第1章 理解
朝比奈鈴視点
なんて、ついてないんだろう。
三年ぶりに、ようやく戸茂市に戻ってきたというのに。狼組の外縁組織に加わってまだ数週間。これが初めての大きな仕事になるはずだった。なのに、熱を出して遅刻したせいで、今こうして逮捕されかけている。ほんと、最悪だ。
午後の静寂をパトカーのサイレンが切り裂く。私はコンビニの外に立ち尽くし、中の惨状を呆然と眺めていた。覆面を被った強盗たちはとっくに逃げ去り、馬鹿みたいに私だけが現場に取り残されている。
「動くな!手を上げて、見えるようにしろ!」
「何もしていません!」
冷静を装いながら、私はゆっくりと両手を上げる。頭の中は目まぐるしく回転していた。逃げ道を探して視線を走らせるが、すでに警官たちに包囲されている。銃口がこちらに向けられ、若い警官の一人はひどく緊張しているのが見て取れた。
「後ろを向け!手を頭の後ろで組め!」
指示に従う。冷たい金属が手首に食い込み、カチリと音を立てた。周囲の視線を感じるが、平静を保たなくてはならない。
警察署へ向かう道中、パトカーの無線がノイズ混じりに聞こえてくる。前の席に座る二人の警官が、低い声で事件について話している。私は後部座席で手錠をかけられたまま、少しでも楽な姿勢を探していた。
落ち着け、鈴。このための訓練は受けてきたはずだ。タイミングが悪かっただけ。防犯カメラの映像が、私の無実を証明してくれる。何より大事なのは、正体を明かさないこと。
「着いたぞ。降りろ」
私は深呼吸をして、これから起こるであろう全てに備えた。
取調室の椅子に座り、廊下を歩く足音に耳を澄ませる。どんな刑事が来ようと対峙してやろうと顔を上げた、その時だった。ドアが開き、私の世界は時を止めた。
戸口に立っていたのは、ぱりっとした警察の制服に身を包んだ一人の男。長身で、広い肩幅。手には書類フォルダーを抱えている。私を認めた瞬間、彼の瞳に驚きがよぎったが、すぐにプロとしての冷静さを取り戻した。
嘘……。彼だ。
三年。背は伸び、体つきもがっしりした。でも、あの瞳は……。あんなに優しく私を見つめてくれた瞳は今、冬のように冷え切っている。
私たちは数秒間、見つめ合った。空気は張り詰め、重苦しい。自分の心臓の音が、耳の奥でうるさく鳴り響いている。何か言いたいのに、彼の表情がそれを拒絶していた。
「こんにちは。牧村刑事です」
彼の声は低く、冷たく、まるで私のことなど知らないかのように響いた。でも、そんなはずはない。私たちは、お互いをよく知りすぎている。
彼は私の向かいに腰を下ろしたが、視線を合わせようとはせず、手元の書類に集中している。
「名前は」
「朝比奈鈴です」
「年齢」
「二十二歳です」
「なぜ現場にいた」
「通りかかっただけです。買い物をしようと」
「何をだ」
「風邪薬です」
これは嘘ではない。実際に熱があり、そのせいで遅刻して、騒ぎに乗り遅れたのだ。
「防犯カメラによると、現場に到着したのは最後だ。強盗たちが去った後、なぜすぐにその場を離れなかった?」
「怖かったからです」
「映像から、強盗事件に関与していないことは確認が取れた」
彼はフォルダーを閉じ、立ち上がった。
「もう帰っていい」
牧村須加は私に背を向け、ファイルを整理し始める。これ以上、会話を続ける気はないという意思表示だ。私は立ち上がり、何かを言おうとするが、言葉が出てこない。
警察署を出ると、土砂降りの雨が降っていた。傘を持っていなかった私は、あっという間にずぶ濡れになった。街角に立ち尽くし、どこへ行けばいいのか分からなかった。頬を伝うのが雨なのか涙なのか、自分でも分からなかった。
この瞬間を、頭の中で何度も何度も練習してきたのに。どうして今、自分の感情をコントロールできないんだろう?
