第1章
お客様にフルーツの盛り合わせをお届けした時、四年前に別れた元彼に再会した。
彼は隅のソファに腰掛け、誰かと話しながら首を傾げていた。
「七海さんは大学時代、四年付き合った彼女がいたそうですね?」
隣に座る男がそう尋ねる。
彼は淡々と「ええ」とだけ応じた。
私は無意識に俯き、手首に巻いていたヘアゴムをそっと外してポケットに隠した。
「その恋は、忘れがたいものでしょう?」
男はさらに問いかける。
彼は答えず、ただ気だるげに私を呼んだ。
「こっちにオレンジを追加で。皮を剥いたやつを」
「かしこまりました」
私はわざと声を低くして答え、彼に背を向けてオレンジの皮を剥き始めた。
皮を剥いたオレンジを持っていくと、それまでリラックスしていた彼の表情が、その一瞬で強張った。彼はオレンジの房を凝視し、やがてその視線はゆっくりと私の顔へと移ってきた。
そこでようやく私は気づいた。自分が差し出したオレンジは、房についている白い筋が、一本残らず綺麗に取り除かれていたことに。
昔、付き合っていた頃、オレンジはいつも彼が剥いてくれた。筋は苦いから嫌いだ、お前にもその味を試させたくない、と言って、いつも綺麗に筋を取ってから私に渡してくれたのだ。
別れてもう何年も経つのに、こんな些細なことを自分がまだ覚えているなんて、思いもしなかった。
彼に私の顔は見えないはずだ。
個室の照明は薄暗く、私は意図的に帽子のつばを深く下げていた。
「それほどでも」
彼は私から探るような視線を外し、唐突に、脈絡もなくそう言った。
一瞬反応が遅れたが、それが先ほどの「その恋は、忘れがたいものでしょう?」という問いへの答えだと気づいた。
心が、今更になってずきりと痛んだ。
「嫌われてないだけ、まだマシな方よ」
と、棘のある女の声が割り込んできた。
その声には聞き覚えがあった——千葉恵里菜。私たちの大学の同級生で、今や人気の女優だ。彼女は今、七海浩紀の隣に座っている。
「あの女、いつも邪魔だったじゃない?あの子がいなければ、私と七海君はとっくに結ばれてたのに」
他の者たちが慌てて同調する。
「七海さんほどの精英には、今の地位に相応しい彼女がいて当然ですよ。千葉さんは大スターですしね!」
お世辞に気を良くしたのか、彼女は満足げな笑みを浮かべ、私が置いたフルーツの盛り合わせをあれこれと指でつつき始めた。
「このホテルのサービス、質が悪すぎない?フルーツがこれっぽっちしかないなんて」
「申し訳ございません。すぐにお取り替えいたします」
私は急いでトレイを手に取り、その場を離れようとした。
「待て」
七海浩紀の声が、強硬で有無を言わせぬ響きで投げかけられた。
「振り返れ」
私はその場で凍りつき、身動き一つ取れなかった。心臓は太鼓のように鳴り響き、指先が微かに震える。
気づかれたのだろうか?それとも、ただサービスに不満なだけ?どうやって彼と向き合えばいい?四年の歳月が一瞬で一点に凝縮されたかのように、あらゆる感情が胸に込み上げてくる。
「どうかなさいましたか、お客様?」
バーのマネージャーが絶妙なタイミングで現れ、私を窮地から救ってくれた。
「この者は新人でして、まだ仕事に不慣れなものですから。すぐに別の人間にフルーツの盛り合わせを準備させます」
マネージャーは私に向き直る。
「早く新しいものを用意してきなさい」
私はすぐに俯いて「はい」と答え、その場から逃げ出した。
マネージャーも程なくして戻ってきて、わざわざ私を呼び止めた。
「次は気をつけなさい。あの方はAI企業を立ち上げた七海社長で、うちの最重要顧客の一人なんだから」
私は口ごもりながら言った。
「すみません、この新しい盛り合わせ、代わりに運んでいただけませんか?もうあのお客様たちの前に出たくなくて……」
「七海様が、君に運んでくるようご指名なんだ」
マネージャーは眉をひそめた。
「お願いです、お姉さん。千葉さんが私を気に入らないみたいで、ずっと不満そうな目で見てくるんです」
マネージャーはため息をつき、トレイを受け取った。
「仕方ないわね。でも、次はダメよ」
私は大きく息をついた。
「ありがとうございます」
彼と再会するなんて、思ってもみなかった。
四年前、借金から逃れるため、そして彼を私の家の破産に巻き込まないために、私は七海浩紀との全ての連絡を一方的に断ち、彼の元を去った。
今の彼は事業で成功し、隣には華やかな女優がいる。一方で私は名家のお嬢様から、借金返済のためにいくつもバイトを掛け持ちする身に落ちぶれ、彼の口からすれば取るに足らない元カノへと成り下がった。
私は彼をこれ以上ないほどに傷つけたのだ。恨まれて当然だ。
なのに、どうして、心はこんなにも痛むのだろう。
