第3章

「退屈だ」

 弥介は企画書をガラスの会議テーブルに放り投げた。

「何ですって?」私はペンを握りしめた。指の関節が白く浮き出るほどに。

「聞こえただろう、彩羽」彼は革張りの背もたれに体を預け、片手をだらりと乗せる。まるで不労所得の玉座に座る王だ。

「この『ミッドナイト・ブルーム』というコンセプト、ニッチすぎる。芸術的すぎるんだ。ここには……商業的な実現可能性が欠けている」

「大衆市場に向けた『魂』がない、と言いたいわけね」私は言い返す。

「ルミエールは、ショッピングモールの十代に向けたありふれた花の香水じゃないわ。これは物語なの。この香水が捉えているのは、都会の孤独の香りよ」

「都会の孤独じゃ家賃は払えない」弥介は気だるげに言った。その暗い瞳が私の視線を捕らえる。冷淡で、挑発的だ。

「人々が求めているのは、渇望されることだ。孤立することじゃない。この提案書はただのナルシシズムだ。修正しろ。さもなくば——却下だ」

 会議室全体の空気が張り詰めた。チームの誰もが私を見つめている。顔には怯えが張り付いていた。彼らは彼が何者かを知っている——新たな資本家、買収者、捕食者。だが私にとっての彼は、かつてお下がりの制服を着た私を嘲笑った、あの少年でしかなかった。

「却下なんてさせない」私は立ち上がった。

「それに、『金の匂い』を人格的魅力だと勘違いしているような人から、マーケティングの講義を受ける覚えはないわ」

「言葉には気をつけろ、栗山さん」弥介の声が低くなる。シルクのように滑らかで、それでいて危険な響き。

「今日の俺は、幼い頃のお前の遊び相手じゃない。給与明細にサインをする人間だ」

「ならサインだけしてればいい」私は言い放つ。

「そして、本当に才能のある人間を仕事に戻らせて」

 彼がゆっくりと立ち上がった。テーブル越しに覆いかぶさるような威圧感。

「規律のない才能など無意味だ」彼はテーブルを回り込み、私の方へ歩み寄ってくる。

「それにお前は、彩羽、いつだって感情的すぎる。自分のためにならないぞ」

「私は——」

 物理的な衝撃のような吐き気が、私を襲った。

 彼のコロンの香り——シダーウッドとレザー——が、会議室に残った古びたコーヒーの匂いと混ざり合い、胃が激しく痙攣する。

 視界が回り始めた。

「彩羽?」白木が隣で小声で呼んだ。

 私は口元を押さえた。目から涙が滲む。声が出ない。息もできない。

「失礼」やっとの思いで言葉を絞り出した。

 私はきびすを返して走り出した。

 洗面所に駆け込むなり、空っぽの胃が激しく収縮し、中身をひっくり返そうと暴れる。洗面台にしがみつき、喉が焼けるように痛むまで空嘔吐を繰り返した。

 落ち着け、彩羽。

 氷のように冷たい水を顔に叩きつける。鏡の中の私は、まるで幽霊のように青白かった。

 妊娠。

 その言葉が、タイル張りの空間を漂う。妊娠。しかも、たった今衆人環視の中で私を辱めた、あの男の子を。

 深く息を吸い込む。ジャケットの襟を正し、冷静沈着という名の仮面を顔に貼り直す。

 彼に弱みは見せない。絶対に。

 ドアを押して出る。

 その場で凍りついた。

 向かいの壁に弥介がもたれかかっていた。腕を組み、洗面所のドアをじっと凝視している。笑みは消え、口元は堅く結ばれていた。

「具合が悪いんだな」

 疑問形ではなかった。

「平気よ」私は嘘をつき、彼の横を通り抜けようとする。

「魚が新鮮じゃなかっただけ」

 彼の動きは予想以上に速かった。瞬時に私の行く手を塞ぐ。

「お前は魚を食べない」彼は低い声で言った。

「あの食感が嫌いだと、昔から言ってただろう」

 胸の奥で心臓が早鐘を打つ。彼は私を知りすぎている。私の些細な癖も、欠点もすべて。

「人は変わるものよ、弥介」

「お前は変わらない」彼はさらに一歩踏み出し、私の青ざめた顔を一瞥した。

 何も考えず、とっさに手が下腹部へと伸びた。本能的な防御反応だった。

 彼の目が細められる。鋭く、計算高い眼差し。

「何を隠している、彩羽?」

「何も隠してなんかない!」後ずさり、背中が壁にぶつかる。

「どいて」

「さっき倒れそうだったじゃないか」彼はさらに詰め寄る。その声は低く、ざらついている。

「病気なら会社に来るべきじゃない。帰れ」

「あなたの命令なんて聞かない」

「俺は助けようとしてるんだぞ!」

「あなたの助けなんていらない!」私は叫んだ。自制心は完全に決壊していた。

「ただ私に関わらないで!」

「どうかしましたか?」

 温和で穏やかな声が、対峙を断ち切った。

 私たちは同時に振り返る。

 廊下の向こうから、藤澤和臣が歩いてくるところだった。その顔には柔らかな笑みが浮かんでいる。

「和臣」小声でその名を呼ぶ。救われたような安堵感が全身を包んだ。

 彼は私たちの間に入った。生きた防壁のように。弥介には目もくれず、視線は私だけに注がれている。

「彩羽、顔色が悪いよ」和臣は優しく言い、私の肘に手を添えて体を支えてくれた。

「大丈夫かい? 水でも飲む?」

 あまりにも鮮烈な対比だった。弥介は炎と氷、威圧的で鋭利な刃。対して和臣は温かな大地、安全で揺るぎない存在。

「私……ちょっと気分が優れなくて」私はどうにか答え、彼の支えに体を預ける。

「和臣、今日の会議はごめんなさい……」

「会議のことなんていい」和臣は優しく遮り、私の袖の上を親指で軽く撫でた。安心させるように。

「君の体が一番大事だ。まずはオフィスまで送るよ。少し座ったほうがいい」

 頬に焼きつくような視線を感じた。

 顔を上げる。

 弥介は、私の腕に添えられた和臣の手を凝視していた。その瞳は墨のように黒く、残酷なほどに冷たい。

 視線で人が殺せるなら、和臣は今頃この廊下で灰になっていただろう。

「彼女は大丈夫だ」弥介が口を開く。コンクリートの上で砂利を擦り合わせたような声。

「今、帰るところだからな」

 和臣はようやく彼を見た。怯むことなく、礼儀正しく、淡々と微笑む。

「西宮さん」和臣は軽く会釈した。

「彩羽に必要なものは、彩羽自身が決めることだと信じていますよ。行こう、彩羽」

 彼は私を促して歩き出す。

 だが今、私の心臓を早鐘のように打たせているのは別の感情——恐怖だった。

 私は思わず振り返った。

 弥介は冷え切った廊下に微動だにせず立ち尽くし、私たちを見ていた。見捨てられたようにも、激怒しているようにも見えた。

 彼の横を通り過ぎる。引き止められることはなかった。だが、ようやく安全圏に逃げ込めたと思ったその瞬間、彼の声が耳元を掠めた。低く、親密すぎるほどの距離感。それは脅しではなく、一種の誓いのように響いた。

「俺たちの話はまだ終わってないぞ、彩羽」

 震えが止まらない。

 彼はさらに身を寄せ、その吐息がうなじを撫でる。総毛立つような感覚。

「それから」彼は私の耳元で囁いた。

「藤澤には近づくな」

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