第5章
恵美視点
キッチンのカウンターは小麦粉だらけだ。白い粉がエプロンにも、手にも、たぶん顔にもついている。オーブンのタイマーが鳴り、バナナケーキになるはずだったものを取り出す。
真っ黒だ。縁のあたりは完全に炭化している。
煙を上げる惨状を前に、思わず笑ってしまった。仕方ない。一ヶ月前、私は黒木夫人で、プロのシェフが毎食用意してくれる屋敷に住んでいた。今は、潮の香りがするコテージでパンを焦がしている。
窓辺には三つの鉢植えが並んでいる。ラベンダー、多肉植物、小さなシダ。壁には母の写真が留めてある。ピアノの鍵盤に手を置き、あの優しい微笑みを浮かべている。もう二度と見ることのできない...
ログインして続きを読む
チャプター
1. 第1章
2. 第2章
3. 第3章
4. 第4章
5. 第5章
6. 第6章
7. 第7章
8. 第8章
縮小
拡大
