第2章
幸雄の車が夜の闇に溶け込んだ瞬間、もう自分一人で生き抜くしかないのだと悟った。
背後からは依然として銃声が鳴り響き、まるで死神の足音が刻一刻と迫ってくるかのようだ。
目を閉じ、埠頭の構造を脳内に素早く描き出す。前世、幸雄に救出された後、藤森家の資料室でこの一帯の完全な地図を目にしたことがあった。
埠頭の地下には、廃棄された排水システムが広がっている。
それが、私に残された唯一の活路だ。
目を見開き、身を屈め、倒れた護衛の死体から拳銃を奪い取る。
伏兵の数は予想を遥かに上回っていた。
奴らはまるでハゲタカのように、埠頭の至る所に潜んでいる。
貨物コンテナに身を潜めながら、素早く移動を開始する。
突如、肩に焼け焦げた鉄の棒を押し当てられたかのような激痛が走った。
撃たれたのだ。
だが、足を止めるわけにはいかない。立ち止まれば、次の一発が確実に私の頭蓋骨を貫くだろう。
銃を構え、狙いを定め、引き金を引く。
伏兵の眉間に血まみれの風穴が開き、その体は糸の切れた人形のように仰向けに倒れ込んだ。
死体を一瞥する余裕すらない。肩の傷は刃物で肉をえぐられたように痛み、弾痕からどくどくと溢れ出した鮮血が腕をつたって滴り落ちる。奥歯を強く噛み締め、ふらつく足取りで手すりへと向かう。
背後から、慌ただしい足音と怒声が迫ってくる——
「こっちだ! 誰か逃げてるぞ!」
「あの女を追え!」
手すりへと身を乗り出し、眼下を見下ろす。そこには、腐臭を放つ漆黒の排水口が口を開けていた。
迷っている暇はない。
水面に飛び込んだ瞬間、体が真っ二つに引き裂かれるような激痛が肩から全身へと駆け巡った。氷のように冷たい汚水が容赦なく口や鼻から流れ込み、鼻を突く悪臭に呼吸さえも奪われそうになる。
頭上からは、追手たちの苛立ちに満ちた罵声が聞こえてくる。
弾丸が水面を切り裂き、周囲で水柱を立てて炸裂する。大きく息を吸い込み、呼吸を止める。完全に水中に潜り込むと、濁流に身を任せながら必死に前へと泳いだ。
傷口に汚水が染み込み、あまりの痛みに意識が遠のきかける。それでも、動きを止めることだけは許されない。ここで立ち止まれば、前世の彩花と同じ運命を辿ることになる——銃で撃たれ、大量の血を流し、そして死ぬ。
絶対に、あの悲劇を繰り返すわけにはいかないのだ。
水流に乗って五分ほど泳いだだろうか。追手たちの声は次第に遠ざかり、頭上で散発的な銃声がこだまするだけとなった。トンネルの壁から突き出た鉄筋にしがみつき、激しく喘ぐ。
肩からの出血はまだ止まっていない。
このまま止血しなければ、長くは保たないだろう。
唇を噛み破るほどの力で痛みを堪え、無理やり前に進むよう己の体を鞭打つ。
意識は風前の灯火のように、今にも消え入ってしまいそうだ。太ももを強くつねり、その痛みでなんとか正気を保つ。
眠ってはいけない。ここで目を閉じれば、二度と目覚めることはない。
どれくらい歩き続けたのか、もう分からない。足は鉛のように重く、肩の痛みは限界を超え、視界が歪んで二重三重にブレていく。
この薄汚いドブの中で野垂れ死ぬのだと覚悟を決めたその時、前方に一筋の光が差し込んだ。
それは分厚い鉄扉だった。隙間から漏れ出す微かな光は、まるで暗闇に浮かぶ灯台のようだ。最後の力を振り絞ってよろめきながら進み、肩から激しく扉にぶつかる。
扉が開いた。
そのまま、巨大な地下空間へと転がり込んだ。
最初は隠れ家か、あるいは廃倉庫の類だと思った。
一縷の望みが脳裏をよぎる。ようやく助けを求められる場所に辿り着けたのだと。
だが、重い瞼をこじ開け、周囲の光景をはっきりと捉えた瞬間、心臓が凍りついた。
壁一面に、無数の銃器がずらりと並べられている。
ここは、地下に隠された巨大な武器庫だった。
壁に描かれた紋章——王冠の下で交差する二振りの短剣。
