第3章
灯台近くの海岸。薄雲を通して陽光が砂浜に降り注ぎ、波が静かに岸辺を打っていた。
柏木悠真がビーチチェアに寝そべっていると、彼の胸にはスタイリッシュなビキニ姿の女がうつ伏せになり、シャツのボタンを弄んでいた。
「悠真、今日、上の空だよ」
女は甘えた声でそう言うと、キスをしようと顔を寄せたが、彼は巧みに顔を背けてそれを避けた。
「悪い、仕事のことでちょっとな」
柏木悠真は気のない返事をしながらも、その視線は再びスマートフォンの画面へと落ちた。池上遥からの連絡がないか、これで二十三回目の確認だった。
「一体何を見てるのよ」
女は不満げに唇を尖らせ、彼のスマートフォンを奪おうとする。
佐藤風太がカクテルを二つ持ってやって来て、柏木悠真の隣のチェアに腰を下ろした。
「四時間で二十数回もスマホをチェックするなんて、お前らしくもないな」
柏木悠真は苛立たしげにスマートフォンを脇に放り投げた。
「余計なお世話だ」
「池上遥からの連絡を待ってるんだろ?」
佐藤風太は単刀直入に言い、柏木悠真にカクテルを一杯差し出した。
「十六の時にお前が彼女に結婚を約束したくせに、成人したら鬱陶しがって、今になって彼女からの連絡を期待してるのか?」
「黙れ」
柏木悠真は眉をひそめた。
佐藤風太は首を振った。
「人の心は冷めるものだぞ、悠真。誰もがお前が振り向くのを、いつまでも同じ場所で待っててくれるわけじゃない」
「彼女に振り向いてもらう必要なんかない」
柏木悠真は冷ややかに笑う。
「一生をたった一人に縛られるなんて、退屈すぎる。人生にはもっと色々な可能性があるだろう」
「そうか?」
佐藤風太は眉を上げた。
「さっさと俺の人生から消えてくれた方がせいせいする」
柏木悠真の声には、明らかな傲慢さが含まれていた。
「いつだって犬みたいにまとわりついてきて、もううんざりなんだよ」
そう言うと、柏木悠真は立ち上がり、少し離れたビーチパーティーのエリアへと歩いていった。彼はアイスバケットから高価なシャンパンを一本取り出し、手慣れた様子で開けると、取り巻きたちの歓声がすぐに上がった。
佐藤風太はその背中を見つめ、低く罵った。
「自業自得な野郎だ」
柏木悠真が金髪の女に乾杯しようとした、その時、スマートフォンの着信音が鳴った。
彼はほとんど反射的にスマホを取り出したが、着信表示を見た途端、顔には露骨な失望が浮かんだ。
「何だ?」
彼は不機嫌に尋ねる。
「柏木さん、池上さんから事務所に宅配便で荷物が届きました」
電話の向こうからアシスタントの声が聞こえる。
「小さな箱で、中身は確認しましたが、指輪が一つ入っていました」
「指輪?」
柏木悠真は息を呑んだ。
「はい、シルバーの花の形をした指輪です。写真を撮ってお送りしましょうか?」
「いや、いい」
柏木悠真は電話を切ると、その顔色はひどく険しいものに変わっていた。
それは彼が十六歳の時、池上遥に約束を誓った時の指輪だった。
複雑な感情が柏木悠真の胸中に渦巻いたが、それはすぐに怒りへと取って代わられた。
彼はスマートフォンを開き、池上遥のトーク画面を見つけると、素早くメッセージを打ち込んだ。
「お前の失踪ごっこは本当に下手くそだな。誘拐されたくせに指輪は返せるとは。指輪まで返したんだ、これでお前と俺は本当に関係なしだ。二度と俺の人生にちょっかいを出すな!」
メッセージを送り終えると、柏木悠真は画面を睨んで返信を待ったが、既読の表示がついても、何の反応もなかった。
池上遥とのトーク履歴を遡ると、そこには彼女からの一方的な気遣いに満ちた言葉ばかりが並んでいた。
「悠真、好きなあんこ餅作ったから、明日オフィスに持って行くね」
「寒くなってきたから、上着を一枚多く羽織ってね」
「今日、新しくできたラーメン屋さんを見つけたんだ。今度一緒に食べに行かない?」
同情を引くための芝居に決まっている! 柏木悠真は怒りに燃え、思い知らさせてやると心に決めた。
彼はスマートフォンを閉じ、池上遥からの連絡手段をすべて断ち切った。
パーティーエリアに戻ると、柏木悠真は手にしたシャンパンを力強く振り、近くの岩に思い切り叩きつけた。
破片が飛び散り、シャンパンが噴き出すと、周りから驚きの声が上がる。
彼は隣にいた東京出身のセレブな女性を強く抱き寄せ、放蕩に満ちた笑い声を上げた。
「今夜は俺の奢りだ! 全員の飲み代は俺が持つ!」
群衆は歓声を上げたが、柏木悠真の目に一瞬よぎった空虚さに気づく者はいなかった。
