第2章
パーティーの入り口に立つ自分の姿が見えた。
玲華が選んだバックレスドレスを着ている。シャンパンシルクの生地で、背中のデザインはウエストのすぐ上まで深く切れ込んでいた。あの時は露出が多すぎると思ったけれど、玲華は「これが上流社会のスタンダードよ」と言った。
私は彼女を信じた。
あの頃は、まだ彼女を信じていた。
なんて愚かだったのだろう。
景色がより鮮明になっていく。豪華なクラブのクリスタルのシャンデリアが眩い光を放ち、ピラミッド型に積まれたシャンパンタワー、耳を叩くような音楽。あの時の緊張感が蘇り、心臓が胸を打ちつけていた。
誰もが私を見ていた。
見知らぬ顔、品定めするような目、ひそひそと交わされる会話。
「あの子が須藤家が見つけてきたっていう娘?」
「田舎で育ったんですって……」
「あらまあ、あの立ち姿、品がないこと……」
たくさんの人々……。
手が震えていた。指先を手のひらに食い込ませ、自分を落ち着かせようと必死だった。
知らない人ばかり……怖い……。
彼らの視線が不快だった――値踏みするような、好奇に満ちた、侮蔑的な視線。まるで新しく購入した家具を評価するように、私を査定している。
不意に、くぐもった声が聞こえた――パーティー会場からではない。今、この治療室の中からだ。
「どうしてこんなに緊張しているの? ただのパーティーじゃない……」
母の声。
笑ってしまいそうだった。ただのパーティー? あなたにとってはそうでしょうね。私にとっては、地獄への入り口だった。
黒瀬博士の氷のような声が響く。「深刻なストレス反応です。彼女は極度に怯えていた」
怯えていた? 違う、お母さん。ただの恐怖じゃなかった。
あれは本能だった。私の身体が警鐘を鳴らしていたのだ――逃げろ、今すぐ逃げろ、と。
でも、私は逃げなかった。
この家族に溶け込みたかったから。あなたの娘になりたかったから。
「お姉様!」
玲華が現れた。
真っ白なブランドドレスをまとい、完璧な笑みを浮かべている。彼女は私の手を掴んだ――強く、爪が手首に食い込むほどに。
「いらっしゃい、私の友人たちに紹介してあげるわ!」
私は彼女に引きずられるように、ドレスの裾に躓きそうになりながらついて行った。
テーブルの前で立ち止まる。スーツ姿の三人の若い男たちが集まっていて、その視線は軽薄だった。
「こちら、羅生院家の御曹司よ」玲華の声は病的なほど甘ったるい。「こちらは東雲家の後継者、そして黒木家の跡継ぎ……」
誠の目が私の上を這った。その視線は、恥も外聞もなく私の胸に注がれる。
彼らの視線が……獲物を見るような……。
後ずさりしようとしたが、玲華の手に押さえつけられた。爪がさらに深く食い込み、血が滲むのを感じた。
「お姉様、緊張しないで」彼女は私の耳元で囁く。その息が首筋にかかって熱い。「みんな上流社会のお友達よ。あなたも慣れないと」
治療室から父の声がした。「この男たちは何者だ!」
今さら聞くのね。でも、あの時、あなたはどこにいたの?
玲華がシャンパングラスを掲げる。「お姉様、初めてのパーティーでしょう。一緒に乾杯しましょう!」
「わ、私……あまりお酒は……」
玲華の笑顔がこわばり、その目は瞬時に冷たくなった。
「お姉様、みなさんがわざわざ注いでくださったのよ。断ったら失礼でしょう?」
三人の男たちがすぐに囃し立てた。「そうですよ、須藤さん、一杯だけ!」
「一杯だけ、しらけさせないでくださいよ!」
「俺たちが注いでやってるんだぜ!」
震えながら、私はグラスを受け取った。冷たい縁が手のひらに触れる。その黄金色の液体を見つめながら、内なる声が叫んでいた――
飲んではいけない。
しかし、誰もが私を見ていた。逃げ場はなかった。私は顔を上げ、一気にそれを飲み干した。
液体が喉を滑り落ちる。最初は普通のシャンパンの味だったが、後から妙な苦味が舌に残った。
何かがおかしい。味が、おかしい。
数分後、急に視界がぼやけ始めた。
天井が動いている。クリスタルのシャンデリアが無数の光の点になり、回転し、ねじれ、目の前で溶けていく。
治療室で、機械のけたたましいアラーム音が聞こえた。ピー、ピー、ピー、ピー――
「脳波に異常な変化が見られます」黒瀬博士の声は冷たい。「意識レベルの急激な低下。何らかの薬物による影響です。睡眠薬の一種です。意識を朦朧とさせる薬物が混入されています」
母の悲鳴。「なんですって!?」
