第2章

佑梨の視点

翌朝、私は杉本グループの下にある喫茶店で、窓際の席に座っていた。

これは偶然ではない。

俊介の習慣は変わっていなかった。朝八時、ブラックコーヒー、砂糖もミルクもなし。時計のように正確だ。

時刻は七時五十五分。私は黒いVネックのドレスを着ている。派手すぎることはないけれど、人の目には留まるくらいのものだ。

八時きっかり。

ドアが開く。

私の家賃より高そうなスーツを着こなし、髪を完璧にセットした彼が入ってくる。私に気づいた瞬間、彼の足取りが乱れた。

「俊介さん!」とびきりの笑顔を向ける。「奇遇ですね」

彼の表情が翳る。それでもこちらへ歩み寄ってきた。「佑梨」

「まだブラックを飲んでるの?」答えは知っている。

「ああ」彼は私を値踏みするように見ている。「ここで何をしている?」

「近くでクライアントと会う約束があるの」嘘がすらすらと口から出た。「俊介さん、このビルで働いてるの?」

「杉本グループの本社だ」

「まあ、すごいですね。では、これからよく会うことになるかもしれませんね」

彼の喉がごくりと動く。「そうかもな」

彼はコーヒーを手に取ると店を出て行った。

けれど、一度だけこちらを振り返ったのを、私は見逃さなかった。

一瞬。でも、十分だ。

それからの一週間、私は彼が行く先々で「偶然」鉢合わせるようにした。

彼が通うジム。私も会員になった。

彼が昼食を食べる店。そこの定食が急に食べたくなったのだ。

彼の行きつけのクリーニング店。なんて偶然、私も出す服があった。

私を見つけるたびに、彼の表情が無関心から諦めに近いものへと変わっていくのを観察した。

金曜日の夜、ドアに招待状が届いた。

差出人は、杉本大和。

杉本俊介の帰国歓迎パーティだ。

罠だとわかっている。でも、行くつもりだ。

俊介がいるから。

パーティ会場は杉本邸。手入れの行き届いた、庭園付きの広大な芝生の敷地にそびえる、由緒ある大豪邸だ。俊介も大和も、これまで一度も私をここへ招いたことはなかった。

今夜の私は、背中の開いた深紅のドレスをまとい、髪を緩くまとめている。

私が到着したときには、ホールはすでに人でごった返していた。年長者ばかりの堅苦しい親族の集まりを想像していたが、客層は若い世代や他家の人々がほとんどだった。音楽と笑い声が混じり合い、シャンパンタワーが照明の下で金色にきらめいている。

会場に足を踏み入れても、誰も私に気づかない。

彼らにとって、私はその他大勢の、記憶にも残らない他人なのだ。

シャンパンを一杯手に取り、隅の方へ下がる。邪魔にならない場所を探していると、背後から声がした。

「佑梨!」大和が新しい可愛い女の子を腕に絡ませ、人混みをかき分けてやってくる。「来てくれたんだな」

彼の笑顔は冷たかった。

女の子は、家畜を値踏みするような視線で私を上から下まで眺める。「この人が、大和が言ってた人?」

「そう。俺の元カノ、桜井佑梨」彼は「元」を強調した。

「大和から聞いたわ、アート関係のお仕事なんだって?」その口ぶりは、まるで私が無職だとでも言いたげだ。

「ギャラリーを経営しています」と訂正する。

「あら」彼女は、それで全て納得がいったというように微笑んだ。

そのとき、彼が目に入った。

俊介が部屋の向こうで人だかりに囲まれている。ウィスキーグラスを手に、まるで彼のためだけに仕立てられたかのように体にフィットしたネイビーのスーツを着て。今夜の主賓である彼と、誰もが話したがっていた。

