第1章
エララ視点
「放して!」
陣痛が身体を引き裂く。セロン――ドレイヴンの首席騎士――が私の手首を掴み、荷物でも引きずるみたいに廊下の奥へと引っ張っていく。
「もう出てくるの!」私は叫び、片手で石柱にしがみついた。
「こんなこと、許されない!」
「竜王の命令だ」セロンは無表情のまま、私の指を一本ずつこじ開ける。
「セラフィナ夫人が出産中だ。彼女が産み終わるまで、お前は待て」
「待てって……どうやって?」破水した羊水が脚を伝って落ちていく。
「この子は待てない!」
「ケイル殿下の血筋が先に生まれる必要がある」セロンは私を引きずり、重々しい鉄扉の前へ叩きつけるように連れていった。「命令だ」
ケイル――ドレイヴンの兄。戦場で死んだのは一年前。
「お願い……!」私は暴れ、爪で壁を掻き、血の筋を残した。
「このままじゃ、この子が死んでしまう!」
「死なない」セロンは扉を押し開ける。熱気が顔にぶつかった。
「ただ、お前が遅くなるだけだ」
扉の向こうには下へ続く石段。降りるほど温度が跳ね上がっていく。
普通の牢じゃない。
ここはドラゴンファイア・パーガトリー。巨大な円形の石室の中心で、決して消えない竜族の烈火が燃えている。色は赤ではない。底なしの紫。視界が歪むほどの灼熱を放ち、周囲の壁には古い竜語のルーンがびっしり刻まれていた。燃える鎖が幾重にも巻きつくみたいに。
裏切り者を鍛え直すための場所。火は血肉をじわじわと乾かし、すぐには殺さない。ただ痛みの中で懺悔させるだけ。
セロンは私を中央の石台へ突き飛ばした。転がり落ちた掌に、焼けた石の熱が食い込み、皮膚がひりつく。
「やだ、セロン!」起き上がって逃げようとした。
ガンッ!
鉄扉が閉まる。
「よく聞け」扉越しにセロンの声が落ちてくる。
「竜火が体液を乾かし、お前は衰弱して脱水する。身体が勝手に出産を止める。二時間だ。セラフィナ夫人が産み終わったら出してやる」
「二時間も……もたない!」
でも、彼はすでに伝令石を取り出していた。
魔法光がぱちぱちと灯る。
「中に入れました」セロンが言う。
「破水していますが、竜火なら引き延ばせるはずです」
「また騒いでんのか?」伝令石からドレイヴンの声。疲れきって、苛立っている。
騒いでる。
「ドレイヴン!」私は石に向かって叫んだ。涙で視界が滲む。
「私、産まれるの!もう――!」
短い沈黙。
「今?」まるで冗談でも聞いたみたいな口調だった。
「セラフィナがもうすぐだ。お前も、もう少し我慢できないのか?」
「無理よ!破水したの!」
「へえ。あの時はタイミング、ずいぶん上手に選んだくせにな」冷えた笑い。
「たとえば……あの夜、俺のベッドに這い上がってきた時とか」
脳裏に閃く。ケイルの戦死の報が届き、王宮が混乱に沈んだ夜。目を覚ましたドレイヴンは、崩れ落ちるみたいに……ヒステリックに、ただ吐き出して――。
「私は、あなたを気遣っただけ!」必死に言い返す。
「あの時、あなた、本当に疲れてた……!お茶の中身だって、私は――」
「気遣い?」ドレイヴンが爆発した。
「俺の茶に何を入れた。俺が気づかないとでも思ったのか」
「違う!私はやってない!」
「お前の『気遣い』がなければ」憎悪で濁った声が続く。
「ケイルは、あの時――」
「ドレイヴン……痛い……」弱々しい女の声が割り込む。
セラフィナ。
彼の声が、瞬間でほどけた。
「ここにいる。怖がるな」赤子をあやすみたいに甘い。
「深呼吸だ、いい子だ」
「この子、私たちに会いたくて待てないみたい……」彼女がふっと笑う。
「父親に似て勇敢になる」ドレイヴンが言う。
「よくやってる」
その優しさが、刃物みたいに胸に刺さった。
私も産んでる。私も痛い。私も、彼が必要なのに。
私に与えられたのは、パーガトリーだけ。
「ドレイヴン……」嗚咽が漏れる。
「医師が……この子が……」
「腹にその子がいるだけ、感謝しろ」冷たく遮られた。
「でなきゃ、とっくに死んでる。セロン、薬を使え」
伝令石の光が消える。
セロンが腰袋から水晶の小瓶を取り出した。乳白色の液体が、青く淡く光っている。
「……なに、それ」瓶を見つめた瞬間、身体が先に怯えた。
「抑制剤だ」栓を抜き、こちらへ歩いてくる。
「陣痛を止める」
「やだ!」私は後ずさる。
「そんなの、この子が――!」
「死なない」セロンは私の顎を掴み、無理やり口をこじ開けた。
「ただ先延ばしにするだけだ。ケイル殿下が王国にとってどれだけ重要か、お前には分からない。老竜王が臨終に際して、竜王にお前みたいな素性の知れない女を押しつけなければ――」
冷たい液体が喉へ流れ込む。砕けた氷を飲み込むみたいに。
「――ケイルは死ななかった!」セロンが手を離す。目にあるのは嫌悪だけ。
「お前は災いだ」
彼は背を向けた。
「待って……お願い……」私は手を伸ばす。
「私の子が……」
「因果応報だ」
ガン。扉が閉まり、鎖がじゃらりと鳴った。
私は石台に崩れ落ちた。
薬が効き始める。
規則的だった陣痛が、急に乱れた。体内を無数の手が掻き回すみたいに。痛みは十倍に膨れ、息ができない。竜火の熱で汗が止まらないのに、薬がもたらす冷えが内側から凍らせていく。
そして、いちばん恐ろしいこと――
赤ん坊が動かない。
さっきまで蹴っていたのに、今はかすかな震えだけ。
どんどん弱く……
「お願い……」私は腹を抱え、涙を落とした。
「赤ちゃん……やめないで……」
分かってしまう。
小さな命が、私から離れていく。
どれだけ時間が過ぎたのか。十分钟か、一時間か。
この地獄じゃ、時間に意味なんてない。
ここで死ぬのだと思った、その時――
きい、と。
扉が再び開いた。
女がひとり入ってくる。
銀の髪。琥珀色の瞳。手には魔法鞭。鞭の身には暗赤のルーンが絡みつき、不吉な光を吐いている。
ライラ・アッシュウィング。
ドレイヴンの妹。
彼女は数歩先で立ち止まり、見下ろすように私を値踏みした。
「私がいちばん嫌いなの、何だと思う?」ゆったり言いながら、魔法鞭を空に振る。ひゅん、と弧を描いた。
「身の程知らずの女。とくに、自分のものじゃないものを奪っておいて、無事でいられると思ってるタイプ」
一歩、近づく。
「兄は甘い」ライラは首を傾げ、冷笑した。
「でも私は違う」
