第3章
イヴリンの視点
リビングは、不気味なほど静まり返っていた。
ジェーンは、私が香水をローテーブルに置くのを見た瞬間、目元を赤くして言った。
「イヴリン……まだ、私たちのこと許してくれないの?」
泣き声まじりの声が続く。
「ごめんなさい、全部私が悪いの。あのとき、怖くて足が動かなかったから……お父さんとお母さん、あなたを探しに行く時間がなくなっちゃって。叩いても罵ってもいい。でもお願い、お母さんに冷たくしないで……ここ数日、あなたのことが心配で、ほとんど眠れてないの……」
父が勢いよく立ち上がり、私の鼻先を指さした。
「イヴリン! いつまで拗ねてるつもりだ? お前のせいで母さんは白髪が増えた。ジェーンだってずっと自分を責めてる。家の空気を最悪にして、気が済むのか!」
私は静かに父を見た。
「拗ねてなんかいない」
「いないだと?」父の声が跳ね上がる。「じゃあ、さっきの態度は何だ。養父母の家で十五年も暮らして、礼儀のひとつも身につかなかったのか。まったく——」
「そうね」
私は父の言葉を遮り、視線を香水の瓶へ落とした。
「だって私は、余計者だもの。礼儀なんて、身につけたところで意味があるの?」
父は言葉を詰まらせ、顔を真っ赤にした。
母が慌てて父の袖をつかむ。
「もういいわ、アーサー。いまは……一人にしてあげましょう……」
二人はジェーンを連れて出ていった。
扉が閉まったその瞬間、私は香水を箱ごと、ゴミ箱へ叩き込んだ。
私がスズランにアレルギーがあることを、誰も知らない。
それから数日で、すべてが変わった。
父も母も、気味が悪いほど優しくなった。朝食の席では何が食べたいか尋ね、出かける前には一緒に行くかと声をかける。母に至っては、新しい服を何着も買ってきた。
ジェーンの香水を捨てたことも、咎められなかった。
それと同時に、海で人を助けたという私の話は、どんどん大きくなっていった。
あの沈没の日、私は自力で岸へたどり着いただけじゃない。海の中で気を失っていた小さな女の子を引きずりながら、ほぼ五キロを泳いだ。誰かがその様子を撮影していて、動画はネット中に拡散されていた——「令嬢、命がけの救助」「氷の海の奇跡」「本物の英雄」。
テレビ局、雑誌社、芸能事務所。次々と連絡が来て、取材や契約を持ちかけてきた。
私は全部、断った。
けれど、そういう「チャンス」に目を輝かせる人間が、この家にはいる。
その日の夕食。父が珍しく、私を気遣う言葉を口にした。
「イヴリン、体調はもう良くなったか?」笑いながら料理を取り分けてくる。「もっと食べろ。ほら、痩せたじゃないか」
母は隣で視線を泳がせ、私を正面から見ようとしない。ジェーンは俯いたまま、ナプキンを指先でぐしゃぐしゃとねじっていた。
私はスペアリブを一口、ゆっくり噛む。
「イヴリン……」母が恐る恐る切り出した。「最近、あなたの件で取材の話がたくさん来てるでしょう……」
「全部断った」
私は箸を置いた。
「その……」母は一度言葉を飲み込む。「実はね、ジェーン、ずっとインフルエンサーになりたいって言ってたでしょう。SNSでもそれなりに人気があるし……今回、あなたの話がこんなにバズってるから、できれば……ジェーンに、この機会を——」
来た。
「動画だと顔もはっきり映ってない」父が乗ってくる。「それにお前は目立つのが好きじゃないだろう? ジェーンに代わりに受けさせればいい。取材も、広告も。姉妹なんだから、助けるのは当然だ」
当然。
私は二人を見て、笑いそうになった。
「いいよ」私は言った。「そのチャンス、ジェーンに譲ってあげる。でも、条件がある」
母の目がぱっと明るくなる。
「条件って?」
「ジェーンが私に土下座して、今までどれだけ私をいじめてきたか、全部認めること」
空気が一瞬で凍りついた。
ジェーンが信じられないものを見るように私を見た。
「頭おかしいのか!」父がテーブルを叩く。「何が目的だ! 妹を辱めたいのか!」
「辱める?」私は笑った。「ジェーンが私をガレージに一晩閉じ込めたとき、翌朝あなたたちは『うっかり』で済ませた。ジェーンの十六歳の誕生日、客の前で私のことを『スラム育ちの野良っ子』って言ったときも『冗談』で済ませた」
「それは——」
「何が違うの?」私は遮る。「私が建築デザインの金賞を取ったとき、ジェーンは客席で『審査員、金もらってるんじゃない?』って言ったよね。あなたたちは止めもしないで、逆に私に『気にしすぎ』って」
母に視線を向ける。声が、かすかに震えた。
「私の十八歳の誕生日。お母さんは会社が忙しくて行けないって言った。でもインスタで見た。ジェーンとスパに行ってる写真。エッフェル塔の前で自撮りして、キャプションには『母娘の時間って最高』」
「帰れば、家があると思ってた……」
涙が瞳の縁に滲む。
「私、あなたたちの本当の娘なのに。どうして偽物を選ぶの? どうして私のことは見てくれないの? 私の何がいけないの……?」
言い終える頃には、視界が滲んでいた。
もう傷つかないと思っていたのに、その瞬間だけは、胸の奥がぱきりと割れた。
両親は呆然と私を見つめていた。
「イヴリン、どうしてそんなこと言うの!」母が泣きながら叫ぶ。「私は二人とも同じくらい大事よ! 本当に用事があったの……たった一つ二つのことで、お母さんの愛を否定しないで……」
「もういい!」父が再びテーブルを叩く。「お前は細かすぎるんだ! ジェーンを見ろ、あの子はそんなふうにぐちぐち言わない。あんなに思いやりがあって、聞き分けがよくて……お前はどうだ。戻ってきて三年、ずっと死人みたいな顔で——」
私は父を見据えた。静かすぎる声で。
「そうだね。私はジェーンみたいに聞き分けがよくならなきゃ。海に捨てられたときも、笑って『平気』って言えってこと?」
「お前……!」父は怒りで震えた。
母は嗚咽混じりに言う。
「イヴリン、お母さんは本当にあなたを愛してる……あなたもジェーンも、お母さんの中では同じなの……お願い、そんな言い方しないで……」
涙をこらえながら、私はこの人たちを見た。命はくれた。でも、愛は一度もくれなかった人たち。
不思議なほど、軽かった。
胸の奥に残っていた最後の幻想が、その瞬間、さらさらと灰になって消えた。
「いいよ」私は淡々と言った。
父が目を見開いた。こんなにあっさり頷くとは思わなかったのだろう。
母が喜びに顔を上げる。
「本当に、いいの?」
「うん」私は二人の目を見て、言葉を刻むように言った。「この機会は譲る。……それどころか、二度とあなたたちの前に姿を見せなくてもいい」
私はリュックから一通の書類を抜き取り、「ぱん」とテーブルに投げた。
「その代わり、これに署名して」
父が眉をひそめて書類を手に取り、目を落とした瞬間、顔色がさっと青くなった——弁護士が作成した親子関係断絶協議書。
「その枠を、あなたたちの可愛い娘にあげたいなら」私は冷静に言った。「署名して。これで、私たちは完全に他人。お互い何の貸し借りもない」