再び玲華の顔が現れた。その唇は満足げに歪み、瞳は氷のように冷たかった。
「お姉様、顔色が悪いわ。上の階で休ませてあげる」
いや……やめて……。
でも、声が出なかった。舌が凍り付いてしまったかのようだった。
廊下が回転していた。
壁が波のようにうねる。赤い絨毯は血の川となり、天井の照明は長い光輪を引きずっていた。
足元がおぼつかず、完全に玲華に支えられていた。彼女の手は冷たく、爪が腰に食い込んでいた。
「着いたわ、お姉様」彼女はそう言って、私のためにドアを開けた。
広い部屋だった。ソファとベッドがある。カーテンは固く閉ざされ、薄暗い壁のランプだけが灯っていた。
カチリ。ドアに鍵がかかる音。
私はソファに置かれた。目の前で天井が回り、意識が明滅する。
「少し休んでいればいいわ」玲華の声が遠くから聞こえる。「心配しないで、お姉様」
それから、ドアが閉まる音がした。
暗闇の中、ドアの外から囁き声が聞こえた。玲華の声と、男たちの笑い声。低く、興奮したような笑い声だ。
いや……。
数分後、再びドアが開いた。三人の男が入ってきた。
先頭にいたのは誠だった。彼はネクタイを緩め、興奮を隠そうともしない目で言った。「玲華が言ってたぜ、今夜は何をしてもいいって……」
「いや……やめて……」
叫びたかったが、か細い呻き声しか出なかった。手で彼を押し返そうとしたが、綿のように力が入らなかった。
治療室で椅子が倒れる音がした。母がえずいている。
誠の手が、私に向かって伸びてくる。汗とアルコールの匂いがする、熱い手。
ドアの隙間から光が見えた。
誰かがそこにいて、スマートフォンで、部屋の中を撮影していた。
玲華だった。
彼女はドアの外に立ち、スマートフォンの画面を光らせ、カメラを部屋の中のすべてに向けていた。
彼女の顔が見えた。
笑っていた――冷たい笑みを浮かべ、その瞳には温かみなどなく、氷のような打算だけがあった。
彼女は誠が私の服を破るのを見ていた。助けを求める私を見ていた。必死に父さんと母さんを呼ぶ私を見ていた。
そして彼女は背を向け、去って行った。
「玲華!」
私は叫んだ。「助けて! お願い!」
しかし、ドアの外からはもう何の応答もなかった。
聞こえるのは、パーティーの音楽と、グラスの触れ合う音、笑い声、そしておしゃべりだけ。
意識が崩壊していく。映像が断片的になる。
服が引き裂かれる音。
乱暴な手。
痛み。
お父さん……お母さん……助けて……。
誰も来なかった。
治療室では、アラームが甲高く鳴り響いていた。
「心拍数180」黒瀬博士が緊迫した声で言った。「恐怖レベルはピークです」
父の息は荒く、声は震えていた。「なんてことだ……」
晃司の方は、沈黙あるのみだった。
突然、椅子が激しく倒れる音がした。玲華の悲鳴が響いた。「嘘よ! お姉様の妄想よ! 私がそんなことするわけない!」
だが、データは嘘をつかない。
どれくらいの時間が経ったのか分からないが、再び景色に焦点が合った時、痛みは麻痺していた。私はソファに横たわり、服は乱れ、意識は朦朧としていた。
突然、ドアが押し開けられた。
「お姉様!」
玲華が息を切らして駆け込んできた。目は涙で真っ赤に腫れ、完璧すぎるほど完璧な演技だった。まるで舞台女優のように。
彼女の後ろには、父と母、そして晃司がいた。
「お姉様が見つからなくて、すごく心配で……あちこち探して……まさかこんな……」
父は私の乱れた姿を見て、顔面蒼白になった。
その表情は――心配でも、怒りでもなかった。
失望と、嫌悪。
汚れたものを見るかのような。
「本当は止めようと思ったんです……」玲華は泣きながらスマートフォンを掲げた。「でも間に合わなくて……一部始終を記録しておきました……後で必要になるかと思って……」
スマートフォンの画面では、動画が再生されていた。
巧妙なアングルで撮影された映像では、薬で朦朧とした私の仕草が、まるで自分から積極的に男性に身を寄せているかのように見えた。玲華が薬を盛る場面は、一切映っていなかった。
彼女は意図的にそのアングルを選んだのだ。
説明したかったが、喉から声が出なかった。
玲華の瞳に浮かんだ勝ち誇ったような一瞬の煌めきを、私は見た。
ほんの一瞬。でも、確かに見たのだ。
今、治療室にいる者たちも、それを見た。
その時、聞こえたのは――
バシン!
鋭い平手打ちの音が、部屋に響き渡った。
