第6章 来るべきものは避けられない

田中春奈は顔色を変えた。だが、すぐに平静を取り戻す。「田中由衣、黙りなさい! そのことを、よくもまあ口にできるわね!」

怒りで田中春奈の体は微かに震え、その目は氷のように冷たく、田中由衣を睨みつけている。

その怒りに満ちた様子を見て、田中由衣は心の中に快感が込み上げてきた。まるで田中春奈の弱点を握ったかのようだ。

「もし『あの男』に会ったら、あなた、まだ見分けがつくかしら?」田中由衣の言葉は挑発に満ちていた。

「出ていって!」田中春奈の声は氷のように冷たい。彼女はドアの方を指さし、その瞳には怒りの炎が宿っていた。

田中由衣は僅かに顔色を変えたが、すぐに冷静さを取り戻し、鼻で笑う。「田中春奈、私にはもう少し丁寧にした方がいいわよ。さもないと、この病院にいられなくしてやるから」

その言葉を聞き、田中春奈の目に冷たい光が走った。

彼女はためらうことなく佐藤優奈に客を送り出すよう告げ、その声には威厳が滲んでいた。「私が誰だか分かっているの?」

途端に田中由衣は得意げに立ち上がった。彼女はとっくに調べてある。ここは江口グループ傘下の病院。そして自分は、江口グループ未来の社長夫人なのだと。

この身分が田中春奈を怯ませるだろうと踏んでいたが、まさか彼女が冷たく一瞥しただけだとは思いもしなかった。

「私があなたを殴る前に、とっとと失せなさい」

田中由衣は顔を曇らせ、ドアを開けて出て行った。

ドアの前に立っていた佐藤優奈は驚きに飛び上がった。自分が面倒事を引き起こしてしまったと予感する。来客は田中春奈に面倒をかけに来たのだ。

「春奈さん、ごめんなさい、私、知らなくて……」佐藤優奈は去っていく田中由衣の後ろ姿を見ながら、心配そうに田中春奈に視線を向けた。

しかし、田中春奈は深く息を吸い込む。この戦いは、まだ始まったばかりだと分かっていた。

実験室の外では、田中由衣が田中春奈を病院から追い出せと大声でわめいていた。その甲高い声は耳障りで、実験室中の人々の注目を集めている。

田中春奈は部屋を出て田中由衣の前に歩み寄り、冷ややかに言った。「いいわよ! やってみなさい」

田中由衣は田中春奈の気迫に圧倒された。

五年前の出来事で、田中春奈は彼女を骨の髄まで憎んでいる。

今になって田中由衣が実験室で大騒ぎするとは、もはや我慢の限界だった。

田中春奈は腕を振り上げ、田中由衣の顔面に容赦なく平手打ちを食らわせた。

「きゃっ……」田中由衣は痛みで悲鳴を上げ、バランスを崩して地面に倒れ込む。「田中春奈、よくも私をぶったわね!」

皆、あっけにとられていた。いつもは温厚に見える田中春奈が、まさか手を上げるとは思ってもみなかったのだ。しかし、田中春奈はそんなことには構わず、田中由衣の首にかかったネックレスをじっと見つめていた。その目には怒りの炎が閃き、まるでそのネックレスの背後にある物語を見ているかのようだった。

彼女は身をかがめると、手を伸ばして田中由衣のネックレスをひったくろうとした。

「何するのよ……」田中由衣は悲鳴を上げる。大金をはたいて買ったものだ、田中春奈にこんな風に奪われてたまるものか。二人はネックレスを巡って揉み合いになり、場は一時騒然となった。

その時、低く冷徹な男の声がエレベーターの方から響いた。「やめろ」

人々が一斉に目を向けると、一人の男がゆっくりと歩いてくるのが見えた。その眼差しは氷のようで、人を凍えさせる。

田中春奈と田中由衣も手を止め、顔を上げた。その人物の顔をはっきりと見た瞬間、二人とも固まった。江口匠海? どうしてここに? 彼は海外にいるはずではなかったのか?