途方に暮れていると、一台の黒い車がゆっくりと私の隣に停まった。窓が下ろされると、そこには須加の厳しい顔があった。
「乗れ」
「必要ない――」
「乗れ」
彼の口調は、反論の余地を一切与えなかった。
一瞬ためらった後、私は助手席に乗り込んだ。車内には穏やかなクラシック音楽が流れている。これは須加のお気に入りだったはずだ。でも今は、まるで葬送曲のように聞こえる。
「どこに住んでいる」
「都島区です」
住所を伝えた後、私たちは黙ったまま車を走らせた。ワイパーの音と音楽だけが、二人の間を埋めている。彼の顔をまともに見ることができず、代わりに窓の外を眺め、ガラスに映る横顔を盗み見た。毎日、毎晩、考え続けてきたその顔を。
車は古びたアパートの前で停まった。私が降りて礼を言おうとしたその時、須加はエンジンを切り、私の後について階段を上がってきた。
私の部屋は狭くてみすぼらしい。ベッドとテーブル、小さな冷蔵庫があるだけ。壁のペンキは剥がれ落ち、窓からは冷たい隙間風が入ってくる。
「ここか?」
彼は部屋の中央に立ち、嫌悪感を隠そうともせず辺りを見回した。
「これが、お前の望んだことか?」
私は彼に背を向けたまま、振り向いてその問いに答える勇気がなかった。
「あなたには関係ないことよ」
「関係ないだと?」
彼の声が荒くなる。三年間溜め込んできた感情が、爆発し始めていた。
「朝比奈鈴、お前がいなくなってからのこの三年間、俺がどんな思いで過ごしてきたか分かるか?」
「死んだと思っていた!毎日のように考えていたんだ。あの夜、お前を引き留めていたら?俺が一緒に行っていたらって!」
私は目を閉じ、やがて薄い笑みを浮かべてようやく振り返った。
「全部、過去のことよ」
「過去?ああ、お前にとってはそうなんだろうな。今の自分を見てみろよ、朝比奈鈴!」
「もう警察官なんてやりたくないの、須加。給料は安いし、毎日危険な目に遭う。うんざりなのよ」
笑みを浮かべているのに、嘘をつくたびに、刃物で心臓を切り裂かれるような痛みが走る。
「金のためか?俺たちが夢見た全てを、金のために捨てたのか?」
「私はただ、自分のために生きたいだけ」
「お前は、俺たちの両親を殺した奴らのために働いているんだぞ!朝比奈鈴、お前の母親は今も病院のベッドで寝たきりなんだ!」
私の笑みが、一瞬で消え去った。それは、私が聞くことを何よりも恐れていた言葉だった。
「三年だぞ。一度も見舞いに帰ってこない!俺がいなかったら、誰があの人の面倒を見るんだ?」
「それは……それは、あなた自身が選んだことでしょ」
私の声が、微かに震えた。
「お前は、本当に俺の知っている女なのか?」
彼を守るため、完全に諦めさせるため、私は最も残酷な言葉を絞り出した。
「私は、あなたが思っていたような人間じゃなかったのよ。たぶん、本当の私なんて、これっぽっちも知らなかったんじゃないかしら。あの楽しかった思い出?私にとっては、ただの子供の遊びだったわ」
須加は長い間、静かに私を見つめていた。その瞳から、光がゆっくりと消えていく。やがて、彼は頷いた。
「分かった」
彼はドアに向かって歩き、ドアノブに手をかけ、一瞬だけ動きを止めた。
「お前の母親のことは、俺がちゃんと面倒を見る。お前は……自分の体を大事にしろ」
彼の背後でドアが閉まり、もう私は耐えられなかった。床に崩れ落ち、声を上げて泣いた。外の雨が私の泣き声をかき消してくれたが、心の痛みを覆い隠すことはできなかった。






