第3章 ゲーム開始
エヴァの唇が、氷のような冷たい笑みを浮かべた。テーブルの上のグラスを取り、テレビの向こうのセバスチャンへ、遠くから軽く掲げる。
ゲーム開始。
アイヴィーが欲しがるものは、全部――この手で奪う。
翌日、エヴァは『The Estate』の制作会社へ向かった。契約書に自分の名前があることを、この目で確かめるために。
このリアリティショーの枠は、今度こそ絶対に渡さない。
契約書の控えを手にした瞬間、ようやく「掴めた」と思った。そのとき――廊下の奥に、見たくもない顔が並んでいるのが見えた。
ジュリアン。コール。そして――胸糞の悪い妹、アイヴィー。
なんてタイミング。
「お姉ちゃん!」
先に気づいたアイヴィーが、ぱっと無垢な笑顔を作る。
「お姉ちゃんも契約に来たの? ジュリアンお兄様が、私にも枠を取ってくれたの。一緒に出られるね!」
親しげに腕へ絡みつこうとしてくる。エヴァは嫌悪を隠しもせず、一歩退いてその手を避けた。
「へえ」
エヴァはジュリアンを見る。口元に嘲りを乗せて。
「ずいぶんご苦労さま、ジュリアン。あれだけ必死に私を追い出して、てっきり枠なんて取れないのかと思ってた。ちゃんと成功したのね」
ジュリアンの顔がみるみる青くなる。
「エヴァ、口を慎め! おまえはもうウィットロック家の人間じゃない!」
エヴァは鼻で笑い、視線をジュリアン、コール、アイヴィーのあいだでゆっくり往復させた。
「正直言って、昔あんたたちみたいな連中と家族ごっこしてた気分って――蝿を飲み込んだみたいだったの。しかも糞まみれのやつをね」
コールの顔から血の気が引いた。罪悪感に満ちた目でエヴァを見つめ、唇を動かす。だが、声にはならない。
この気持ち悪い顔をこれ以上見ていたくなくて、エヴァは背を向けた。
ビルを出る前に、外の異様な人だかりに気づく。
パパラッチ。ファン。
見慣れた地獄の光景だ。
リアムのファンはかつて彼女を取り囲み、無名女優のくせに推しに寄生して話題づくりをするな、と罵った。
アイヴィーのファンも同じだ。成り代わりのクズ女、スラムへ帰れ――石を投げるみたいな言葉を浴びせてきた。
エヴァは迷わず踵を返し、裏口へ回ってタクシーを拾った。
車が街の流れに溶けていく。後部座席にもたれたまま、過去が亡霊みたいにまとわりついた。
あのとき、リアムもジュリアンもその場にいた。
でも二人はただ冷たく傍観していた。エヴァが突き飛ばされ、罵倒され、顔にコーラをぶちまけられるのを。
その沈黙が、彼女の「罪」を裏づける。だから攻撃はさらに激しくなった。
なのに。
アイヴィーが見知らぬ男との曖昧な写真を撮られたとき、ジュリアンとエイドリアンはどうした?
