第3章

アパートの窓辺に立ち、病院で処方された薬を手に握っていた。

数種類の脳腫瘍の治療薬が、陽の光を浴びて冷たい光沢を放っている。医師は、これらの薬が病状の悪化を遅らせると言ったが、副作用は大きいとも告げていた。

私はそっと膨らみ始めたお腹に触れ、その小さな命の存在を感じる。

「ごめんね、こんなリスクは冒せない」

そう呟くと、薬の大部分をゴミ袋に流し込み、痛み止めだけを一箱残した。

『これらの薬は、胎児に予測不可能な影響を及ぼす可能性があります』

医師の言葉が、脳内で響き渡る。

自分が賭けをしていることはわかっていた。残り少ない自分の命と引き換えに、お腹の子の健康を手に入れようとしているのだ。

でも、これが私があの子にあげられる唯一のプレゼントだった——五体満足でこの世に生まれてくるチャンス。

突然、ドアのチャイムが鳴り響き、私はびくりと肩を震わせた。この時間帯に訪問者なんて、ありえない。

慌ててゴミ袋を隠し、服の乱れを整えてから玄関へ向かった。

ドアの外に立っていたのは、藤原圭志だった。

彼の姿に私は驚きを隠せない。あの暴力事件の夜以来、彼がこのアパートに足を踏み入れるのは一ヶ月以上ぶりだったからだ。

「圭志君?」

探るように問いかけながら、本能的に腕でお腹の前を隠す。

藤原圭志は意外なほど焦燥した表情を浮かべていたが、私を見ると、不思議と眉が緩んだ。

「澪、家にいてくれてよかった」

「何か用?」

緊張しながら尋ねると、心臓が速く脈打つ。私の秘密がバレるのではないかと恐ろしかった。

「ただ、君の様子を見に」

彼の口調は普段の彼らしからぬほど穏やかで、それがかえって私の警戒心を煽った。

私は不自然にお腹を庇いながら、彼を招き入れるために一歩下がる。藤原圭志の鋭い視線が私の異変を捉え、彼は眉をひそめた。

「具合でも悪いのか?」

「なんでもない。ちょっと胃が痛いだけ」無理に笑みを作る。

「顔色が悪いぞ」

彼は一歩近づき、その眼差しには読み取れない感情がよぎる。

「病院で診てもらうか?」

「大丈夫。最近、仕事が忙しかっただけだから」

彼に病院へ連れて行かれる口実を与えたくなくて、私は急いで答えた。

それからの日々は、私を困惑させた。藤原圭志は頻繁に訪ねてくるようになり、わざわざ家政婦を手配して栄養豊富な食事まで用意させた。彼が来るたびに私の体調を尋ね、その視線は時折、私が用心深く隠しているお腹へと落ちる。

この突然の気遣いは、まるで終わりかけの美しい夢のように、現実味を感じさせなかった。

彼が優しさを見せるたび、私はその裏にある動機を疑ってしまう。

ある日の夕食時、私は感情を高ぶらせながら、胸中の疑問を口にした。

「圭志君、どうして急にそんなに優しくしてくれるの?」

彼の表情は一瞬で冷たくなったが、すぐにまたあの不自然な穏やかさに戻った。

「君の健康を、もっと気遣うべきだと思っただけだ」

彼に魚の切り身を取り分けてあげると、私が背を向けた隙に、彼がそっとその魚を皿の脇へ避けるのが見えた。その瞬間、彼の言う「気遣い」が、ただの表面的なものなのだと理解した。

一週間後、藤原圭志は私を東都大学病院に連れて行き、精密検査を受けさせると言い張った。

「行きたくない」

私は拒絶した。医師に妊娠と、薬を止めている事実を知られるのが怖かった。

「駄目だ、行ってもらう」

彼の口調は急に冷たくなり、その瞳には拒絶を許さない断固たる意志が宿っていた。

「これは相談じゃない」

病院で、私は受付の科が腎臓内科であることに驚いた。

「圭志君、どうしてこの科なの?」

訳が分からず尋ねる。

「余計なことは聞くな」

彼は苛立ったように答え、一切の説明を拒んだ。

検査の間、医師は私に様々な複雑なテストを施したが、その態度はプロフェッショナルでありながらどこか冷淡だった。検査が終わり、結果を期待する私に、医師はただ淡々と言った。

「詳しいことは、藤原様にお尋ねください」

診察室を出ると、私は言いようのない不安に襲われた。トイレを探す途中、私はふと静かな廊下へと迷い込んでしまう。そこで、藤原圭志と彼のアシスタントの話し声が聞こえた。

「神崎澪様と神崎凛様の適合結果ですが、極めて高い適合率であることが確認できました。腎臓提供が可能です」

アシスタントの声が、はっきりと私の耳に届いた。

その瞬間、すべてを理解し、心は絶望と冷たさで満たされた。

藤原圭志の突然の優しさも、栄養豊富な食事も、頻繁な訪問も——すべては、私の姉、神崎凛のためだったのだ。

彼らは、私の腎臓を必要としていた。

恐怖と絶望が、潮のように私を飲み込んでいく。

私の手は、無意識にお腹を庇っていた。

駄目、こんなこと……!

喉から微かな嗚咽が漏れ、それが藤原圭志の注意を引いた。彼は振り返り、廊下の角に立つ私を見ると、その眼差しが途端に鋭くなった。

「捕まえろ。逃がすな」

彼は冷酷に命じた。

私は踵を返して走り出す。心にあるのは、ただ一つの想いだけ。

何としても、この子を守らなければ。どんな代償を払ってでも。

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