江口匠海の視線は田中春奈の体でしばし留まり、それから田中由衣へと移った。

彼は大きな手で素早く田中春奈の手首を掴むと、彼女をぐいと突き放した。その剣のような眉はきつく寄せられ、声には有無を言わせぬ怒気がこもっている。「もういいだろう?」

そう言うと、彼は踵を返し、田中由衣の方へ歩み寄った。

田中由衣の心臓がどきりと沈む。彼女は恐ろしげに江口匠海を見つめた。まさか江口匠海がこの瞬間に現れるとは、そして彼が田中春奈と知り合いだとは、夢にも思わなかった。

自分がもうすぐ暴かれると思ったその時、江口匠海は不意に腰をかがめ、穏やかに言った。「田中由衣、大丈夫か?」

田中由衣の涙腺は瞬時に決壊し、鼻の奥がツンとなり、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

彼女はか弱く江口匠海に寄りかかり、震える声で言った。「匠海さん、痛い……」そう言うと、彼女は顔を覆い、苦痛に満ちた表情を作った。

田中春奈は傍らに立ち、驚愕に目を見開いていた。

田中由衣と江口匠海の間には、自分の知らない親密な関係があったのだ。

オフィス全体の空気がこの瞬間、凍りついたかのようになり、全員の視線が田中春奈に集中した。彼らの心には一様に同じ考えが浮かぶ。田中春奈は今回、本当に終わった。江口社長の女に手を出したのだから!

しかし、田中由衣はこの機会を逃さなかった。彼女は涙を流しながらも、こっそりと江口匠海の反応をうかがう。彼が田中春奈に嫌悪の表情を浮かべるのを見て、心の中で歓喜した。

田中春奈は、あの夜の男が江口匠海だとは知らないのだと、彼女は確信していた。

「匠海さん、本当に辛いです……」

田中由衣は両腕を伸ばし、江口匠海の首にしっかりと抱きつこうとしたが、江口匠海はしなやかに身をかわし、巧みに彼女を避けた。

彼は田中由衣をさっと引き起こすと、その手を固く握り、大股でエレベーターへと直行した。エレベーターのドアがゆっくりと閉まり、田中春奈だけが呆然と立ち尽くしていた。

田中由衣が、江口匠海の女? そんなこと、ありえるはずがない! 田中春奈は深く息を吸い込み、どうにか気持ちを落ち着かせようとした。この衝撃的な知らせを消化するには時間が必要だった。

「田中春奈、あんたも命知らずね。江口社長の女にまで手出しするなんて!」同僚の一人が不幸を喜び、追い打ちをかけるように近づいてきた。

田中春奈はフンと鼻を鳴らし、彼女を睨みつけると、オフィスに踵を返して「バンッ」と音を立ててドアを閉めた。

デスクの前に座り、田中春奈は両手で額を押さえた。心の中はめちゃくちゃだった。

田中由衣は一体どんな手を使ったというのか。江口匠海のような男を惹きつけるなんて。どう考えてもありえない。あの男は目が節穴なんじゃないか?

その頃、江口匠海のオフィスでは、田中由衣がソファに座って泣きじゃくりながら今日起きたことを訴えていた。

「匠海さん、私のためにどうにかしてください!」彼女は赤く腫れた頬を指さし、さめざめと泣いた。

江口匠海の眉が深く寄せられる。彼は田中春奈が表面的に冷淡に見えるだけだと思っていたが、まさかこれほど暴力的な一面があったとは。そのせいで、彼は田中春奈に対してより一層探究心をかき立てられた。

彼は鋭い視線で田中由衣を見つめ、淡々と言った。「まず帰って休んでいろ。この件は俺が処理する」

彼は自分の秘書に田中由衣を送り返させた。

田中由衣が去った後、江口匠海は少し考えると、直接実験室主任の二宮倫太郎に電話をかけた。「田中春奈を俺のオフィスに来させろ」

ほどなくして、田中春奈は江口グループ社長室へ来るようにとの通知を受け取った。

彼女は深く息を吸い込む。来るべきものは必ず来る。最悪、辞めてしまえばいいだけだ。

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