ジュリアンは即座に記者会見を開き、あの写真を『舞台裏で怯えた妹を守る兄』と説明した。
エイドリアンに至っては、グループの力を使い、報道したすべてのマスコミに24時間以内の削除を命じた。
炎上寸前の危機は、綺麗な美談へすり替えられた。
それが差だ。
そして今、エヴァは改めて確信する。
あの吐き気のする家を出たのは、正しかった。
リアリティショーの放送決定は、すぐに公表された。
エヴァがSNSを開くと、コメント欄は肥溜め同然だった。何万人もの人間がアイヴィーを讃え、本物の姫だと持ち上げる。
一方、自分の名前の下には「消えろ」「ビッチ」「ブス」といった罵声が並び、中にはパパ活していた、なんて噂まででっち上げる者もいた。
エヴァは無表情のままスマホを閉じる。
こんな連中とネットで罵り合っても意味はない。このゲームには、このゲームのルールがある。
『The Estate』。
男女5人ずつ。大邸宅。21日間、金も人脈も肩書きも持ち込めない。
富という皮を剥いだとき、何が残るのか。
カメラは衝突を際限なく拡大する。相手の後ろ盾がどれだけ強いかなんて関係ない。求められるのは、どれだけ視聴率を爆発させられるか。
あの場所でしか、エヴァには踏み潰す機会がない。
唇の端が冷たく持ち上がる。
初回放送の日には、アイヴィーの顔を地に叩き落としてやる。
収録初日、エヴァは誰より先に撮影地へ到着した。豪奢な海沿いの別荘。
鮮やかな黄色のワンピース。明るいメイク。カメラへ向けて、思いきりの笑顔。
輝きと自信。かつて怯えていたエヴァの面影は、もうどこにもない。
カメラに愛されなければならない。視聴者に、新しい自分を見せつけるために。
やがて、ほかの出演者たちも次々と現れた。
最初に来たのは人気女優のアメリアと、投資家のダニエル。
アメリアはエヴァにとても親切で、エヴァが出ていた低予算ドラマまで覚えていた。エヴァは素直に礼を言う。
けれど、歌手のティファニーは違った。
エヴァを上から下まで眺め、軽蔑を隠さず笑う。
「あなたがウィットロック家に見つかった娘って子? へえ……見た感じ、大したことないじゃない。アイヴィーのほうがまだマシね」
来た。
こういう手合いは知っている。自分を踏み台にして話題を作りたいのだ。リアリティショーには、だいたいこういう役回りが一人はいる。
エヴァはにこりと笑った。
「ティファニー、だったわね。先月ちょっと話題になってたでしょう。仕事欲しさに監督のオフィスでフェラしたとか噂されてたけど――もちろん、ただのデマよね?」
「……はぁ!? 何わけわかんないこと――!」
ティファニーの顔が一瞬で白くなり、エヴァを睨みつける。
そのとき、入口のほうが騒がしくなった。
コールとアイヴィーが腕を組んで入ってくる。勝者みたいにコールの腕へ絡むアイヴィー。
そして、その後ろに。
エヴァの胃をかき回す男がいた。
リアム。
一目見て理解した。これもアイヴィーの差し金だ。
何をする気?
リアムを使って揺さぶるつもり?
幼稚すぎて笑える。
愛してもいない男に、未練なんて一欠片もない。
コールがエヴァに気づく。顔に罪悪感が走る。迷った末、彼は彼女のほうへ歩いてきた。
「エヴァ」
低い声だった。
「ジュリアンに謝りさえすれば、いつでも家に戻れる」
「家に?」
エヴァは冷え切った目で彼を見上げる。
「コール、忘れたの? 18年前、あの忌々しい遊園地で、ドーナツをもう1個食べたいってだけで私を失くしたのは、あんたよ。そんなあんたが、今さら家に戻れって? 笑わせないで。あんたにそんな資格ある?」
コールの顔から血の気が引いた。罪悪感と痛みが入り混じり、たまらず一歩後ずさる。もう何も言えない。
空気が最悪のかたちで凍りついた、そのとき。
エヴァの兄、ジュリアンがやってきた。
相変わらず尊大で、腕を組み、皆を見渡してから最後にエヴァへ冷たい視線を落として鼻で嗤う。
その背後には、長身でクールな美貌を持つモデルがいた。
ナディア。最近ランウェイで注目を浴びている新星。口数は少ないが、目つきは抜け目ない。
十人の出演者のうち、これで九人が揃った。
残るは最後の、謎の男性ゲストひとり。
正体を探るざわめきが広がった、その瞬間――
遠くから、低く荒々しいエンジン音が近づいてきた。
黒いケーニグセグが、美しいドリフトを決めて門の前に滑り込む。バンッと跳ね上がるドア。降り立つ男。
息を奪うような美貌。
その場にいた全員が目を見張った。アイヴィーが息を呑む音さえ、エヴァにははっきり聞こえた。
