った。

昼になっても、陽は来なかった。

もう慣れてしまった私は、一人で食堂へ向かう。

食べ終えると階段口へ行き、適当に空いている段へ腰を下ろした。床の一点をぼんやり見つめる。

朝の出来事を思い返すたび、胸が詰まった。

有紗と折り合いが悪いのは今に始まったことじゃない。普段なら、何を言われても気にしない。

でも――陽の前で笑われた。それだけが、どうしても許せない。

私がこんなに怒るのは、結局、陽の目が気になるからだ。

だって私は、彼を愛している。

初めて陽に会った日のことを思い出す。

彼は自転車で校内を飛ばしていて、トレーニングルームから出たばかりの私にぶつかった。

真っ白なジャージ姿。陽射しを受けて、まるで金の縁取りみたいに眩しかった。

陽は何も言わず私を抱き上げ、保健室へ走った。逆光の中、うなじに滲む汗がきらっと光って、心臓がうるさいくらい跳ねた。

それから彼は、よくトレーニングルームの入口で待ってくれた。毎回、私の好きなお菓子を手にして。

私たちは自然に付き合い始め、校内では「理想のカップル」なんて言われた。

初恋だった。初めてのキスは、校庭裏の誰もいない隅っこ。

月を見上げながら唇の熱を感じて、胸が破裂しそうだった。

私は彼を愛している。じゃなきゃ、あんなふうに心臓が跳ねるわけがない。

――これは恋だよね。

「……あの、すみません。少し、いいですか」

澄んだ男の声が、思考を断ち切った。

顔を上げると、デニムジャケットの少年が立っていた。背中にはギターケース。

知っている。中村啓人。公開練習のたびスタンドに座り、カメラで写真を撮って、何枚かを綺麗に直してチア部のグループメールに送ってくれる子だ。

「大丈夫?」

迷いながらも、私の隣の段へ腰を下ろす。

「大丈夫」

私は顔を背けた。声がしゃがれて、ひどい。

啓人は数秒黙ったあと、デニムジャケットのポケットからトランプを取り出した。

私は横目で見る。

彼は箱からカードを抜き、シャッ、シャッと手際よく切る。そして裏向きのまま差し出してきた。

「1枚引いて」

「なにそれ」

「いいから。引いて」

鼻をすすり、適当に1枚取る。ハートの7。

私は手のひらで伏せたまま、彼の次の動きを待った。

啓人は残りのカードをまとめ、もう一度切る。それから山の一番上をめくった。

――同じ、ハートの7。

驚いた私に、啓人は人差し指を左右に振る。

「違うよ。これはね」

そのカードをふわっと空中に放り、落ちてくる瞬間に指で挟み取って、私へ差し出した。

穏やかな笑顔。

「こっちが君のカード」

受け取った瞬間、息が止まる。

いつの間にか、黒いマーカーで歪んだ笑顔が描かれていた。間抜けで、思わず笑ってしまいそうなくらい。

「ほら。君のカードが『笑え』って言ってる」

小さな声。

その笑顔を二秒見つめた途端、胸がじんとした。

私は泣き笑いで、啓人の肩をぱしんと叩く。

「なにそれ、下手くそなマジック」

「下手くそなマジックは、下手くそな気分に効くんだよ」

叩かれた肩をさすりながら、わざと痛がって笑う。

「効けばいいだろ」

……その通りだった。少しだけ、呼吸ができた。

ぽつりぽつりと話しているうちに、彼が私のファンだと知って驚く。

「今日はありがとう」

心から言うと、啓人は照れたように頭を掻いた。

「どういたしまして。助けになれたなら……俺のほうが嬉しい」

胸の奥が、ふわっと温かくなる。

私を気にかけてくれる人は、陽だけじゃない。

そのとき、冷たい声が二人の間に落ちた。

「亜美。ここで何をしている」

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