視線が交わる。

彼の視線が私の顔から、あらわになった背中へと落ちる。二秒間、そこに留まった。

二秒は、長すぎる。

肌が粟立つには十分すぎる時間だ。

大和がそれに気づく。彼は笑い、連れの女性をぐっと引き寄せた。「ところで佑梨、こっちの萌ちゃんはプロのダンサーなんだ。すごく体が柔らかいんだぜ、わかるだろ?」彼は身を乗り出し、声を潜めた。「お前なんかより、ずっと男を満足させるのが上手いってことだよ」

私が言い返すより先に、低い声が背後から割り込んだ。「それくらいにしておけ、大和」

いつの間にか俊介が隣に立っていた。私に触れることはないが、その存在が、大和との間に壁を作ったように感じられた。

「どうしたんだい、俊介叔父さん?」大和の笑みには毒があった。「図星だったかな?」

俊介の顎が引き締まる。「口を慎め」

「それとも、まさか」大和がさらに近づき、私たち三人にしか聞こえない声で言った。「叔父さんはずっと前から佑梨のことが好きだったとか?」

空気が凍りついた。

俊介の手が固く握りしめられ、血管が浮き出ているのが見えた。しかし、彼は何も言わなかった。ただ背を向け、歩き去っていくだけ。

私は彼の後ろ姿を見送った。谁かに心臓を鷲掴みにされたように胸が苦しい。

パーティも半ばを過ぎた頃、私はシャンパンを飲みすぎていた。

本当に酔っているわけではない。けれど、言い訳ができる程度には酔っていた。

十時頃になると、客がぽつりぽつりと帰り始める。私は駐車場へ向かい、わざと俊介の車のそばを通り過ぎた。

「佑梨」

彼の声に、足が止まる。

振り返り、わざと少しよろけてみせる。

彼は素早く動き、私の腰に腕を回して支えた。

そして、香りがした。

彼のコロン。

四年経っても、彼は同じものを使っている。

「飲みすぎだ」彼は眉をひそめている。「家まで送る」

「大丈夫」そう言いながらも、私は彼の体温に浸るように身を寄せた。

一瞬、彼の体が硬直したが、やがてため息をつき、私を車へと導いた。

車内は、革張りのシートと彼のコロンが混じり合って贅沢な香りがした。

助手席に座り、彼を盗み見る。

彼の横顔はシャープな線で描かれ、視線はまっすぐ道に向けられている。四年前を思い出す。毎朝、学校まで送ってくれたこと。毎晩、ギャラリーまで迎えに来てくれたこと。

「まだ、あのコロンを使ってるんだね」

ハンドルを握る彼の手がぴくりと動いた。

「習慣だ」

「同じ」私の声はか細くなった。「あの香りに、慣れちゃったから」

彼は答えない。けれど、喉が動いたのが見えた。

「会いたかった」シャンパンが私を大胆にさせる。「四年間、一日も欠かさずに」

「佑梨……酔っているんだ」

「酔ってない」私は座席で体をずらし、彼と完全に向き合った。「俊介、あなたは私に会いたかった?」

沈黙。

長く、重い沈黙。

赤信号。

彼は車を停める。こちらを向く。

彼の瞳は暗く、底なしで、私を丸ごと飲み込んでしまいそうだった。

「そんなことを聞くな」

「どうして?」

「答えを聞いても、君は喜ばない」

私のアパートに着く。車から降りるときによろけて、彼の胸に倒れ込んだ。

俊介が私を受け止める。互いの顔が数センチの距離にある。

彼の息づかいが感じられる。

彼の瞳の中で葛藤が渦巻いているのが見えた。

「キスして」と、私は囁いた。

彼の視線が私の唇に落ちる。

三秒間、そこに留まった。

それから彼は目を閉じ、深く息を吸い込むと、ほとんど私を突き放すようにして体を支えた。

「中に入れ。鍵をかけろ」

私が何か言う前に、彼は車に戻り、走り去ってしまった。

私は彼のテールランプが夜の闇に消えていくのを見送る。

私の口元に笑みが浮かんだ。

彼は抵抗したくないのだ。

ただ、無理をしているだけ。

だから、もう抵抗できないようにしてあげる。

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