夜の兄弟会。
ダークウェブを牛耳る、最も冷酷無比なマフィア組織。
そのトップに君臨する西宮哲は、裏社会全体で最も恐れられている存在だ。
そして今、私は彼の縄張りに無断で足を踏み入れてしまったのだ。
一瞬の隙もなかった。暗がりから複数の黒い影が音もなく滲み出る。
幽霊のように私の周囲を取り囲み、サブマシンガンの銃口が後頭部とこめかみに冷たく押し当てられた。
荒い息を整え、必死に声を振り絞って平静を装う。
「西宮哲に、会わせて」
すると、誰かが鼻で笑った。
「てめえ、自分が何様だと思ってやがる? ボスに会えるわけねえだろうが」
男たちが視線を交わす。誰かが小声で何かを囁いたが、耳鳴りのせいでよく聞こえない。だが、後頭部に押し当てられていた銃口の圧力が、わずかに緩んだ気がした。
その時、人だかりが自然と左右に割れた。
一人の男が、深い陰の中から姿を現す。
長身の男だ。照明の下で露わになったその顔立ちは、彫刻のように端正だった——高い頬骨、すっと通った鼻筋、そして薄い唇は固く結ばれている。
西宮哲。
「藤森ひとみ」
彼が呼んだ。
「俺のシマに、勝手に入り込んだな」
顔を上げ、彼の冷たい瞳を真っ直ぐに見返す。
肩の激痛で意識が急速に遠のき、視界の光がぐにゃぐにゃと回転し始めた。彼の顔が灰色の靄に包まれ、水面に映る影のように今にも砕け散ってしまいそうだ。
それでも、私は言葉を紡いだ。
「助け、て……」
ついに、足の力が完全に抜け落ちた。
膝から崩れ落ち、体が前のめりに倒れ込む。怒涛のように押し寄せる暗闇が、私の全てを飲み込んでいく。意識が完全に途絶えるその最後の瞬間、力強い両腕が私の体を抱きとめたのを感じた。
再び目を覚まし、体を動かそうとした時、左腕が何かに固定されていることに気づいた。
首を巡らせると、そこには哲の姿があった。
彼はベッドの傍らに腰を下ろし、その手にはコンバットナイフと医療用のピンセットが握られている。
「目が覚めたか」
彼が低い声で告げた。
「弾がまだ残ってる。今から摘出するから、動くな」
私が反応する間もなく、冷たい刃が傷口に深く食い込んだ。
その手つきは極めて正確で、迷いがない。だが、刃先が血肉を切り裂くたび、私の体は制御不能な痙攣を繰り返す。気絶してしまいたいほどの激痛だった。
ピンセットが弾丸を挟み込み、肉から引き抜かれた瞬間、私の忍耐は限界を超えた。
反射的に上体を起こし、彼の肩に思い切り噛み付いた。
鉄錆のような血の匂いが口いっぱいに広がる。それでも、歯を放すことができなかった。あまりの痛みに、完全に理性を失っていたのだ。
だが、哲の手が止まることはなかった。
弾丸は鮮やかに摘出され、カランと甲高い音を立ててステンレス製のトレイに転がり落ちた。
その後、彼は手際よく傷口を洗浄し、縫合し、包帯を巻き始めた。
弾丸が取り除かれたことで、あれほど酷かった痛みがようやく引いていく。徐々に意識がクリアになり、無意識のうちに噛み締めていた口元の力が抜けた。視線を下ろして彼の肩を見る——私の歯型はシャツを突き破り、そこから赤黒い血が滲み出していた。
ハッと息を呑み、謝罪の言葉を口にしようとした。
その時、哲の大きな手が、私の後頭部をそっと包み込んだ。
汗と汚水に塗れた私の髪に指を這わせるその仕草は、まるで傷ついて震える小動物をなだめるかのようだった。
私はただ、呆然としていた。
「……終わった。もう大丈夫だ」
何かを壊さないように配慮するような、低く優しい声だった。
そして彼は温かいタオルを手に取り、傷口の周囲にこびりついた血痕を静かに拭き取り始めた。
不意に、目の奥がツンと痛んだ。
慌てて顔を背け、天井を睨みつけながら、目頭に込み上げてくる熱いものを必死に押し殺す。喉の奥に何かがつっかえているかのように、息苦しくてたまらなかった。
